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正反対の正

更新 2016.06.08(作成 2012.10.25)

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第6章 正気堂々 61.正反対の正

新田は何事もよく考える。どんな案件にも自分のアイディアやプランを持っており、それを素直に部下とぶつけ合う。そうした議論を交わすことで自分の考えをさらに深化させているようだ。
それに稀に見る勉強家だ。ビジネス書から小説、果ては週刊誌に至る雑多なものまで実によく勉強している。勉強家といえば真面目ながり勉を想起させるが、そうではなくて読書家といったほうが近い。目に付いたものを手当たり次第に読みあさり、社内随一の博覧強記だ。そうして得た知識を有機的に結合させ、新田独特の世界観を形成させている。学術的テクニカルだけでなく、当然のことだが社会情勢や時事問題にも精通しているから大局的判断も的確だ。
「新幹線って今や300kmを達成しているやないか」
「はい……」
唐突に本題とはかけ離れた題材が俎上に上がった。こういう切り出し方の時はなにか含みがある。
「車両を軽くしたり、モーターを開発したり、空気抵抗を少なくしたり、早く走るための技術開発は目を見張るものがある」
「そうですね」
近頃、新田の知識やアイディアに接するのが楽しくなってきた平田は、この先どんな展開になるのかと期待した。
「ところがだな、正面ばかりを見ていても見えないものもあるんだよ。そんな自省もいるぞ」
「……」
平田には何のことかわからなかったが、何やら含みがありそうだ。。
「物事は、正反対のことをうまく制御して成功していくものだ。新幹線は300kmをめざしているが、早いだけではダメだ。そのスピードを安全にコントロールし静止させる技術が確立して300kmが達成される。陰では、300kmのスピードに耐える軌道敷設技術も要る。正と負、陰と陽があって初めて物事は成り立つんだよ」
この論理も何かの本の引用のようだが、ただの受け売りではなく自分の哲学や信念の中に消化しているところが好感が持てた。
“確かにそういうこともある”
平田はうなずきながら、その論理が人事制度の設計の中で、どんな結び付きや構造になるのかと考えを巡らせていた。
「人事制度も同じだ。成果や実力主義ばかり言っているが年功や経験が完全に無用になったわけではないだろう。それも現実にあるじゃないか。それらに支えられて今日まで来たしそれらの積み重ねで今がある。それを上手く調和させろ。一面だけを強調する風潮は大手業者の商業ベースに煽られた現代企業の主体性の欠如の表れだよ。賃金も偏り過ぎると上手くない。評価で大きく動く部分がある反面、それを支える安定した部分があって初めて上手くいく」
“なるほどそういうことか”
やっと新田の意図が理解できた。
「いいものは、人に優しい。ただ、優しいだけでなく、真の意味で優しくなければ本物ではない」
だが、新田の言う本当の優しさに気づくのはもっと後になってのことだ。それは、雇用の維持という究極の問題に直面したときだ。新田は社内の労務構成を考えていずれ来るであろうその日のことを言っている。
「確かにそうですね」
平田は心の中で“なるほど”と感心しながら話に乗っていった。
「人間ってなーものはな、欲は深いし厚かましいものでな、悲しい生き物なんだよ。自分の力がなくても評価を下げられれば腐るし人の栄達は妬む。どんなに相手が優れていても認めたがらないし、どこか欠点を見つけてはあげつらい、自分より下に押し込んでしまおうとする。自分を越えようとする出る杭は打つ。特にサラリーマン根性ってなーそんなもんだ」
新田は、人間の本性を独特の慧眼で曝け出す。
「人間の活力の源がなにかと言うとだな、自慢かな。人より優位に立ちたい。自慢したい。偉ぶりたい、ってのが本質だよ」
確かにそうした一面はあると思う。それをバネに頑張っているのは事実だろう。だがそれは、どちらかというと人間の醜い欲の部分だ。だから、多くの人がそれをひた隠しにし、向上心として切磋琢磨している。
ただ、そうした人間の内面をサラリと言うところがこの男の魅力であり、平田にはなんか面白いと思わせた。
「だからそれを処遇のどこかで実感できればそんなに賃金を振れさすこともないと思うがな。うちの会社は国立大を出た者から高卒者まで幅の広い人間構成だろ。大半が高卒者だ。それらの者に成果給だ実力給だのとやたらドラスティックな制度を当てはめたら組織が荒ぶぞ。むしろある程度安定した部分があったほうが安心して仕事ができるし、組織としては落ち着くんじゃないか。人事制度は人間学だよ。人間に対する見方、考え方、哲学だな」
この考えは視点は違うが後藤田が言っていたことと相通ずるものがあると平田は思った。後藤田は、「ダメな社員にもう一度頑張ってみようかと思わせる制度がいい制度だ」と言っていた。
「はい。藤井さんからも同じようなことを言われています。しかしそれじゃ、一度つまずくと一生挽回できないんですよ。それに今の役割とか貢献度とか実力の価値と乖離したものになって、今の頑張りに結びついておりません」
「そこが工夫だよ。制度は賃金だけじゃないだろ。資格や役職制度など総合的なまとまりの中でキラリとした一つのポリシーが光っていればいい。目に見えない心を形(制度)にするのは難しいが、お前だったらできるさ。考えてみろよ」
このとき新田は、平田の心の中にある何かに期待していた。
「はぁ……」
平田は生半可な相づちを打ちながら、
“これは大変大事なことを忘れていたかもしれない。自分が思い描いていたいい人事にするための基本部分だ。目先の些事に拘りすぎていた。賃金についても今考えている制度イメージを少し修正しなければならないかな。そうすれば藤井との考えの溝は埋まる”
新田のサゼッションは平田に新しい展開を示唆するものとなった。
“年令給は要る”
その上に乗るフィールドで勝負だ。平田の腹は決まった。
新田との話の面白さはこういうところだった。藤井との議論でもまとまらなかった論点を、新田は平田に決断させた。
「ただ、いずれにせよ少し急いでくれ」
「はぁ。なにか特別な理由とかがあるんですか」
「いや、そうじゃないが日本全体の経済状況が怪しいし、わが社の業績にも閉塞感があるだろう。少し翳りも出てきた」
「はい」
「マル水も水面ギリギリらしい。うちにもいつどんな形で無理難題を投げかけられるかわからん。今のうちにいろんなことを整備し近代化して力をつけておきたんだ」
「はい」
「そういう意味ではお前の役割は大きいぞ。しっかりやってくれ」
「頼む」とは言わないのが新田だ。後は自分で頑張れ。自分のポジションは自分で守れと言っているようだ。
しかし、平田はこういう関係が好きだ。派閥だ、親分子分だとベッタリした関係よりも、考え方や生き方で繋がり合えるほうが負担がない。
なぜなら、平田にとって派閥というのは絶対的忠誠心の塊のように思えて窮屈でならないからだ。企業運営の方針や人事についても領袖の考えに露ほどの異論も見せられない。結構厳しいものがある。
更に新田は興味深いことを語り始めた。

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