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醜い世界

更新 2016.06.08(作成 2012.11.05)

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第6章 正気堂々 62.醜い世界

「サラリーマン社会なんてなー、醜い競争の世界だよ。そんな連中のための制度を作るのだから大変だ。抵抗する。足を引っ張る。そんなことが上から下まで起きるぞ」
「どういうことですか」
「人事制度なんてケチをつけようと思えばいくらでもつけられる。その抵抗に抗っていいものを作らにゃならんだろ、そりゃあ気も使うし神経も使うさ。それで思い切った改革ができない」
「……」
平田は軽くうなずいた。たしかにそういう話はよく聞くし社内の多くの改革が思うように進まないのもそのためだ。
「そこで潰されんためにはどうするかだ」
「どうするんですか」
平田はオウム返しに聞き返した。
「権力者の力をこの手に入れることだ。己の志を実現するためには権力者の後ろ盾を手に入れることだ。だが、ゴマすりばかりじゃできないぞ。信頼だ。一生懸命いい仕事をして信頼を得ることだ。それでも人はそれをゴマすりと言う。そういう言い方で誹謗し出る杭の足を引っ張るのさ」
「なんかいやですね」
「じゃが、志が高ければ胸を張っていい。己の出世のためではなく志を実現するためなんや。清潔さや青臭い正義感だけで生きていければ苦労はないが、ガムシャラな泥臭さもなければ組織にスポイルされる。それが現実だ」
平田は浮田との確執を思い出した。
山陰工場の建設に最後まで反対を唱えたため、推進者である浮田の琴線に触れ左遷という憂き目にあった。初めは平田の支持者だった直属課長の山本も浮田の懐柔で簡単に推進側に寝返り、しかも山陰工場完成時には工場長に納まってしまった。それを見ていた製造部全員が平田をスケープゴートに祭り上げ浮田への一層の媚び諂いを強めた。
しかし平田は、それが青臭い正義感だけではなかったような気がする。むしろ浮田の金や権力に執着する意地汚さを嫌悪したからではないか。浮田という人間が嫌いだったから最後まで抗ってきたように思える。他の人だったら、もっと何か納得の付けようを探したであろう。そんな気がするのだ。
「そんな社内抵抗に遭って潰れていく人間はいくらでもいるんだぜ。鬱になったり頭が真っ白になったり禿げ上がったり」
過去にそんな経験をした平田は強くそう思うところはあった。
ただ、新田が言っているのは個人だけじゃなく、組織的にそうした勢力や風潮ができることを言っている。
「それでもなお正義をかざし貫こうと思えば、それを理解し志を同じくする上司の後ろ盾が必要だ」
新田は少し間を置き、改めて強く言った。
「ここが大事だ。志を同じくする上司と巡り合えるか。そして通じ合えるかだ」
それはそのとおりだ。上司の後ろ盾がなければ仕事なんてできるわけがない。人事に来てからの平田は特にそう思うところがある。思い切り仕事をさせてもらっている今は、人の何倍も恵まれていると思っている。

“人間一度は悲哀を味わってみるのもいいもんだ。順風満帆に人生を送っていては、今の幸せを感じることはできない。幸せと思えるから今の仕事に没頭できる。
川岸に拾われ、丸山もよく可愛がってくれ、新田もよく使ってくれる。サラリーマン人生の中で今が一番充実しているときかもしれない。人間生き生きと仕事が出来るときが一番輝いているときだ。
自分は憂き目に遭っているときも腐らなかった。まじめに働き一生懸命会社を思ってきた。それが吉田や豊岡たちとの出会いを作り、川岸の目に留まり、後藤田との親交が深まった。そして今がある。真面目でありさえすれば必ずチャンスがあるとは言えないが、真面目でなければチャンスはけして来ない。天の目がある”

「俺やら丸さんを大いに利用すればいい」
この一言は平田をとても勇気つけた。
以前には川岸からも同じことを言われ、大いに張り切った。
“しかし、……”
その盟約は今も健在なのだろうか。少し頼りなくなってきている。新田に言われて、ふと川岸との盟約を回想した。
川岸が総合企画本部へ移り、新田が管理本部長になってからは、人事部とは疎遠になりつつある。
役員同士は出世競争という鍔を迫り合わせ、他部署の業務や人間に干渉することをためらっている。かってのようにあからさまな個別攻撃や足の引っ張り合いはないが、積極的に協力し合うこともなく共同戦線を張って助け合うこともない。
そんな中、日ごろの身の処し方にはどの役員も細心の注意を払っている。
特に川岸は、かって派閥形成について「梁山泊になるなよ」と樋口から一本釘を刺されており、それ以来、開催の時期や場所などト金会の運営には神経を使っている。
いくら有志の会とはいっても川岸自身の地位が上がるにつれ、また本社のメンバーが増えてきたことで自然の成り行きとしてその存在が派閥的意味合いを帯びてくるのは致し方ない。川岸はそのことを懸念して距離を置き始めト金会の開催は間隔が空き始めた。
また、川岸が企画本部の管掌になり荻野が川岸の参謀的存在に代わってきたとき、平田や高瀬らとの距離が微妙に広がった。そして、その高瀬も地区の総務課長に転出させられた。
派閥という論理で見たとき、忠誠に対する庇護、服従に対する昇進、つまり領袖と信奉者の信頼関係は絶対条件であり、そのどれか一つでも疑念や不信が生じると派閥としての枠組みは成り立たない。派閥とはそれほど厳しく絶対的なものだ。
ト金会にはそもそもそうした条件が成り立っていたのかどうか。メンバー個々の、どこか群れなそうとする弱い心が勝手にそう思い込ませていただけなのかもしれない、あやふやなままの会だった。もっとも、「我々は派閥です」と公言して存在する派閥もないが。
高瀬の転出を擁護する者は、結局誰もいなかった。
この人事に派閥論理が働かなかったことを意味する。あくまでも有志の会であることを曲げないためには、川岸自身がこの人事に手を染めることはできない。高瀬を擁護するためには自部署に引き取るしかないが、総合企画ができるほどの才覚があるとは思えない。他部署が手を上げてくれない限り押し付けるわけにもいかない。
こうした一連の出来事を敏感に肌で感じたト金会メンバーの中に、微妙な間隙が入り込んできた。
川岸と新田の関係がライバル性を強めてきた最近は、むしろその存在が逆風に働こうとしているようで、もはや部署も違う川岸に平田が昔の盟約を頼りにするのはむしろ厚かましい甘えのようだ。平田も少しずつ他人行儀にならざるを得なかった。
反面、新田との距離は急速に縮まった。
「俺がなぜお前に期待するかわかるか。お前の人間性が制度に出ると思うからだ。お前の経験にかけている」
「私は特に何もありません。丸山部長にも申し上げましたが、ただ一心にいい人事にしたいだけです」
「それでいい。思い切りやってくれ」
新田とは、係長・主任制度や平田の新居の話あたりから少しずつ打ち解けはじめていたのだが、ここまで明確に言ってもらえたことは大いに頼もしかった。
新田はその後も平田をよく使い、経営の立場や考え、会社の方向など積極的に平田にインプットしていった。

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