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歓待

更新 2007.10.25(作成 2007.10.25)

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第3章 動く 38.歓待

平田のオルグ活動は1週間だった。久しぶりに我が家に帰り、思う存分手足を伸ばした。子供たちの元気な顔が何よりの疲労回復剤だった。
そんなとき、妻が、
「お父さん、疲れとるところ悪いんだけど、7月の末に九州の父と母が来るって言うんよ。いいかね」と報告してきた。
「いいも悪いもないよ。せっかく来てくれるんなら大いに歓迎しようよ。日程は?」
「7月31日に来て8月5日に帰るんだって」
両親も、娘の術後の経過が気になるし、顔を見たいのであろう。今度は2人そろって来るという。妻の手術のときは大変な世話になったのだ、御礼の意味もある。心を込めてもてなそう、平田はそう思った。
“要求基準も大体目鼻が付いたし、それまでに片付けておこう”
「それでね、お父さんがジャイアンツとカープの試合が見たいって言うのよ。なんとかなるかね」
なるほど、試合日程を見るとその週末はジャイアンツとの3連戦が組んである。
「そうか、それはいいね。うん、絶対なんとかしよう」
夏休み、週末の巨人戦、ゴールデンカードだ。並みのことではチケットが手に入らない。しかしせっかく九州から出てくるのだ、外野席じゃ可哀想だ。せめて内野席、できれば選手の顔が見えるところにしてやりたかった。
微かな望みは、義父がジャイアンツファンであることだ。3塁側なら、もしかしたらなんとかなるかもしれなかった。
週明け、平田は広告宣伝課に行き、なんとか手配できないかと頼んでみた。
「あー、そりゃムリムリ」とけんもほろろに断られた。
“なにもそんな無下に断らなくてもいいやろ。無理なことは百も承知の上だ”と恨めしかった。
前から、あまり反りの合わない相手だった。
“頼む相手を間違えた”と、さっさと切り上げた。
次に営業課に行った。ディーラーさんの招待用があるはずなのだが、すでに配布済みとのことだった。
「なんか手に入る方法はないですかね」
「有料でもいいんですか」
「もちろんです。実は九州から義父が出てくるんですよ。それで試合が見たいって言うもんですから、なんとか見せてやりたくて」
「親孝行するわけですね。それじゃね、球場と取引している営業所に頼んでみるからちょっと待ってな。何枚要るんですか」営業課長は電話してくれた。
しばらく所長と話していたが、受話器の通話口を押さえて、
「何曜日でもいいかい」と平田の顔を見て聞いてきた。
「そのカードならいつでもいいです。できたら3塁側をお願いします」平田がそう言うと、また電話に戻った。
「なんとかなるやろということだから。チケットが届いたら連絡するよ」
「ありがとうございます。助かりました」平田はなんとか面目を保つことができた。
“営業課長には大きな借りができたな。今回は借りを受けたが、逆に借りを作っておくのも男気かもしれない。その分だけ人間が大きくなれる”
また、“男気論”が平田の脳裏に蘇った。
“結局、人間は人の役に立つために生きているんだもんな”

8月2日の土曜日。平田は妻の両親に鮎を食べさせたくて、朝早くから川に入った。この時期の鮎は、土用隠れといってなかなか釣りにくい。川の水量が減り、人の気配で鮎が散ってしまうのだ。それでも、最低両親が食べる分だけ釣ればいいのだから気は楽だった。
この時期になると釣り人も少なくなる。解禁のころは、みんながせきを切ったように一斉に川に入りたがるから、なかなかいいポイントを確保するのが難しいが、この時期になるとみんな一通り楽しんだ後だから、我先にというほど人がいない。ちょっと早めに家を出ると十分好きなポイントで釣ることができる。
細心の注意を払って川に入り、そっとオトリ鮎を放す。この瞬間がたまらない。オトリ鮎は元気に泳いでくれるだろうか。野鮎は十分いるだろうか。緊張の一瞬である。今日の釣果はこの1匹から始まる。
“しっかりお友達を連れておいで”期待を託してオトリを放つ。
最初の1匹が肝心だ。鮎の友釣りは循環の釣りといって、野鮎が釣れたらその野鮎を次のオトリにして次々に循環していくのだ。成魚の鮎は大体1m四方くらいの自分の縄張りを持ち、そこに入ってきた他の鮎を体当たりで攻撃して追い出そうとする。氷河期を生き延びる段階で、自分の餌場を確保するために身に付けた悲しい習性が本能化したものだと聞く。友釣りはその習性を利用したもので、オトリ鮎に掛け針を引かせ、野鮎のいそうなところを泳がせ、攻撃してきた野鮎が掛け針に掛かるという仕組みだ。野鮎もよく知っていて、弱ったオトリには見向きもしない。ところが元気のいいオトリが近づいてくると猛烈なアタックをかけてくる。自分のテリトリーを取られると思うのだろう。だから元気なオトリでないと釣れないのだ。
針に掛かると10mの竿が一気にしなる。逃げ惑う野鮎に引きずり回されたオトリは1回釣るとほぼ青色吐息で上がってくる。オトリにならない。今釣った野鮎が次のオトリになる循環の始まりである。こうして最初の野鮎がうまく釣れたら、好循環で釣果が上がる。
この時期の川は、川面を渡ってくる沢風がなんとも気持ちいい。静かに自然の中に身を溶け込ませていると、カジカ蛙のよく澄んだきれいな泣き声が、静かさを制するかのように川中に響き渡る。海は海、川は川でいろいろな趣を楽しませてくれ、釣りは人間が考えた最高の遊びだ。
この日は、結構釣れた。夕食には鮎づくしの料理が並んだ。なんといっても塩焼きだ。やはりこれが一番うまい。昼過ぎに帰ってきた平田は、炭火を起こし塩焼きの準備をした。両親に喜んでもらおうと一生懸命だった。
南蛮漬けに鮎の炊き込みご飯に味噌汁と、鮎を堪能してもらった。
両親も喜んでくれた。平田の、してやりたい気持ちが通じたのである。翌日の昼には冷ソーメンのダシに入れた。これもまた珍味で喜ばれた。

野球観戦は日曜日のナイターだった。上の子を連れ、両親と4人で出かけた。チケットは3枚しかなかったが、まだ小さいし膝に抱っこするからと、係員に無理を頼むと入れてくれた。
席は3塁側ベンチの少し上だったが、選手の顔や動きがよく見えた。九州ではめったに見れない公式戦、ビールを片手にメガホンを打ちながら両親は楽しんでくれた。
8月4日月曜日、明日はもう両親が帰る日である。平田は休みをもらって両親を帝釈峡に案内した。暑い最中にごちゃごちゃした人ごみより静かなところがいいだろうと考えた。車で高速を使って1時間半の距離である。観光シーズンはやはり秋の紅葉のころであるが、暑い夏に涼を求めるのも一興である。神竜湖の遊覧船は、雄大な景観を楽しませてくれ、涼やかな風が体を冷やしてくれた。
平田はできるだけのことをしてやった。
両親も「平田さんに、よくしてもらった」と喜んで帰っていった。
「あれなら、娘も幸せだろう」後日の感想談である。平田も喜んでもらって嬉しかった。数日後、お返しに九州からたくさんの野菜や果物、子供の喜びそうなおやつなどが送られてきた。
子を思う親、親を思う子の絆は、して、されて、糾(あざな)える縄のようなものだ。遠く離れていても心さえあれば通じる。

最近、子が親を殺め、親が子を捨てるという痛ましい事件が多い。
人は、愛されたことがあるから人を愛することができる。パソコンやゲームに子育てを任せていては、人間さえも簡単にリセットしたり、クリアしたり、キャンセルするような、心のない人間が育ってしまう気がしてならない。けして、人を愛せる人間は育たない。
また、勉強にしてもスポーツにしても、人は愛されているからこそ、辛さに耐え、頑張れる。
世の親たちよ、甘やかしや放任でなく、しっかり子供を愛してほしい。子供は親の言うとおりには育たない。親のするとおりに育つ。親の背を見て子は育つと言われる所以である。
企業内の人材育成もまた同じではなかろうか。上司に、教育担当者に、何よりも会社自体に社員を思う愛がなければ社員は育たない。やれ教育カリキュラムだの通信教育だのとシステム任せになっていないだろうか。ゲーム人間のような点数稼ぎの社員か、あるいは血の通わないシステマチックな社員ばかりが育ってしまう気がしてならない。社員一人ひとりの成長を願う気持ち、愛を持って見つめる目があってのシステムでなければならない。
先輩に鍛えられ、部下を育てる素地が綿々と受け継がれる、そんなDNAが企業内に根付くことを願ってやまない。愛がなければ、鍛えることに社員は応えない。家庭内であれ、企業内であれ、育てられた経験が人を育てる。

山本五十六元帥が、こう言われている。
“やって見せ、言って聞かせてさせてみせ、褒めてやらねば人は育たじ”
けだし名言ではなかろうか。

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