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魔性のもの

更新 2012.01.13(作成 2012.01.13)

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第6章 正気堂々 33. 魔性のもの

3月24日、平成5年度株主総会が開かれた。決算報告と合わせ、中期経営計画の説明と役員の改選が付議された。
役員の改選は浮田と河村の退任と、替わりに営業が手薄になるという理由から営業部の松崎の新任が諮られた。表向きは健康上の理由によるが、土地購入に絡む不祥事が本因である。やましさを心に抱く2人は、虚ろな目を所在なく動かし、早くこのひな壇から降ろしてくれと今にも叫びそうな所作を繰り返していた。
前年度の総会で、株で大損を被った新井を同じく健康上の理由で退任させており、今回また2人の古参役員を退任させることに長期独裁政権樹立への準備かとの非難も聞こえそうで、それを抑え込むべく新規起用は松崎1人にした。それに、樋口にはそんな中傷にかまけている暇はなかった。不正を働いた者を裁断するのは当然の処置だし、創生期を過ぎ安定期に入った企業にしっかりしたボード体制を敷き磐石な経営基盤を築くことは焦眉の急務だ。成長期は多少のムダや非合理も財務の拡大が吸収してしまうが、安定期に入った企業は収益モデルの再構築と確たる企業統治の基盤を作らなければ後は衰退を待つばかりとなる。新しい中計もスタートしたばかりで、自分ももう65歳だ。いつ交替してもおかしくない。そんな思いが新体制構築に躊躇させなかった。
マル水からの役員投入も樋口は拒んだ。ここでマル水から役員を受け入れたら2年前四天皇を役員にした意味がない。彼らに一人前の役員としての自覚と責任を持たせ、自立した経営者に育てるためにもここは踏ん張りどころだ。
「製造は特殊な技術畑ですし、営業は地元の経済界に通じたプロパー役員を当てませんと会社が地域で浮き上がってしまいます」と独自の持論を展開して拒み通した。
総会後の取締役会で堀越と青野を常務取締役に昇格させ、同時に(副)を外して営業本部長、製造本部長に昇格させた。新田と川岸は1月1日で一足早く本部長になっていたが、プロパー役員の常務への昇格は堀田と青野が最初となった。取締役会であるから大株主としてのマル水からの代表も出席しており、マル水も承知の人事だ。
従業員株主として総会に出席していた平田は、この瞬間をどれほど待ち焦がれていたことか。組合委員長の坂本と会場中ほどに位置した平田は浮田一人を凝視し続けていた。決算報告書を読み上げる樋口の言葉も虚ろに目の前を過ぎていった。
山陰工場の建設をめぐって対立して以来、実に11年の歳月が過ぎている。その過剰投資が重荷となって業績は坂道を転げ落ち、会社は存亡の危機という地獄の淵をのぞくことさえあった。マル水は会社再建のため樋口を送り込み会社は見事に立ち直ったが、全ての元凶である浮田はそれでも生き残った。樋口は先輩役員に対しても役員の心構えとして再三牽制球を投じていたが、齢65を過ぎた浮田にはもう改悛の力は残っていなかった。そして再び……。
やっと浄化の作用が働いたのだが、樋口の就任からも実に7年の歳月を要している。平田は10年以上も前の浮田とのやり取りを、遠景を見るように記憶の奥で思い出していた。浮田に顔を合わさない限りややもすると遺恨の意識も薄れかけ、会社の浄化だけを切に願い続けてきたここ数年だったが、今目の前のこの時が現実となるその瞬間だった。

男を狂わす魔性のものに、3つある。金と女と権力だ。魔性のものといえばそれ自体が悪になるが、それ自体が悪いのではない。やはり人間の欲と愚かさだろう。
浮田にとって権力は、樋口が就任した時点で今更上を目指してあがく余地はなくなったと、否が応にも承知せざるを得なかった。マル水の筆頭専務を越えることなどけしてできないからだ。残されているのは精々勢力争いの意地悪い皮肉のぶつけ合いくらいだが、相手をやりこめこき下ろす意味も自動的になくなった。それに樋口の社内統治の下ではいたずらに混乱を起こしにくい。しかも最大のライバル的存在だった河村は、今や同じ穴の狢となって同舟の運命を託っている。
女性問題もこれまで全くなかったとはいわないが、割り切った関係で収まりをつけてきた。それにこの年になると情欲が絡んだ男女の関係はもはや面倒で、今更触手は伸びない。
残る煩悩は金だけだ。それ以外に自分が生きているというダイナミズムは感じられなくなった。ひたすらそればかりを考えているうちに倫理の神経は麻痺してしまい、再び魔性に魂を奪われてしまった。

近ごろ、オリンパスや大王製紙などの不祥事がマスコミをにぎわしているが、これらも経営層を牽制し浄化機能を働かせることがいかに難しいかを物語っている。経営の近代化とか、コンプライアンスの遵守、ガバナンス機能の強化、などなど企業運営に関する掛け声は百家争鳴喧しいが、現実として実効が上がっているのは稀である。社員階層には経営からの圧力で改革も浄化もその力は働きやすいが、経営層には自らが正さなければその力は働かない。人事部も社員に対しては制度を被せることはできるが、経営層に作用させることはできない。役員は就業規定の外であり役員規程は人事部の職務分掌の外にある。
今回の事件は日本独特の経営形態を、世界から「ガラパゴス統治」と揶揄され、日本のガバナンスへの不信感を増幅させているようだ。監査役や社外取締役なども利害関係者の馴れ合いの中で選ばれることがほとんどで、その機能は見せかけを繕うだけで十分に発揮されないからである。
何か不祥事が起きるたびにガバナンスのあり方が取り上げられるが、この問題に真剣に取り組んでいるという会社はあまり知らない。日本で社外取締役や委員会設置会社ができたのは、失われた10年を経た2000年に入ってからで歴史は浅い。日立製作所やソニーなどが最初でまだほんの一部の会社にとどまっているのが現実だ。しかも日本ではまだ法制化されていない。
2011年、時あたかも円高と内需の飽和で収益の源泉は完全に海外にシフトしてしまっている。これを機に経営のガバナンス機能もグローバル企業に相応しいものに見直し、日本的経営の集団無責任体質と決別しない限り、海外からの信頼を回復し日本への投資を呼び込むことは難しかろう。政治と経済の閉塞感から日本のマーケットに嫌気した資本は円高をテコに海外への逃避を加速している。特に政治の経済操舵の稚拙さは致命的だ。このままではわが国の産業基盤は壊滅する。

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