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人事(ひとごと)部

更新 2013.03.15(作成 2013.03.15)

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第6章 正気堂々 75.人事(ひとごと)部

平田は荻野のために遠慮せずさらに踏み込むことにした。荻野に二股を掛けたような甘えがあるとすれば何を言ってもはじまらない。
「お前は企画をどうしたい。企画で燃え尽きる覚悟があるか。それとも企画は電算に戻るための踏み台でしかないのか」
そこまで言われて荻野はむっとした顔をした。
“そんな意識は微塵も持ったことはない。しかし、心理の深層で片手に電算への優待キップを握っているという心のスキがあったかもしれない”
その表情にはそんなたじろぎも滲んでいた。
平田はさらに続けた。
「仮にそれでもいい。しかし、その前に全身全霊を企画に尽くさんといかんやろ。そうすれば自ずと道は開けると思う。システム化すればそれで終わりじゃなくて企画がどうあるべきかを考えることやろな。川岸さんはそこを期待してると思うよ」
「私はシステムを作るために呼ばれたんだと思うんですが」
「何言ってんだ。それならお前じゃなくても若い奴で十分さ。岩井なんかのほうがよっぽどセンスのいいプログラミングするよ」
少し貶(けな)すような言い方になったので平田はちょっと気が引けたが、構わず先を続けた。
「つまり、今の企画でいいのかってことを問われているのだと思うよ。何をシステム化するわけ。お前なりのビジョンが要るんだよ。川岸さんはそこをやってほしいのよ」
「私にできますかね」
自信のない憂い顔で、「それに、私がやっていいもんですかね」と続けた。
「できるさ。俺たちはそんな人間やなかったじゃないか。会社がどうあるべきか、そんなことをいつも談じ合ってきたじゃないか。それを形にせよということじゃないのかな」
二人は若いころ、会社で初めて出来た「事務合理化委員会」プロジェクトチームに選ばれたことがある。
平田の中に、青雲の志に燃え夜を徹して論じ合った経験が、熱く甦ってきた。
「人は、酒の力を借りてはあれが悪いこれが悪いと会社の批判ばかりするけど、それじゃ自分から何かしようとする者はほとんどいない」
荻野はしばらく黙り込んでいた。
「人が悪いとばかり言っても始まらないよ。自分を信じろとお前は俺に言ったじゃないか」
そのことを思い出したのか、やっと踏ん切りがついたようだ。そうしなければ道が開けないことを得心した。
「わかりました。やってみます」
一度決心するとガムシャラにやろうとするのが団塊の世代だ。そのエネルギーは凄まじい。
2年後荻野は電算室に戻り、翌年システム企画課長に昇進した。
荻野は川岸のために懸命に仕事をし、やり通した。上司に恩を売り会社に貸しを作った。そうしなければ偉くはなれない。上司に華を持たせ、上司を一段上に押し上げることで自分も引き上げられる。特に丸山の仕事振りはそう教えていた。ただ、盲目的献身ではかえって身を滅ぼす。是々非々は自分の信念に照らして、諌言することも忘れてはならない。信頼があればできる。

歴史の多くは人間の利害関係が様々に絡み合って作られていく。そこに意外性や面白さが生まれてくるのだが、中国食品でも1600名の人間があっちこっちの事業所で悲喜こもごもに蠢きあっている。1つの事業所で起きたことは1事案にすぎないが、人事には何だかんだとこうした人の愛憎の全てが引きも切らずに集まってくる。まさに人事(ひとごと)部である。
入社前(募集事務や採用イベント)から在職中の処遇、育成、配置、退職後の年金支給やOB会運営、物故後の葬儀への弔電や花束、年金清算など、人の生涯に関わり続けるのが人事だ。最近はその関係もドライになりつつあるようだが、まだまだそう簡単には割り切れていないようだ。そうしたシステムになっているのだから仕方がない。いい悪いは別にして、そのためには相当な制度や文化のイノベーションがいるだろう。
平田は、人事制度の構築に追われる傍ら、日ごろの雑多な出来事やはたまた下世話で尾籠な話までをもその都度整理し、人事部の見解として一本の筋がぶれないようにまとめる役割が続いた。それは運営担当者を通じて全社に、人事部長の意思として、そして会社の意思としてその心を理解してもらうことだった。
ただこうした役割が、人事の全てを平田が取り仕切っているかのような誤認を生じ、平田を人事の顔に仕上げていくことになる。
平田の人事への強い思いが、人事政策に一本の筋を貫かせる役割を自然に演じさせることになり、そのことが好むと好まざるとに関わらず平田像を一人歩きさせていた。

「ヒーさん。今夜飲みに行こう」
そんなある日。久し振りに坂本が電話で誘ってきた。
こんな誘い方をする時は何かある。つまり何かニュースがあるのだ。それを半分自慢げに平田に吹聴するのが2人の関係だ。ただ知ったかぶりをするだけではない。言うからにはその先のこともその対処法もしっかり考えてある。
わざわざ申し合わせて会うほどの題材となるのは、経営に関すること、役員人事やスキャンダル、株主に関すること、政治や経済の大ニュースなどが主で、だからどうするということではないが、あくまでも心構えや対処しなければならないものにはその準備をするというものだ。
坂本が平田に話すのは「あんたも知っていたほうがいいやろ」という親切な情報の提供と、どう対応するかの2人の意思の確認だ。
平田が意思を確認するというのはおかしな話だが、「組合はこうするからね。もし人事でなにかあったときにはそのつもりでよろしく」という主旨である。
そこで平田が異論を挟めば「何かある」ともう一度作戦を考え直すのだ。
このように呼び出すからには今日はまたきっと何かあるのだろう。こういうときは楽しみだ。
平田は定時になると社屋を出た。組合は残業などないから、坂本の指定時間はいつも早い。組合事務所が入っているビルに着くと坂本は表で待っていた。
「やあ」と軽く手を上げると2人はそのまま歩き出した。流川まで歩くのが坂本の流儀だ。15分くらいの距離でタクシーを使うなんて贅沢だと思っている。俺たちはそれほど裕福でもないし偉くもない。思い上がってはいけないという戒めが含まれている。
坂本が好む店の傾向は決まっている。店が清潔で料理が美味くその上、手頃な料金であることが条件だ。その上でオーナーなりマスターがしっかりして信頼がおけることだ。だから平田は、坂本に連れて行ってもらった店はその後も安心して利用できた。
しっかりしているとは、店の経営についての流儀や哲学が明確で、従業員や料理を通じてサービスとして客に伝わることだ。信頼とは料金体系がリーズナブルで無理がないことだ。
坂本はまた新しい店を開拓していた。“しんすけ”という魚料理を主とした小料理屋である。まだ新装開店して間がないようで、入り口の引き戸の格子の色やカウンターやテーブルも黄金色に眩い輝きを保っていた。恐らくケヤキの無垢材だろう。
店の名前の由来は店長の本名が「真輔」ということらしいのだが、
「そのままの漢字では店の名前にはそぐわないのでひらがなにしました」と、照れくさそうに店長は話してくれた。
“しんすけ”は広島で観光事業最大手の○○コシグループの一店舗だ。
こうした店はシステムも確立しているし教育も行き届いていて、店長なりフロアー係もただの店員ではなく立派な営業マンだ。

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