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オルグ

更新 2007.10.15(作成 2007.10.15)

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第3章 動く 37.オルグ

「それで、私からお願いなんですが、みんなにオルグをやってほしいんです。オルグといっても営業マンへの同乗活動です。キャンペーンの打ちまくりで市場は荒れ放題ですから、我々が一緒になって市場の建て直しをやります。値札付け、品揃え、ポスターの取り付け、在庫の管理、こういうことをみんな忘れていますからもう一度ベーシックに指導していきます。それを主な事業所でやって、組合員や所長と会社の話をしておきたいと思うんです。組合が一緒になって市場の建て直しを手伝ってくれている。そういう雰囲気を作っておきたいんです。それで金丸社長がどう判断されるかです」
「なるほどね。さすが委員長。やりましょう」
「それで三役の人には同乗活動を手分けしてやってもらいたいんです」
「いいですね。やりましょう」みんな意欲的に賛同した。
「ヒーさんは要求基準作りなんかあるけど大丈夫ですか。なんだったら、無理しなくていいですよ」吉田は、平田が技術畑出身なものだから、うまく市場作りをリードできるか、体力的に大丈夫かと気遣ったのだ。
「大丈夫ですよ。1回や2回は行けますよ」
「委員長大丈夫ですよ。平田は結構やりますよ」と、吉田の意を察した豊岡がフォローした。
平田は、業務課長の河原や豊岡から、営業のことも結構勉強させられていた。そのことを豊岡は日常の交わりの中から知っていて言ったのだ。
「これが本当の草の根運動やね」作田は感慨深そうだった。
こうして、吉田らの活動の第2幕が開いた。先日のデモの失敗が、彼らの意識と活動の仕方を大きく変えるターニングポイントだった。

7月の初め、平田もオルグに出た。呉の営業所だった。
呉は石川島播磨重工を中心とした造船と海軍基地で栄えている街である。
かの悲運の戦艦大和を建造したことでも有名である。今は、そのドックの隣に海上自衛隊の潜水艦基地がある。その基地のすぐ前に、最近“大和ミュージアム”なる記念館が建造された。大和の1/10の模型や乗組員の遺書や遺品が展示してある。
映画の撮影に使われたセットは、大きすぎて全体像がつかみきれないが、模型の大和は全体が見渡せる。その大和を目前にした印象は、美しいの一言だ。無駄のない流麗なスタイル、天空にそびえる艦橋の他を圧倒するような凛とした気高さ。当時の技術の高さが偲ばれる。完成度の高い建造物というものは、このように美しさを醸し出すのだろうか。
記念館の展示内容は、戦争の悲惨さを伝えるという点においては抽象化され、広島市内の平和公園にある平和記念資料館に遥かに及ばない。平和記念資料館はすごい。機会があればぜひ見てほしい。原爆のすごさもさることながら、そこまで追い詰めた人間の残酷さが怖くなる。
呉は、山並みが海岸線ぎりぎりまで迫っており、平野が極めて少ない坂の町としても有名だ。それもかなり急である。狭い崖を切り開き、身を寄せ合うように家が建っている。メイン道路以外は車も入れないところがある。人ひとりがやっと通れるような狭い家並みの間を登っていくと、こんな所までと思うほどかなり高いところまで家が建っている。今この家を買いますかと問われたら、とてもその気にはなれないような所であるが、先祖代々受け継いできたとか、放すに放せない事情があるのだろうと想像を逞しくさせられる。
崖が急なため、豪雨のときはよく災害が発生する。青いビニールシートで、崖の崩れを防止しているニュースをテレビで見かける。そのたびにゾッとする思いである。県や市も災害危険地域として指定しているようだ。
平田が同乗した営業マンはこんな市場を毎日回っていた。熊谷和敏という27才の若い営業マンだった。
こんな急斜面にも店舗はある。平地のように気軽に買い物に行けないから、ご近所の人が利用され結構売れるのだという。
しかし、営業マン泣かせである。車が入れない。下の大きな道路から商品を手で運び上げなければならないのだ。平田の同乗手伝いはありがたかった。こんな道路事情では何度も登ったり降りたりはできないから、在庫を見て必要な分だけ運ぶというようなことができない。ある程度見当をつけて運び上げる。要らなければ持って帰ればいいのだが、せっかく持って上がったものはそのまま納品したい。いきおい在庫が膨らみ、エージが古くなる。平田が回ったお店にもそういうことが発生していた。
「熊谷さん、この在庫どうするつもりですか」
「いよいよになったら引き取らにゃいかんようになるでしょうね」
「それだったら、個店プロモーションを提案したらどうかね」
「どういうことですか」
「このお店固有の値引きプロモーションをやるんよ。2個まとめ買いで1割引きの話をご主人に提案するんよ」
「OKしてくれますかね」
「このまま在庫で置いていても回転しないことからすれば、1割引いても2個分が回転するから利益が伸びるやろ。それで在庫をはかせてしまうんよ」
「会社から怒られませんか。勝手に値引き販売したと」
「あなたが値引きしたんじゃない。お店が勝手に値引き販売しただけのことです。怒られるもんですか」
熊谷は、急ごしらえだが手書きのポップを作り、店のご主人に提案した。
結果は上々で、うまく受け入れてくれた。
そんな交渉を横目に、平田は精力的に動いた。ドミナンス効果を高めるために、棚の整理や値札付け、バナーの取り付けやポスターの貼り付けなど、およそセールスマンのやるべきことで、気付いたことはやってあげた。
帰りの車の中、
「平田さん、今日はありがとうございました。助かりました。日ごろできないことが一度に片付きました。しかし、どうして組合がこういうことするんですか。本当は会社がすることじゃないですか」熊谷は聞いた。
「組合がしてもいいじゃないですか。みんなで力を出し合って少しでも会社が良くなればいいんですよ。そしたら我々の交渉も、少しは有利に働くというもんです。文句を言うばかりの組合じゃ、誰も信頼してくれません。実際に今日回って、少しはルートがきれいになったと思いませんか。熊谷さんにもこれを続けてほしいんです。そしてほかのみなさんにも伝えてほしいんです。組合員のみんなが、会社以上に会社のことを思って頑張っているんだということになれば、会社側も誰かが気付くはずです。そうなれば会社が良くなります。お願いします」
こんな三役による草の根運動はあっちこっちで展開された。といっても全事業所のせいぜい3割程度しか回っていないが、噂が噂を呼んでその考え方や会社を思う気持ちが全社に伝播していった。中には、オルグの最後の日になると食事をご馳走してくれる所長すら出てきた。今まで組合なんてと批判的に見ていた管理職クラスも、建前やメンツばかりにこだわる会社よりも、むしろ現実的に対応していく組合のほうを、よほど好意的に受け止めてくれるようになった。吉田らの狙いは見事に当たった。
これを境に管理職から組合への電話が急激に増えた。
「今会社はこんな施策を打っているが、現実がこうなのに意味がない。むしろこうすべきだ。現場の声が全く反映されてないじゃないか」というような、会社の施策に関するものが主だ。
グチとも告げ口ともつかぬが、それはそれで情報としてありがたかった。交渉の材料にはなるし、会社の政策に対するチェック機能を働かせることができる。組合の大事な機能の一つである。
こうした組合の活動を見て、河村が営業部のスタッフに営業所支援を指示した。
「これだよ。こういうことが本社と現場の信頼関係を作るんだよ。営業部の男子社員は全員、1週間の営業所支援に手分けして出るように」
これまで、本社というところは現場から選ばれたエリートの集まりだ、というような思い上がりが強くあり、現場をコントロールしたり、管理するといった支配者意識が強かった。それが、この活動を境に現場は大事な協働者だという意識に変わり始めた。本社の施策を実行してくれるのは現場だ。現場は助け、大事にしなければいけないという意識が芽生え始めた。
汗を流し、地道に努力すれば通じるものだ。吉田らの活動はまた一つ、会社の考えを変えた。

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