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用心が肝心

更新 2016.05.27(作成 2011.05.13)

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第6章 正気堂々 9. 用心が肝心

「坪単価としましては、一応前回と同じ15万円として、5%をキックバックさせてもらうということで、お話を進めております」
「キックバックですか。なぜ値下げではなく、キックバック方式になったのですか」樋口はさらに踏み込んだ。
「はい。そのほうが御社の方々にとって扱いやすいかなと思いまして」
Y建設社長は、浮田らの立場にも気を使いながら注意深く話を進めた。
「扱いやすいとはどういうことですか」
この段階でY建設社長は、樋口が否定的であることを感じとった。中国食品社内で何が起きているのか。樋口は何が気に入らないのか。単価か、土地の購入そのものか、それともキックバック方式が気に入らないのか。何となく嫌な予感が走った。
こんなとき、人の心理としてどこかに逃げ口を用意したい心境になるものだが、Y建設社長は浮田らとの信義則も考慮してなお慎重である。
「浮田常務様もそれでいいようなことでありましたが、なにか不都合でもおありでしょうか」
「いやいや、なぜそうなったのかと思ったまでのことです」
樋口もここで性急に追い詰める必要はなく、今日会合した目的はそれで十分だった。
しかし、Y建設社長は、なぜか追い詰められた気分になった。何も悪いことをした覚えはなく、浮田らとの交渉の流れでそのまま来ただけなのである。そこは、やはりトップらしく腹の据わりはいい。
“何も隠す必要はない” と心を決めた。
「浮田常務との話では、むしろキックバック方式がいいとの仰せでしたけど。大体5%で話を進めさせてもらっております」
「そうでしたか。ただ、キックバック方式か値下げかは、買う買わないを含めて社内コンセンサスはまだ固まっておりません。社内にもいろいろな役員がいますからな。こちらの準備でき次第、もう一度“私”からご連絡します」樋口は私に力を込めた。もうここから先は自分が主導すると宣言したようなものだ。
「白紙に戻るということもあるのですか」
「そりゃ、場合によっては十分あり得ます。わが社にもいろいろ事情がございますからね」
「そうですか」Y建設社長の目に少しの力が入り、いくばくかの憤慨する気持ちが表れていた。
「しかし、最初のお話のとき、残りの土地も買い足すということで話を進めさせてもらったと記憶しておりますが」
「そんな話があったのですか。それは私は承知しておりません。仮にあったとしてもキャンセルのときの保険料が単価に乗っているじゃありませんか。そこはお互い様じゃありませんかね」
樋口はY建設社長の腹を見透かしていた。
「そりゃまあそうですが、例え口約束でも約束は約束と心得ますが」
「そのとおりです。それで今話が進んでいるんでしょ。それでよろしいじゃありませんか」
「しかし、場合によっては……」キャンセルされることが気がかりなようだ。
「やはり条件次第ですかね」樋口はどうしても条件交渉に持っていきたかった。
「今日のお話はそのことですか」
「そういう因縁のある取引になりそうですから、一応私の考えをお話しておこうかと思いまして」
樋口はそう言い置いて一呼吸入れた。お互い覚悟を決めて決断の時に臨むためだ。
Y建設社長もその間が待ち遠しかったのか、グイッとビールを流し込み改めて樋口を見つめ直した。
「ところで、5%は少し安すぎませんか。15万円で買って5%をキックバックしてもらっても全然間尺が合いません」
樋口は話を条件交渉に戻した。
「そもそも坪15万円が今日日の相場としては高すぎましょう。前回は私どもが言い出したことですから飲みましたが、今回は逆です。現在の相場としましては13万円がいいところでしょう。この前は2万円ほど高く買い過ぎた。今回の売買は前回分の保険代を返してもらわねばなりません。全部といえば社長も気分が悪いでしょうから、1万円分ほど返していただいて今回の取引分は12万円ということでいかがでしょうか。そうすればお互いにバランスがいいことになります」
「しかし、この辺じゃ1500坪もまとまった土地はそうありませんよ。それに最初に15万円で売った私どもの努力がなんにもならなくなります」
Y建設社長は、前回の15万円は自分の交渉能力が勝ったためで、中国食品の担当者の交渉力不足の問題だと言いたげだった。樋口との談判でもけして遅れをとっていなかった。
「元はといえば雑木の山でしょう。それを御社の得意技で均してしまった。地目も雑種地のままじゃありませんか。とはいえここまで開発した努力は大したものです。ですから、1万円ほどでいいと申し上げております。逆に、これほどの土地を一括で買い上げるところもそうありませんよ。12万円でも御社には十分利益がある話でしょう。このまま所有して固定資産税や保有税だけ払い続けるのは賢い選択とは思えません。いかがですか」
Y建設社長はここで一生懸命計算を働かせた。12万円に値切られてその上リベートを払ったら全く割が合わない。しかし、嫌だと言えば商談は決裂してしまいそうだ。そこで、思い切って尋ねてみた。
「それじゃ、キックバックはいかがいたしましょうか」
「そんなもの要りません。12万円という決断が大事なのです。つまり、前回分の15万円もリベートも、全ての問題を清算して12万円です」
Y建設社長は一瞬迷ったが、ここで話をこじらせて売れる見込みのない土地を無用に持つより、いっそ売ってしまったほうがどれだけ賢明なことかは、誰にでもわかるほどの自明の理だった。
「イヤー、参りました。さすがに樋口社長。それならわかります。それでよろしゅうございます。今回の取引分は坪12万円でお譲りいたしましょう。それでスッキリしました」
Y建設社長は、やっと喉のつかえが取れたような顔をした。
「わかってもらえましたか。いやー、ありがとうございます」
そう言うと、樋口は手を出した。握手が終わると、
「ただ、これは私一人の腹積もりです。これからいろいろと根回しや社内手続きがあります。それまで誰にも伏せておいてもらえますまいか。役員会にもかけないまま社長一人が勝手に決めてきたと小うるさく言う者がいましてね。下手をすると話が流れる可能性もあります」と、返す刀で少しは相手の気をもませ、口に鍵をすることも忘れていなかった。
Y建設社長も、「樋口社長に異議を唱える御仁なんておられないでしょう」と、こちらもやんわりと返した。
「いやいや。担当役員なんかは自分の面子や存在価値が問われますから、必死ですよ。御社のようなオーナー経営と違って、サラリーマン社会の意地汚いところです」
「そんなもんですかね」
従業員を10数名近く抱えているY建設社長は、そんなこととっくにわかっていたが、ニコニコと笑いながら樋口に花を持たせた。
「まあ、手続き上の問題です。面倒なことにならんように用心が肝心なんです。はっきり決まりましたら改めて私のほうからご連絡いたします」
この日の2人の会合はそれで終わった。
今日の会談は浮田らの不正の裏を取ることが目的だったが、勢いで取引まで終わらせてしまった。
ただ、交渉になるとこんなところだろうという落ち着き所くらいの見通しや筋書きは頭の中に予感としてあったのだが、Y建設社長の骨太の人間性はずしりとした結構な手応えであり、骨の折れる話で重い疲労感が樋口を襲った。

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