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貧乏くじ

更新 2016.05.23(作成 2009.07.15)

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第5章 苦闘 15. 貧乏くじ

「組合を受けたときはどうだった。知り尽くしていたのか。自信があったのか」
「全くありませんでした。だからがむしゃらに勉強しました。女房が心配するほどでした」
「人事も同じや。もはや人事部の人間だ。その思案を会社でしてほしい。そして、それを考えるのは高い志を持つ者でなければならなんのや。自分のことしか考えない奴にやらされん。世の中まだまだ動くぞ」
川岸は、まだまだ会社が動乱期であり、自分が活躍するチャンスがたくさんあることを喜んでいるふうだ。平田も退屈な平穏期より激動の時代が好きだ。何だかワクワクする。川岸の気持ちがよくわかった。
「それで、何をしたらいいんですか。課長に聞いても何だか訳わからんし、西山さんに聞いても『俺じゃだめだったんよ』としか言ってくれません」
「あいつらじゃダメだからお前を呼んだんや。バカばっかりや」川岸はそう言ってグッとビールを飲み干した。
平田はビールを注いでやりながら、少し寂しそうなその表情に川岸の憂いを思った。
「今の会社をどう思う。確かに業績は回復した。しかしそれだけでいいのか。社員の心も気質も何も変わっていない。業績はひとえに樋口社長の手腕によるものだ。このままだと、もし樋口社長に何かあったらまた元の木阿弥や。腰ぎんちゃくばっかりで、みんな上役の顔色ばかり見とる。自分で責任を持って何かを成そうとする気概がまるっきりない。何かあるときは、お追従で空騒ぎするだけで根本から物事の本質を考える努力をしない」
川岸は何か深い思案を持っているようだが、平田にはまだよく理解できない。
「会社が儲かったらそれでいいのか。金さえもらえば社員は幸せか。やりがい、生きがい、何よりも会社との信頼がなければ寂しいじゃないか」
“なるほど、そうかもしれない。経済の豊かさばかりを求め、その代償に上役の顔色ばかりを伺うようではそれは飼い犬と同じだ”平田は川岸の言うことをもっともだと思った。
「お互いが信頼し、尊敬し合えるような人間同士になりたいもんだ。自らの意思や信念に根ざした熱い思いのぶつかり合いが社員を鍛え、会社を強くすると思わないか。社員が自分で考え、自分の力で歩き出したらどんな困難でも乗り越えられると思う。右向けと言われれば1年でも2年でも右を向いているような、ロボットのような腰ぎんちゃくはもう要らんぞ」
「本当ですね。そうなれたら嬉しいですね」平田は川岸の思いに共感を覚えた。
「しかし、どうやってそれを実現していくんですか」
「これは人事に対する俺の理想のようなものなんだ。これを目指すには人事政策の基本的考えがなければならない。俺はそう思っている。それをお前がやるんよ」
「そんな……。私にそんな大それた改革なんかできませんよ」
「自分一人でやるわけじゃない。俺を動かせばいい。自分の知恵だけを頼むことはない。俺はこの会社を良くしたいんや。お前はそれを制度面から後押ししてくれ。高瀬は心情面で活用する。これでハードとソフトの両方が揃う。お前たちは俺の懐刀だと思っている。俺に力を貸してくれ」川岸の言葉には熱がこもっていた。
平田は難しいと思ったが今更引き下がれない。
「力になるかどうかわかりませんが、私にできることは、ただひたすらに会社のためを思うことだけです。そのため浮田常務の勘気にも触れました。しかし、不器用な私に今更それ以外の生き方はありません。例え部長でも為にならないと思えば諌言申し上げるかもしれません」
「願ってもないことや。それでいいんよ。目指すところは同じや。しかし、俺だって思うところはある。大いにぶつかり合おう」
平田は川岸の顔をしっかりと見据えてうなずいた。
「今の人事部を見てみなさい。馬鹿ばっかりやが一番高いところに張り付いている。ごますり人事の名残や。人事が自らいい思いをしたんでは現場は付いてこない。人事は最後でないといかん」
「だから貧乏くじですか」やっと腑に落ちたように平田はつぶやいた。
「不服かね」
「いえ、元々功名のためを考えるのであればもっと上手く立ち回ります」平田は初めからそんなこと期待していないというふうに笑ってみせた。
そして平田は、このときハッキリ意識した。
“功名のために働いたらそれは必ず虚しくなる。それよりも自分の働きがどのように役立ち、どのように効果があり、どのように会社が変わっていくのか。そんなことを楽しむほうがよほど充実感がある”そう確信した。
「さっきも言ったように人事から会社を変えたい。そのためにはどんな人事であるべきか。それがわからん。その根幹を持っているのがお前というわけや」
「私にもわかりませんよ」
「いいんだ。わからなければ学べばいい。何が会社のためか。会社はどうあるべきかそれのみ考えてくれ。人事の全てを変えていい。任せる。それができるのはお前しかいない。お前の経験が生きた制度を作る。いいか、このままこの現状を座視していいわけがない。お前の覚悟が会社を変える原動力だ」
「……」平田は無言のまま“ウーン。難しい”と唸った。期待はあまりにも大き過ぎる。
「制度がお粗末と言ったのはお前だぞ。攘夷を叫ぶのはいかにも雄雄しい。しかし、それだけではダメだ。地に足をつけた活動が大事だ。やると決めたことをやろう。立場が違うだけや。改革は俺たち若い者の務めやないか」
“仕方がない。頑張ってみよう。どうせ人は夢や理想を求めて生きている。俺も情熱を傾ける新たな夢が要る。この夢に乗ってみよう”
そう思うと自分の役割もわかってきた。
天は試練だけを与えたもうのではない。命を燃やす新たな夢がそこにあった。
“やるしかないか” 平田は覚悟を決めた。
「高瀬とお前は2人で1人や。高瀬はあれはあれで使い道がある。実務はお前がやってくれ。仕事は俺が直接オーダーする。お前の骨は俺が拾う。思い切ってやってほしい」
こう言って川岸は握手を求めてきた。
こうして平田は川岸に誓わされた形となり、本当の長い戦いが始まった。

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