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10年前と10年後


[ち] 日常生活

先日チャンネルをまわしていたら(注:日本に帰国中でした)「高校 数学1」という番組で手が止まりました。

数字関係は小さいときから苦手で成績もよくありませんでしたが、問題を解くのは好きだったことを思い出します。
難解に思えた数字や記号が、覚えた公式を工夫して使う事で分解されていき、最終的には一つの答えが得られます。悩みがすっきり解決したような、そんな解放感が好きでした。
しかし、高校も受験期を迎えると問題が高度になり、解けない問題が多くなりました。そうなると楽しみも減り、次第に数学から離れていった気がします。私は文系でしたので、今後も役に立つことのない数学をやるなんて無意味だとさえ思うようになりました。

その後、働き始めてからは逆に学生の時くらいはしっかり数学を勉強しておけばよかったと後悔しました。
思いもよらず、仕事でプログラム系のソフトを使用したせいもありますが、数学の理論的な進め方は、その公式やその数値こそ直接関係なくとも、物事を考えたり進めたりするのに役立つような気がするからです。
意味さえ忘れた公式も、じつは生活の中で深くかかわっています。電子機器や自然環境など、あるゆるものがいろいろな数式によって表されたり、それを利用することでより便利に答えを導き出せます。
学生の時は無意味に思えた数学ですが、無意味にしたのは私の数学に対する意識でした。

さて、番組では教えた数式を用いた応用問題を提示しています。10年前だったら、高校を卒業したてだったので、まだできそうな簡単な問題です。しかし最近では簡単な計算さえ計算機に頼っている私にとっては、問題を解くための公式さえ覚えていません。以前出来た事ができないのは悔しい......。「これは脳みその衰えなのか!」と大げさに思ってしまいました。
そういえば、最近大人の間で漢字ドリルや計算ドリルがはやっていると聞いています。堅くなった頭を柔らかくし、脳みその活性化に役立ちそうです。

答えの解き方すらわからなかった問題が、講師によって導かれていきます。久々に難しいことが解決していくような解放感を感じました。
日々の生活の中では、どうしたらいいのか悩む事は多いのですが、「こちらが正しい」とはっきり「正解」を決められることはあまりありません。数学のように「正しいといえる答え」があるものくらいはすっきり解きたいものです。
歳を重ねるにつれて成長していくもの・退化していくもの、それはその人の生活の仕方や環境が関わっているはずです。もし私が体積や速度・力の方向性などを求める必要があるような仕事に就いていれば、いくつになっても高校生の問題くらいは簡単に解けるのかもしれません。
10年前私は語学に興味を持ち、英語と中国語をラジオで勉強していました。その後この10年間のうち6年を中国で過ごすことになるとは思ってもいませんでした。中国にいたおかげで中国語はそれなりに進歩しましたが、英語はさっぱり進歩していません。これは環境のせいだけではなく意識の差だと思っています。「10年ひとむかし」といわれます。この間に何を得て、どのような生活をおくるのか、そしてその後10年にどうつなげていくかは自分の意識次第です。

本屋へ行ったら計算ドリルを買おうと思っています。数字に弱くなった頭を鍛えたいという思いもあるのですが、このまま「今じゃできなくなった」とやり過ごしたくないからです。
10数年後、私が子供にこの問題を聞かれて答えられないのはちょっと悔しいじゃないですか。現在の生活の中で必要のないことは排除するのではなく、プラスアルファで維持することができたら、より充実した年月を重ねられるような気がします。

公式を知っているとできること。

「富士山の高さだって測れちゃうんだ!」

 ■ 正弦・余弦定理のちょっとした小手技

 ■ 筆算固有の問題

 ■ 山の高さ

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