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更新 2016.04.19 (作成 2006.09.15)

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第2章 雌伏のとき 34.通知

「今、平田さんが言ったように、一時金は賃金の後払い的要素と業績配分要素の両方を包含しているという考え方でどうでしょうか。そして、要求はあくまでも組合主張の正当性を具現化したものだと。その上で今一時金要求をどうするのか、考えていきたいと思いますが」作田がうまくまとめた。
「それでいいんじゃないですか。まだ、ハッキリとした性格論争が決着してない状況なので、我々だけが後払いと突っ張ってみても通用しないと思います」こうした結論で大体のコンセンサスを得た。
「それでは、具体的に要求をどうしましょうか」作田が、やっと本題に戻れたとホッとした顔で進行した。
「どっちにしても業績配分は期待できない状況なので、賃金部長の素案どおりでいいんじゃないですか」
「しょうがないよね」それぞれに、納得の口ぶりである。
「ということで、委員長どうですかね」と、作田が吉田の決断を仰いだ。
「はい、それでいきましょう。しかし、それでも厳しい交渉になると思っておいてください。私たちの本当の活動がこれから始まります。よろしくお願いします」
「うん。そうなるやろね」みんなも覚悟を新たにした様子である。

一時金要求の組合案は固まったが、平田には一時金の性格付けという新たな課題が覆いかぶさってきたように思えた。
“これからもこうした論議は繰り返されるだろうし、要求基準の見直しというテーマの中で、賃金、諸手当、一時金の定義を整理しなければならなくなるだろう”と考え、大変な事になったと改めて気が重くなった。

一時金とは、組合独自の言い方である。要は賞与のことである。
戦後間もない日本経済がやっと立ち直り始めたころ、企業も苦しく、労働条件は劣悪な時代があった。GHQ(敗戦国である日本を統治した連合国の最高司令部)の政策で日本の民主化が進められ、企業内組合が次々と誕生していったが、賃金水準は低く、労働者もやっとその日の暮らしができるかどうかの時代が続いていた。賃金も現金支給のみならず、現物支給なども珍しくない時代である。労働者は、正月を迎えるためや帰省のために、一時(いっとき)の間を凌ぐ資金が欲しかった。労働組合も雇用を守るのが精一杯で、今のようにベースアップや高額な賞与の要求など思いもよらない時代である。なんとか正月を凌ぐ賃金を要求した。それが始まりである。一時(いっとき)を凌ぐ賃金、それが一時金と言われるようになった。
こうした派生の経緯から、組合は一時金であるから賃金の後払いと言い、会社は業績の裏づけがあってはじめて支払えるものであるから賞与と言う。
この論議はいつまでいってもかみ合わないものであろう。
ただ、マスコミや書物までもが一時金と言うのはなぜであろう。
これは、筆者の考えであるが、賃金の後払いならなぜ後にもらわず月例でもらうように修正行動しないのか。支払い余力を確認してもらうのであれば業績配分かもしれない、と考えるのは筆者だけか。
この論議は世界一の賃金水準になった今になっては、意味のないことのように思える。いずれにしても金に違いはなく、労働の対価として広い意味での賃金には違いない。

週が変わった10月28日、平田はいつもどおり仕事をしていた。
この時期は企画部から次年度の予算作りの要請が来ていた。平田は全工場の損益を管理していたから、工場の全ての経費項目と、移受間価格による工場の売り上げを算出し、工場ごとの損益予算を算出しなければならない。自らが管理する経費費目は自ら算出するが、修繕費のような技術項目は技術課に頼んで出してもらう。
そうした作業をしているとき、浮田と会議室で話し込んでいた楢崎が、
「平田さん、常務がお呼びです。会議室に行ってください」と、入れ替わりに呼びにきた。
“また、何か嫌なことでも言われるんやろな”と、重い気持ちで会議室に入っていった。
「この前はお疲れさんだったな。まぁ座りなさい」浮田にその気がないことは見え見えだったが、平田は言われるまま「いえ」とだけ簡単に答えて、向かい側のソファに座った。
「実はな、君も組合の三役になって大変やろうと思うわけだ。これから、賞与や春闘と忙しくなるやろ。といって仕事を遅らせるわけにもいかんしな。特に、君の仕事は誰でも簡単にできる仕事じゃないし、君が組合でいないときに何かあったら困るわけよ。そこでやな、君には少し楽な仕事に替わってもらおうと思うわけだ」浮田は、鷹揚な言い方をした。
「しかし、組合活動は基本的には時間外ですし、仕事のほうもそれほど忙しくないと思いますが」
「まぁ、今はそうかもしれんが、何かあってからでは遅いわけだ」
“何を言ってもだめだな”と、平田は思った。
「そこで、君には広島工場の品質管理をやってもらおうと思うんだよ。あそこなら仮に君が抜けても誰か代わりはいるし、仕事も時間がきっちりしてるから、君もやりやすいと思う」
“そうか、そんなことを考えていたのか。懇談会の『仕事も大変やからな』と言ったのはこのことか。そんなことだとわかっていたら、酒など注ぎにいくんじゃなかった”と、些細なそんなことまでもが悔しく思われた。
しかし、“ついに来るべきものが来たな。仕事が忙しいなんてのは付け足しの屁理屈じゃ。山陰工場で反対した俺が目障りなだけやろ。クソッ”とこぶしを握り締めていた。
「後任は水沼富士夫に決まったから、今週と来週で引継ぎをしてくれ」
「そうですか」と言うのが精一杯で、平田は何も言う気がしなかった。
席に戻った平田は、周りの雰囲気が白々しいのを感じた。既に漏れ知っているのか、それとも“また何かあったな”と探りの神経をとがらせているのか、しんと静まり返っている。上目使いに平田を見る目がどこか探るように鋭いのを感じた。まるで晒し者にされているような気分である。平田は居たたまれなかった。
“ついさっきまで一緒に仕事していたのに、こんなものなのか。一緒に飲んだり遊んだりしたじゃないか”そう思うと寂しかった。
しかし、彼らもまた、“明日はわが身”とサラリーマンの悲哀を感じているに違いなかった。落ち度があるなしとか、正義があるなしに関係なく、上司の方針に添うかどうかだけで、運命を分けることもあるのだと。

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