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要る、要らない

更新 2012.12.05(作成 2012.12.05)

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第6章 正気堂々 65.要る、要らない

バブル崩壊以降不良債権の処理は遅々として進まず、8月には住専の不良債権が表面化しその処理が遅れることによる他の金融システムの連鎖破綻を避けることが日本経済の喫緊の課題となった。
結局、翌96年に公的資金の注入と母体行の債務放棄、複雑な管理機構の構築などで金融システムは守られたが住専7社は消滅した。
それでも金融システムは安定せず、さらにその翌年ビッグバンを契機に山一證券や北海道拓殖銀行、その翌年には日本長期信用銀行などが破綻していった。
このように日本経済が混迷を続ける最中に阪神淡路大震災が起き、さらに3月には日本中を震撼させたオウム信者による地下鉄サリン事件が起こされ、日本の世情は重苦しい混沌とした空気に覆われていった。
こうした不透明感漂う経済環境の中で、閉塞感を打ち破るのは人でしかないと、人への期待が否が応にも高まっていった。
「人を活性化する」
主だった企業ではそのための人事制度改革がブームとなり、日本社会全体が人事制度見直しシンドロームに陥った。人事制度さえ見直せば打破できるかのようにどこの企業も挙って制度改革に取り組んだ。
メディアなども“人財の時代だ”とばかり人の意識に入り込んだキャンペーンを盛んに取り上げ、「創造」「先取」「挑戦」などというキーワードを随所に踊らせた。なんとかしたい、なんとかしてほしい、という人への期待の表れだ。
改革の方向としては、「年功の打破」「実力主義」「労働意識の多様化への対応」「従業員の自己実現支援」「個性と自主性の尊重」などで、どこも大して差はない。ただ、その理念を受けて目指す制度が成果主義一辺倒であり、それが自社の事業特性や成長戦略とマッチしているかどうかの検証が十分でないのが現実だ。個々の企業の差はそこをどれだけ掘り下げて議論し、自社の事業をより推し進める制度にしているかである。同じ成果主義でもどこか一味二味独自の工夫があるべきだ。
もう一つ特筆すべきは、法律への対応ということもあって「コース別」がクローズアップされてきたことだ。
全社員を一律に処遇するのではなく職種や勤務形態などでグルーピングし、いくつかのコースに分けて管理育成する制度である。それぞれのコースの特性に応じて育成処遇するため効率とコストパフォーマンスが良くなる。ただ、企業としては純粋にそれだけを考えていたわけでもないようだ。時々見かける「シニアコース」などがそれだ。処遇に困った高齢者から権力や高額賃金を召し上げ、見かけだけの狭い処遇部屋に閉じ込めようとする意図が見え見えで、どこか素直に額面どおりには受け取れない。積極的に活用しようという姿勢が見えてこないのは穿った見方すぎるかもしれない。これこそが企業が直面する現実的問題だからだ。。
最も多く見られる基本形は「総合職」と「一般職」の区分だ。
「総合職」はまさに読んで字のごとく「いつでも、どこでも、何にでも」で、会社の都合で、何時でも、どんな所へも、どんな仕事でもやります、という働き方のコースである。コースの特性は「多様な経験と見識を養い将来の会社を担う基幹社員」で、まさにサラリーマンの理想像である。
「一般職」は、仕事内容、職種、勤務地等に一定の制限があり、生き方、働き方に従業員のニーズを取り入れ、働きやすくした勤務スタイルである。
その他にも、大企業ではエキスパート職やプロフェッショナル、シニア職などがあり、多くの社員を効率よく管理したいとする人事部の苦悩の跡がうかがえる。
而して中国食品を振り返ってみたとき、それほど多くの区分けがいるほど人数は多くない。仮に無理して作ってみても対象者がわずかではそのコースを管理するコストのほうがかさんでしまいそうだ。
これまで、中国食品の採用区分は学歴と男女別が主で、男女雇用機会均等法の関係上、表向き男女区分は避けているが初任給の差はあるし学歴による格付けの違いもある。基幹的業務担当とか補助的業務担当といってもほとんど同じような仕事をしており、明確に区分けするにいたっていない。
しかし昨今は同法の運用が厳しくなってき、訴訟に発展したケースも見られるようになってきた。
中国食品でも内外から同法への対応は要求がきつくなってきており、もはやごまかしは通らずあからさまに男女を差別したような人事処遇方式では耐えられなくなってきている。
しかし、人事部として社内に目を向けたとき、従業員から総合職や一般職などというクレームや要望はかって聞いたことがない。それなりに性別や学歴による区分けの処遇方式で社内は落ち着いているしなんとなく納得しているように思える。
ただ、転勤に対する苦情はよく聞いた。
「俺たちはいつも転勤させられる。同じ職場で、俺より長い奴はたくさんいるのに俺ばかりが転勤させられる。俺たちは転勤貧乏や」
転居するたびにクーラーは傷むし、カーテンはサイズが合わない。子供たちも幼稚園や塾の入学金や契約金は無駄になるし、制服を買い換えなければならないところもある。転勤するたびに金銭的負担がかさむというのである。
営業と製造、本社でも部門の差に対する不満があった。営業職はその性格上3年ないし4、5年で転勤したし、逆に本社などは、将来の幹部候補としての長期育成途上であり簡単には転勤させられない。むしろ本社に来る前に現場経験が問われる。それに役員からすると自分のブレーン的人材を簡単に手放すわけにはいかない。
製造でも同じだ。製造ラインの統廃合や退職などで人員の再配置がある度に同じような動かしやすい人たちが動いている。
これは後でわかったことだが、人事制度が整備され人事データが充実してきたとき、異動のメカニズムをつぶさに観察してみると要るか要らないかの論理でしかないことがわかった。
例えばある営業所を造ろうとしたとき、柱となる人材をまずピックアップする。これはエース級だ。
人事部長、場合によっては課長が、所属の営業所長と「この人材を持って行きたい」と話をつける。
大概の所属長はそれは勘弁してくださいと抵抗する。その代わり「これではどうですか」と代替案を提案してくる。人事部長はその案を含めた第2第3の案を全社的見地から決めていく。
「要る」人材は、現職場でも新職場でも要るのである。
人事異動は他の人材にも及ぶが論理は同じで、人事部長の「この人材を動かしたい」に対し、所属長は「いえ、こっちを持っていってください」と要らない人材を押し付ける。
「新しい職場なのに、そんなんじゃ乗り切れないよ」と、これも交渉だが要らない人材は異動の確度は高い。
どちらも「要る」か「要らない」かの論理だが、同じ動くなら請われて行くようになりたいものだ。

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