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運も実力

更新 2013.06.14(作成 2013.06.14)

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第6章 正気堂々 84.運も実力

「俺の3代前のお祖父さんは大身だったらしくてな、村を流れる川に橋がなくて皆が難儀していたんだが、私財を投じて橋を架けたそうな。『○○橋』と言って田舎に帰ると今でもお祖父さんの名前がついた橋が残っている」
平田は、前に丸山の実家が大地主だったことを何かの話で聞いている。
「そうなんですか。それはすごいことですね。なかなかできないことですよね」
「うん。他にも村人のためにいろいろやっていたらしい」
「そうなんですか」
平田と柴田は感心しながら聞いていた。
「そんなご先祖様の徳が回り回って今自分に返ってきているような気がする」
「よくわかります。私も同じ感じなんです」平田は同調した。
「お前は人間の霊魂なんてことを信じるか」
「はい。私はそれらに関して幾つかの信じられないような体験をしていますので、何かしら存在しているような気がします。それが霊魂なのかどうかはわかりませんが、何かしら不思議な力が時々働いているような気がしてなりません」
平田は自分の体験から信じていた。
「そうなんよ。手にとって見たり触ったりするようなものじゃないけど、『気』というレベルで存在しているような気がする」
丸山の言い方にも実感がこもっていた。
「はい。それを証明するほど科学が発展していないだけで、不思議な力が存在していることだけは確かなような気がします。それが神なのか仏なのか、人の霊魂なのかわかりませんが」
「お前もそんなことがあるのか」
「私はすごく生々しい体験があります」
「どんなことですか」
柴田は身を乗り出して聞いてきた。
「いや、それは信じてもらえないから言いません。それこそ神のレベルです」
平田は、どうせ偶然で片付けられると思って詳しくは語らなかった。
「そもそも日本人っておかしいですよね。神も仏もあるものかって不遜に振る舞っていながら、正月には初詣に行き、結婚式では神前でお払いを受け、子供が生まれたら初宮参りや七五三に連れて行き、葬式は仏様にすがり、お盆やお彼岸には墓参りをする。神も仏もいないと信じるのであれば、お墓も葬式も宮参りもいらないはずですよね。それでもどこの家も神棚や仏壇があり、きちんとご先祖様は大事にお祭りしている」
「そうだな。会社だって神棚を祭ってないところはない。合理性を追求していく経済活動に、ただの縁起担ぎならいらないはずだ」
「そもそも宗教ってなんですかね」
柴田が話を割ってきた。
「宗教とは違う話です。宗教はある偉人の生き方や考え方を崇拝して、その生き方に習うというものでしょう。だからよく洗脳されるとかいいますが極自然な流れだと思います」
「それじゃ今の話とは違うのですね」
柴田はよく飲み込めないふうだ。
「似たような話だが、少し違う」
平田は話の筋道がずれるのを訂正して先を続けた。
「さっきご先祖様という話が出ましたが、神や仏ってもとをたどればみな人じゃないですか。お釈迦様もキリストも。菅原道真なんか大宰府に左遷させられた政府の官僚だったのが、今や学問の神様として厚い信仰を集めている。そういう意味ではご先祖様だって人間ですから、自分の子や孫を守りたいとする親心レベルの願いや希望という『気』が包んでいるのかもしれない、と僕は思っているのです。それが強いか弱いかだけのような」
「うん、そうかもしれんな」
「そんな不思議な力に守られて皆さんに助けられて今の自分があるので、精一杯やることに今日決めました」
3人の会話は他人が聞けばおかしいような話だが、仕事の緊張が酒で弛緩した中だからこそ弾んでいった。
「今日決めたんですか」
柴田が茶化すように繰り返した。
「そうです。今日決めました」
平田はもう迷わなかった。樋口は遠い存在だが、その言葉には平田を奮い立たせる重みがあった。

そんなとき、藤井もまた平田のことを心配していた。
制度構築の作業は、この辺まで来ると、事務局の頑張りがほとんどであり、藤井は平田らが設計した制度の齟齬をチェックしたり、第三者的に全体の整合を修正したりするだけで、コンサルタントして中国食品の人事部にベッタリ時間をかけるようなことはなかった。そのためコンサルフィーも請求しなかったが、それでも何かに付けて平田らに気をかけ常にフォローしてくれた。サービスというだけでは片付けられないそれ以上の労力と心配りだった。
多くの会社の担当者を知る藤井は、そんな平田の苦悩を気にしていた。
「一時は随分心配しましたが、さすが見事に立ち直られましたね」
「うん。いろいろな方が心配してくれて助けてくれました」
平田は『正気堂々』のことは言わなかった。
「このまま、立ち直れない方もたくさんおられるんですよ。平田さんは上司にも恵まれましたね」
藤井もまた丸山が好きだったので、なんの躊躇いもなく褒めた。そのしみじみとした語り口の中には安堵感が滲んでいた。
「一番しんどい時に一番いい上司に巡りあえた。これも運ですね。ついているんですよ僕は」
丸山らと先日語り合ったのも、この「運」や「つき」のレベルである。
「つきを活かすのも実力です。日頃力を蓄えておかなければ、いざつきが回ってきたときに掴みきれません。運がいいと言うのも実力です」
もし、運が何か目に見えない力だったとしてそれがその人に付いて回るものならば、それはそれで立派な実力に違いない。
「うん。ただ今回は制度作りじゃなくて個人的に人との関わりで苦しかった」
「世間ではこういうことが言われています。人事に携わる人は社員の7割の名前と顔が一致しなくては人事マンとしては失格だと。願わくば8割以上知っていることが望ましいと。これくらい知っていると見落としや漏れやミスジャッジが防げると言われています」
「昔、新田常務から同じ主旨のことを言われたことがあるよ。主任にするということは自分たち役員からすると顔が見えるようになるって。顔が見えなければ人事はできないんですね。ただその顔が本性を現しているかどうか、イメージや人間関係だけで人事が行われないようにデータ的裏付をするのが私の念願なんです」
「ただ人事マンとしては、事務的に知ることと個人的に近くなることとは一線を画していませんと平田さんのように苦しむことになります。思いっきりやろうと思えば関係が淡白にならざるを得ないですね」
「うん。わかりました。できるだけそう心がけましょう」
このころから、平田の人事政策には凄みが出てきた。ひたすら考え抜いたプランは、他の者に口を挟む余地を与えなかった。
「この苦労は一時のものだが、制度は会社が存続するかぎり続く。誰かが改定するまで生き続けるのだ。生半可な気持ちで提案するわけにはいかない」
固く決心してがむしゃらに進み出した。

そんなとき、ついに後藤田が不帰の人となった。
「この次はもう助からない。これが今生の別れかもしれないよ」と笑っていたが、その時が冷酷にやってきた。
親代わりと勝手に決めて敬愛してきたが、存在そのものが平田を支える柱だったので、失った大きさに平田は肩の力が抜けた。
平田は額の前で指を組み合わせ、ただ黙って冥福を祈った。
平田は心の寂しさを忘れるため、ますます制度構築にのめり込んでいった。

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