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候補地

更新 2016.05.26(作成 2010.12.15)

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第5章 苦闘 66. 候補地

研修センター建築の用地買収の話は91年から進んでいた。
候補地は、広島の奥座敷と言われる広島市佐伯区湯来町の一角である。この町には“湯来温泉”と“湯の山温泉”の2つの温泉が、中国山地の冠高原から流れ出る打尾谷川と水内(みのち)川が合流するあたりに、背中合わせに静かに佇んでいる。
ラドン鉱泉を湧き出させており、近隣の人々の根強い人気に支えられ絶え間なく客を呼んでいる山間の温泉地だ。
湯来温泉は白鷺が傷を癒したという伝説の温泉場で、街のはずれには白鷺橋と命名された橋があり伝説の名残も残っている。街は、打尾谷川沿いに国民宿舎や観光旅館など大小5、6軒の温泉宿が並んでいる。
湯の山温泉。こちらもクアハウスの他、数件の旅館があり打たせ湯で有名なところだ。
どちらも国民保養温泉に指定されており、昔は広島藩の湯治場だったらしく今も現存している。環境がいいことから大手財団法人の教育施設などがあり、自前の研修施設を持たない中国食品も社員研修に借用することがしばしばあった。
広島市内から1時間、中国自動車道と山陽自動車道の中間点に位置し中国地方のどこからもちょうど臍にあたるところだ。

物色中の土地は、地元の建設会社が不動産バブルのブームにのって購入していたもので、庭園風に大小の樹木や庭石が配置され、池や川に見立てた枯山水が演出されている。造園事業の見本に使われていたものらしく、モデル庭園としてはすばらしい出来だ。いずれ温泉宿か保養所でも造ろうとしていたのか温泉設備も引いてある。
バブルの崩壊と本業の事業が厳しさを増してきたことで手放すことにしたらしく、不動産仲介業者を通して話が舞い込んできた。
広さは3千坪あるらしいのだが、研修センター建設のためには半分くらいでちょうどいい。
業者との交渉窓口は製造部である。工場や営業所を建設するとき用地買収や設計施工を一手に担ってきており、その慣習がそのまま今回も担当にさせている。本来ならば総務部だろうがそのノウハウがないのか、それとも地元不動産業者に製造部が馴染みがあるからか、異議を挟む者がいない。新しく役員になった総務部長の新田も、こうしたデリケートな問題を積極的に取り込むほどお人よしではない。役割が来れば淡々とこなすだけである。
交渉はもうかれこれ半年近く続いている。その間他の候補地なども物色されたが、やはりいい物件はなかなか現れない。
広さ、場所、立地条件、価格、全ての条件がすんなり整った物件はめったにない。結局この物件に落ち着きそうだ。
「浮田常務。とりあえず半分に分割してお売りいたしましょう。その代わり残り半分を他日、別の名目で買い取っていただけませんか」
業者も背に腹は代えられない。早く現金を掴みたかった。
「買い取れと言われてもなかなか理由が立たんよ」
「まあまあ、そう無下に仰らなくてもそれなりの見返りも用意いたしますよ」
「どうするのかね」
見返りという言葉に浮田は気をそそられた。考えてみれば株でやられてかなりポケットが痛んでいる。
“挽回できるものならやりたいものだ”浮田の蓄財への飽くなき執心は、業者との癒着を樋口があれほどきつく禁じたことを忘れさせようとしていた。
「任せてください。なんとか考えますから」
とりあえず浮田は、坪単価15万円は高かったが他にまとまった土地はない、と半分に分割した土地購入の稟議手続きや資金計画を推し進めた。
株主総会を前に社内手続きは順調に進んでいった。

その傍ら、平田は賃金改定交渉で忙しかった。樋口に付き合った釣りの1日分も挽回しなくてはならない。今年から職能資格制度が完全移行する。平田らが組合役員をやっていたころ、自ら規制をかけた査定昇給枠を本来の運用に戻さなくてはならない。その影響や人事評価とリンクする仕組み作り、総原資の中での定昇、査定昇給原資、ベ・ア原資の算出や賃金表の書き換えなど、することは山ほどあった。
ただ、これらの仕事は電算室からデータを落としてもらい、パソコンで計算のシステムを作ればいくらでもシュミレーションできるようになったから、複雑になってもより正確に効率よく算出することができた。
だが、人事評価の運営は何よりも悩ましかった。たくさんの種類のシートを資格ごと、職種ごとに仕分けし、職場ごとに送り届けなければならない。従来は森山が一手にやってくれていたが、従来の簡易評価とはまるきり違う。平田には、新しい仕組みがどうなるか見極めなければならない。その流れをシステムとして確立しなくてはならない。この段階で森山は降りてしまった。
期日に間に合わせるため、ぶっつけ本番のシステム作りが進んだ。
電算室の荻野も必死で協力してくれた。常に綱渡りの開発だが、いい仕組みができあがった。
チェックシート(人事評価シートをこう命名した)そのものを全パターン電算機で打ち出せるように設計した。その上で人事のマスターデータの個人資格とチェックシートのパターンとを突き合わせ、職種や資格、職位、個人名、年齢、勤続などを打ち込んだ個人別チェックシートを全員分、事業所ごとにまとめて打ち出すのだ。後は連続シートの事業所の変わり目でミシン目を切り離して発送するだけである。これは女性社員がやってくれたからあっという間に片付いた。
こうして、能力チェックシートの各事業所への配布は問題なく進んだ。
同じ仕組みで目標設定シートも個人ごとに事業所単位で打ち出し、配布した。事業所の年度目標や事業計画も浸透したころだろうということで春のチェックシートとセットで送った。この目標設定シートは賞与時の目標達成度評価シートにもなっている。
能力チェックシートは評価項目ごとに5段階の評点をつけ、それに項目ごとに設定されたウェイトをかけて評価項目ごとの評価点を出し、全項目の集計が100点満点になるよう設計してある。
平田のところに1300名のチェックシートが集まってきた。これをどう処理するか。このことについても荻野はいい支援をしてくれた。

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