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昼下がりに銀ちゃんに会う


[の] 日常生活

休日の昼下がり、玄関に打ち水をしていたら、目の端のほうで何かがかすかに動きました。見ると小さなトカゲでした。
トカゲ、ヤモリ、イモリの区別が今ひとつ曖昧な私ですが、彼らのスタイリッシュな姿には心魅かれるものがあります。急ぎカメラを取りに行き、4カ所をヤブ蚊にさされるという大きな代償を払いながらも、しばし観察を続けました。
近づいてよく見ると、このトカゲ、しっぽがありません。

いったい何があったのか、近所のワル猫に追いかけられて自切したのか、テレパシーを送ってみるけれど何も応えてくれません。
しかし、恐らく彼(彼女?)にとっては一大事があったに違いありません。手で触れられそうなほどに近づいても、まったく逃げようとしないのですから、相当疲労困ぱいしているのでしょう。あるいは見くびられているのかもしれませんが......。
後でネットで調べてわかったことですが、このトカゲの正式名は「ニホンカナヘビ」というそうです(ちなみに、しっぽを自切するのはトカゲ類だけでなく、蟹やミミズなども行うらしいという豆知識も得ました)。

写真

ところでトカゲ(だかヤモリだかイモリだか)に会うと、私は思わず「銀ちゃん」と声をかけてしまいます。今回も鼻先20cmの距離まで近づいて「銀ちゃん」とやってみました。無論返事はありません。
なぜ「銀ちゃん」なのかというと、学生の頃に読んだ増田みず子さんの著書『シングル・セル』の中に、象徴的なモチーフとしてトカゲ(だかヤモリだか)が登場するのですが、その名前が「銀ちゃん」だったからという理由です。この銀ちゃんは主人公が柱にクギを打ち付けたときに誤って背中を串刺しにされてしまうという、かなり間抜けなやつなのですが、しばらくはクギに打たれたまま生きて飼われることになります。
もうストーリー自体の記憶はかなり薄れましたが、そのトカゲ(だか)のイメージだけが強烈に残っていて、以来反射的に「銀ちゃん」と口走るようになったわけです。

ついでながら人間の銀ちゃんもいます。
バスの運転士が荒っぽい運転をしたときに、心の中で反射的に「ちょっとー、銀ちゃん」と言ってしまうのです。こちらは小説ともトカゲともまったく無関係で、私の脳内では「飛ばす」感じが「銀ちゃん」という音に直結するようなのです。イメージ的には「かっとび銀ちゃん」。その起源を無理矢理自己分析してみると、ひょっとしたら映画「蒲田行進曲」に登場する「銀ちゃん」のイメージを引きずっているのかもしれませんが、よくわかりません。しかも、なぜバスのときだけ想起されて、タクシーのときには想起されないのか、そこは自分でも謎なところです。
とはいえ、最近よく利用する東急バスの運転士の方は皆紳士的な運転なので、滅多に人間の銀ちゃんに会うことはなくなりました。

さて、トカゲの銀ちゃんとは10分ほど見つめ合いましたが、銀ちゃんは何も語らず、やがて難儀そうに繁みの中に消えていきました。
いつかまた、しっぽが生えかわった銀ちゃんにもう一度会えますように。


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