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度量

更新 2011.01.25(作成 2011.01.25)

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第5章 苦闘 70. 度量

「所長。評価のことでお願いがあるのですが」
「なんだ。もう出したじゃないか」
「はい、ありがとうございました。ただですね、結果が極端すぎましてこのままじゃ二次評価に上げるのが憚られます」
「なんでや。俺がいいと思って付けたんや。何の文句があるんや」
「はい、実は結果があまりにも高すぎるもんですから、少し調整していただきたいのです」
「どこがいかんのかね」
「はい。例えば係長・主任の全員がA以上、主な営業マンもB上以上ばかりになっています。配送者だけがB以下じゃないですか」
そこには営業マンに媚びる所長の心理が透けて見える。配送マンは、営業マンが受注してきた商品を配送し代金を受け取ってくるのが主たる仕事で、直接的売り上げにはあまり貢献しない。同じA評価を付けるなら営業マンに付けて少しでもモチベーションを上げてほしい、と思うのが所長の心理だ。しかし、そんな評価をしていたら常に上位者が勝つし、いつまでも若い人は育たない。第一、上位者と競争させるなんてフェアではない。
「だって、絶対評価で出現に規制はないって説明だったろう。だったらいいじゃないか」
「しかし、係長・主任にもいい、悪いがあるはずですし、配達員にもいい、悪いがあるはずです。それぞれのレベル内で評価してほしいんですが」
職能資格制度にも問題がある。同じ等級内にいろいろな職種や役割が混在するから、どうしても役割を尊重し下位者が割りを食う。下位者にはその等級の求める役割がないからだ。
「俺がいいと思ったんだからいいじゃないか。みんな優秀なやつばかりだよ」
それは所長の理想が低すぎるからです、と叫びたかったがグッと我慢して先を続けた。
「しかし、常識的範囲というのもあるじゃないですか。営業所の成績とのバランスもあります。営業成績もトップレベルならいいんですがね」
「いいじゃないか。その成績を残すためにみんな頑張ったということよ」
「しかし、これじゃ部下のほとんどがAなのに所長の評価はBということになって整合性がないじゃないですか」
「俺はいいんじゃ」
「そうじゃなくて、それだけ優秀な部下ばかりならもっと成績は上がるハズだとなって、所長の管理能力を問われることにもなりかねません」
「お前がなにを偉そうなことを言いよるんじゃ。やれるものならやってみろ」
ついに決裂してしまった。
適性検査を導入したときから所長連中の中には何やらモヤモヤしたものが燻っている。人事の重要政策のほとんどに平田が関わり、その考え方が採用されていることも、自分たちをひょっとしてふるいの網に掛かるかどうかの瀬戸際に追い込んでいながら、平田が係長に選任されたこともやっかみの対象で平田への風当たりを強くしていた。
能力主義、実力主義と声高に言ってみても、実際その局面に立たされたとき多くの人が怖気付き戸惑う。どんな制度を入れても最初から自信のある者はほんの一握りしかいない。
しかし、所長との関係をささくれ立たせてもなお突き進ませるこんなやりとりには、所長との関係以上の大事な何かを追い求める平田の覚悟がこもっていた。
平田をここまで突き動かすものは、ただ公平な運用にしたいと思う一途さだけだ。
川岸は、平田のやり方を“下手だな”と思いながらも、その気持ちがわかるだけに、「後は俺に任せろ。そんなこと俺が二次評価者とどうにでもしてやる」と苦笑いしながら引き取った。
ここが川岸のすごいところだ。瞬時にというか川岸本来の筋論の中に物事の軽重が整理されており、「そんなこと」と言わせる見極めがあった。自分にとってどれほどの重みや難易度かが整理されていることである。
これも人間の器である。平田は川岸が幼少期からかなりやんちゃでいろいろなことを体験してきたから、何が大事で何が難しいかを身体で会得しているのだろうと独り合点した。
1000ccのメスシリンダーではそれ以下の容量しか量れない。1500ccの水が量れないように、人も自分の度量以下のことしか判断ができない。その度量の大きさが人の器だ。
川岸が本当に難しいとか大事と思うときは極めて慎重だ。大事な局面で誰かと談判したり、交渉するときは机で沈思黙考を繰り返す。じっと腕組みをし、目を閉じ秘策を練る。そんなときは独特のオーラを発し誰も近寄りがたく部屋中が静まり返る。そんなときの川岸は「何かをやっている」と期待させ、目標に向けて少しでも近づいているようで頼もしかった。

一方で、組合との賃金改定交渉もたけなわだ。しかし、職能資格制度の全面移行を前提にベ・ア原資でもめており、交渉は難航していた。
「会社は空前の利益を上げているじゃないですか。もう少し出してもいいんじゃないですか」
「利益の額が賃金決定の全てではない。あのトヨタを見てみろ。あれほどの利益を出していながら賃金はそんなに高いのか。将来までを見通した会社の基盤の確かさが大事だ」
「そんな論理をもう何回聞かされてきましたか。そのたびにじっと我慢して大概疲れています。ここらでいい回答を出してもらって組合員に我慢すべきときは我慢しても出すときには出してくれることをわかってもらいましょうよ」
「それほど君たちの賃金は社会的に低いのか。会社の社会的評価とそれほどかけ離れているのか。賃金には一定の社会的相場があるからそんなに極端な政策は採れない。わが社の水準もけして遜色はないと思っている」
こんな交渉が数日続いたある土曜日のことである。川岸は交渉の打開策を探るため坂本と水面下の交渉をやっていた。

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