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 ホーム > 正気堂々 > 目次INDEX > No.3-7

交渉開始

更新 2006.12.15 (作成 2006.12.15)

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第3章 動く 7.交渉開始

「ところで賞与のことだけど、今年は厳しい状況だということを理解しておいてください。手心を加えてくれとは言いませんが、状況は大変厳しいということを念頭に置いて対処していただきたい」後藤田は、当面気がかりな第2のテーマに入った。
「厳しいといっても、会社がそのように持っていっているんだからしょうがないじゃないですか」吉田は半分茶化すように応じた。
「ただ、それを今更言ってもしょうがありません。ここは大人の対応をお願いしたいと思っています」
「もしかして今日の席は懐柔ですか。それだったら今までの組合となんら変わりません。それなら我々の分はこちらで持ちますよ」作田が、釘を刺すように割り込んだ。
「いやいや、そんな大人気ないことを言わないでください。そんなつもりは毛頭ありません」後藤田も慌てて否定したが、予想される厳しい交渉に組合がどんな手を打ってくるか、“一途な人たちだからな”と心配なのだ。その思いがストレートに交渉の形に現れたら暴走の可能性もある。
「一時金は、つぶさに会社の状況を確認して、お互いにぎりぎりまで議論しつくして決断しましょう。交渉は厳粛なものです。真剣勝負しましょうよ。ここで事前交渉するわけにいきません」吉田はあくまでも真剣に議論したいと願った。
「なるほどね。よくわかりました。少し安心しました」後藤田は、実力行使にならないだろうとの感触を得てソッと胸を撫でた。
「安心してもらってもいけません。要は、組合員が納得する内容の交渉になるかどうかです。そのために全力を尽くします」
「ただ、会社がおかしくなっているのは山陰工場のことばかりじゃないと思います。現場を見てください。皆やる気を失っています」作田が口を挟んだ。現場の状況はよく知っている。
「やる気はあるでしょう。みんな頑張ってくれているように思いますよ」
「表面はそうかもしれませんが、陰では不平不満が充満しています。営業政策にしてもおざなりに流しているだけですよ。面従腹背とはこのことです」
「なぜ、そんなことになっているんだろうか」
「そりゃ、経営者がつまらんからですよ。経営者が私腹を肥やすことばかり考えて、業者と飲み歩いたり接待ゴルフに明け暮れていたんじゃ、社員はやる気が起きるわけないじゃないですか。上から下まで会社が倦(う)んでいるんですよ」こういうときの作田は辛辣である。
「ウン。しかし、我々にもいろいろ事情があるんだよ。業者さんと仲良くすることも、相場の見通しや他社の動向など情報を仕入れる手段として大事なんだよ」
「そんなまじめな役員なんかいやしませんよ。皆、業者とつるんで甘い汁を吸っているだけじゃないですか」と豊岡も加勢した。
「おいおい。俺たちも役員だぜ」と河村が混ぜっ返したものだから、
「お二人は別です」と、豊岡がすかさず否定したので笑いを誘った。
「そんなことも少しずつ話していきましょう。人心は私たちが必ずつかみます」吉田は決意を語った。
本来、ガバナンスは職制をとおして機能するか、あるいは強烈なリーダーのカリスマ性に準拠しているものだが、組合リーダーの人間的魅力によっても発揮される要素は十分ある。
後藤田と河村は、“彼ならやるかもしれない”と黙ってうなずいた。

かれこれ2時間近くも経ったであろうか、酔いもだいぶ回ってきた。吉田や豊岡は元来陽気な性格である。座が砕けてくるにつれて彼らのキャラクターが爆発し、仲居たちも巻き込んで大賑わいの座敷となった。
例の狸踊りや裸踊りに加え、豊岡が髭ダンスまで披露してドンちゃん騒ぎでお開きとなった。
「委員長、そろそろ失礼しましょう」豊岡は料亭の若旦那らしく、こうした場での処し方を心得ている。社内では上下関係だが、今日は組織の代表としてのお招きである。招待されたほうからケジメをつけなければ後藤田の顔が立たない。
吉田ら4人は正座に姿勢を正し、
「専務、今日は大変ありがとうございました。会社側とパイプが繋がって良かったと思います。私たちも精一杯頑張りますので、会社もお願いします」吉田があいさつした。
「いやいや、こちらこそよく来てくれました。お互いを知り得たことは大変意義があったと思います。道は険しいものがありますが、よろしくお願いします」
後藤田の締めでお開きとなった。
玄関には女将が見送りに出ていて、手土産にスシ折が2人分ずつ待たされた。本人と奥さんの分という意味であろうかと平田は考えた。お土産付きの接待など初めてである。
“業者の接待もこんなかもしれない”
玄関を出ると、門の外にはタクシーが待っていた。
来るときには気が付かなかったが、見越しの松に冠木門である。
“街の真ん中に今時こんな佇まいもあるのだな”と、平田は感心しながらタクシーの背もたれに深く身を沈めた。心地よい疲労に目を閉じながら、後藤田のことを考えた。
“専務はどう思っただろうか”そんな思いもあって、無邪気にはしゃぎ回る気にはなれなかったが、
“少しは好意的に受け止めてくれていそうだな”と、まだ快晴とはいかなかったが少し胸を撫で下ろした。
“それにしてもすごいもてなしだったな。一体いくら掛かるんだろう。生涯自分の金で来ることはないだろうな”と初めての体験を思い返した。
“今までの組合幹部もずっとこんなことをしてもらっていたんだろうか。こんなことに金を使うから会社が苦しいんだよ”平田は「労働貴族」という言葉を思い出して顔を歪めた。
しかし、真実は後藤田が吉田らの人間性と情熱を高く評価し、敬意を表す形として自らセッティングしたことを平田は汲み取れなかった。

11月26日(火)、ついに一時金の回答日となり、交渉が開始された。
交渉は、会社の業績不振を理由とした低回答と、多数のプロモーションをやらされた多忙感から正当な報酬だとする組合の主張が真っ向から対立し、厳しい交渉になるだろうことが容易に予想された。
最初の団交は午後2時からと設定されている。会社が、午前中の役員会で会社意思を確認し、それを持って回答するためである。これも習わしとなっている。
会社側の交渉メンバーは、筒井人事部長、平野人事課長と、実務担当の西山悟主任である。
組合側は、10名の執行委員全員で臨む。数を頼むわけではないが現場の意見を言わせたり、逆に交渉の雰囲気をフィードバックするためである。
交渉のスタイルは組合によってさまざまで、終始三役だけで行うところもある。中国食品労働組合では、交渉が煮詰まってきて最終決断の段階に来たとき、執行委員の間での温度差をなくすため全員で臨むようにしている。
場所は、労使懇談会が行われた本社会議室だ。この部屋は、今日からおよそ想定される交渉期間の間人事部が押さえている。いつ組合から団交の申し入れがあっても対応できるようにするためだ。
2時ちょうどに交渉は開始された。

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