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純粋に

更新 2016.06.27(作成 2015.07.24)

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第7章 新生 67.純粋に

1999年1月1日に制度は移行し、セカンドライフ支援制度の申込者も全員退職していった。本社営業部の一部社員が引き継ぎのため1カ月の臨時雇用で残っただけである。
転職支援業者の利用申し込み者は15名となり、1月5日から面接の受け方や履歴書でのスキルの書き方などレクチャーが始まった。
平田も業者の研修現場に出かけ実情をのぞいてみた。受講者はまじめに聞いていたが、平田には少しがっかりするものがあった。
1人当たり7〜80万円の料金の割に内容が乏しかったからである。業者のセールストークでは、あれもこれも充実した内容でとなっていたが実際の研修は会社でやっているMBO研修をアレンジした程度で、人事部スタッフが少し頑張ったり、藤井などに頼めば余程いい研修をやってくれそうである。再就職先の斡旋もハローワークのほうが地元に密着した情報が充実していると思った。
平田は、もっと慎重に決断するべきだったと大いに反省した。ただそれは人事の自分だからで、現場の人たちにはそれなりに参考になるものがあったようだ。要するに料金の割には、ということだ。
参加者たちは、重い荷物を下ろし気が楽になったのだろう、まるでレクリエーションか何かのイベントにでも参加しているようにその表情は明るかった。

退職金制度の移行もセカンドライフ支援制度も無事終わり、賃金改定も終わった。
既に6月も半ばである。この月の4日、東邦生命が破綻した。日産生命に次いで2件目である。
保険会社の経営状況は悲惨だ。不良債権の処理は遅々として進まず、5%を超える予定利率は金利の低下によって逆ザヤとなり、2重の財政悪化を招いていた。80年代のバブル崩壊から10年が経つが未だ日本経済に浮上の兆しはなかった。だが、ITブームと騒がれて一部のIT関連銘柄だけが収益力と乖離した異常な株高を演じていた。
適正株価の目安として一般的にPER(今の株価は1株当たり利益の何倍かを表す)という指標が使われる。通常14〜16倍が妥当なところといわれているが、この時はIT関連と言うだけでもてはやされ企業によっては100倍を超えるものもあった。つまり、100年しないと投資資金に見合う利益を稼がないということである。当然異常値であり、だからバブルである。
翌2000年になるとこのバブルはピークをつけ、弾けた。そして市場では千代田生命、協栄生命が破綻していった。
なぜこんなことが続くのか。日銀が財政を緩めないからである。いくら金利を下げてみたってマネーサプライが伸びなければデフレは収まらないし、景気は良くならない。それどころか、他の先進国が財政を緩めマネーストックを増やしているから相対的に円の希少価値が上がり、円高を招いている。そのため価格競争力を失った日本企業は世界のマーケットで苦戦し、日本経済は浮上しないのだ。さらに自己防衛の企業は円高を背景に挙って海外へ進出し、国内産業の空洞化を招いた。当然採用の窓口は狭くなり、求人倍率は極端に落ち込んだ。大卒の新人でも就職率は6〜7割の状態が続き、派遣社員やフリーターとなって食いつながざるをえなかった。ニートやオタクと呼ばれる若者が増えてきたのもこの頃からだ。
コンピューターの世界では「2000年問題」と世間を騒がせたが、こちらは案外とすんなり年を越した。早くから言われていたのでそれなりに十分な対策が取られたのであろう。

平田は制度を立ち上げ、ほっとした1年を過ごした。仕事にはメリハリがあるがそのメリの部分だ。あのピリピリと張りつめていたのが嘘のようだ。自分を取り戻す優しい時間となった。
だが、それで平田の苦労が終わったわけではなかった。人生を大きく変える出来事が待っていた。
平田は人事制度の精度を、反省を込めて見つめ直していた。誠心誠意自分の信じるところを織り込んだつもりであったが、どこかに現実や役員の横槍に流されたところはなかったか。経営の思惑に負けたところはなかったか。面倒くささや疲労から安易な妥協はなかったか。そんな反省がいつまでも胸の奥に燻った。
平田は、もう一度誰にも邪魔されずに純粋に人事制度に向き合えないものかと考えるようになった。純粋に制度のことだけを考えたらどんな制度になるのであろうか。公平で公正な処遇とはなんなのだろうか。もう一度0から見つめ直してみたい。そんな思いが平田の中で生まれてきた。
時間の経過とともにその妄想は次第に広がっていった。
“どうすればそれはできるのか。本体にいてはそれが無理なことは明白だ。つい1年前、退職金を移行したばかりだ。それじゃ関係会社はどうだ。関係会社も制度を移行したばかりだが、どちらかというと本体の都合を押し付けたところがあったのではないか。純粋に関係会社が独自の立場で考えて制度と向き合ったのか、大いに疑問はある”
そこは確かに修正の余地がありそうだ。
自分で押し付けておきながら甚だ厚かましい考えであるが、自分が関係会社へいけばそれも許されるのではないかと思った。
“関係会社に行くしかない。関係会社に行きたい”そんな思いは日に日に強くなった。
“関係会社ならば一から制度を作り上げることができる”
それは親会社から来たという立場で人事制度のことでは誰も邪魔させない、という傲慢さからの発想であったが、平田はそれでもやりたいとの思いを堪えきれなかった。
そう思うと居ても立ってもおられなくなり、新田に申し出ようと決心した。それは自分の存在意義確認のための居場所探しであった。

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