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サヨナラ北京


[ち] 旅行・海外生活

去年11月中国北京から帰国しました。
99年に大陸に渡ってから、7年が経っていました。
外国とはいえ長いこと住んだので、私にとっての北京はすでに生活の中心地でありました。借りていたアパートメントの部屋はその中核です。 調理器具や衣類などの必需品や、中国の生活で次第に積もってきたアレコレ、さらには小さい頃からの思い出の品も持ち込んでありました。 年に数日しか滞在しない日本の実家よりも、モノも思いもたくさん詰まった空間となっていました。 そのせいもあって、一時帰国すると、どうも居心地がよくありません。 テレビに映る芸人さんや歌手は知らない人が多くなり、友人との会話にもついていけない。流行っているらしいギャグも何がおかしいのかわからない...... そんな浦島太郎な自分が少し惨めでした。
もっと困るのは、マナーや習慣。 「電車の中ではマナーモード」「舌打ちをしてはいけない」「自分の要求は直接強く言わない」など、 日本では当然でも、私の習慣とは違う世界。他人に失礼があってはいけないと気を付けていても、ひょんなところでボロがでます。 「私は海外に暮らしているから仕方ないのさ。なんてったって国際人」と自分を慰めていました。 (本当の国際人は情報通で、自国の流行は当然のごとくリアルに把握している。マナーというのも国際標準というものがあると思う。 私は日本に暮らしていた時から芸能人に弱いし、中国の習慣に甘んじていると反省はしているが) 生まれ育った場所に違和感を感じるようになってしまったので、北京の部屋に戻った時は、「また来たよ!」ではなく、 「ただいま?!」という言葉が、「ホッ」と一息つくとともにこぼれます。

さあて、そんな私が「日本に完全に帰る」と決めてしまったのです。
北京の部屋にある荷物を全部持ち帰ることは無理だし、これまで築いてきた土俵とはおさらば。 生活リズムも習慣も変わることになるでしょう。「日本へ帰る」ということは自国へ「戻る」というより「新たな挑戦」に近い感じがしました。 正直、日本へ帰るのが怖い。 「本当に私は日本でなじめるのかな?日本人とうまく付き合っていけるのだろうか......。笑われたりしないだろうか......」不安はたくさんあります。 それから、ちょっと関係ないけれど、1年後に控えた北京オリンピックも私を引き止めます。 開催地発表前にクラスの皆とドキドキした(当時は学生でした)ことを思い出すと、それを見ずに北京を去るのはなんとなく惜しい。

それでも帰国を決断したのは、昨年三十路に達したことによって、いろいろな懸念がうまれたからです。 歳というのは、一つの言い訳にしかならないけれど、区切りのいい歳になると、どうしてもこれからのことを考えてしまいます。 今後何十年か続く人生に、仕事、結婚、出産、親......、未来の課題が高くそびえ立っていました。 そろそろ将来を考えて生活を送らないと、この先の何十年を歩きにくい。そう思いました。
中国で働いていた時、私の収入は悪くありませんでした。 物価も安いので、生活にはゆとりがありました。80平米で3LDKの部屋に住み、スポーツクラブへ通い、週に数回は外食し、 移動はタクシーを頻繁に利用......。単なるOLにしては、同年代の人よりもブルジョワな暮らしを送っていました。 とはいえ、中国での給与は、日本人である私には未来の保証がまったくないものでした。失業保険はおろか年金や退職金もありません。
中国を出ない限りでは、そこそこ良い生活を続けることができる。
でも、それは「今」だけを見ていれば、なのです。
日本の物価では現地採用の私の給料なんて雀の涙です。つましい生活すら危うい。家族の誰かが病気でもして、 急に大金が必要になるかもしれない。いくら人民元で貯金していても、そのまますぐには使えず、換金しなければ木の葉も同然です。 それに、今はまだ元気な親も、先々では今のようにほっておくことはできないでしょう。 中国での暮らしが楽しいとしても、生涯中国で過ごす覚悟もない。それに、いつかは帰りたい。 だから、いつかは中国での生活にピリオドを打たなければならない。20代の終わりが数年に迫ったころから、そう、心に重く引っかかっていました。 私自身の未来に、きちんと向き合わなければならない。そして、「後退」でも「安泰」でもない「帰国」は、 私が前に踏み出すために必要なステップでありました。

さて、話変わって......
帰ることを告げた時の周りの人の反応はどうだったのかというと、
中国の友人:「えー!!寂しいよ......」と残念がり、
日本の友人:「えー!!とうとうかぁ!待ってますよ?」と喜んでくれ、
母親:「本気でそう思ってるの?!」
   「日本での生活はとても大変なのよ!」と脅され、
   「その覚悟はあるの?考え直した方がいいんじゃないの?」と猛反対。
   「まだまだ若いのにもう日本に戻って来るの?
   また違う国にでも行くのかと思ってたのに......」と残念がる。
親というものは、本当にたくましい。


私は20代のほとんどを中国で過ごしました。そして、それはとてもすばらしい経験でした。
日本でも中国でも、そういった機会を与えてくれ、また、支えてくれた多くの人にとても感謝しています。
そして私の第2の故郷となった北京に......
ありがとう!!

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