ナビゲートのロゴ
ナビゲート通信は主な更新情報をお届けするメールマガジンです。ご登録はこちらから。

下記はページ内を移動するためのリンクです。

現在位置

 ホーム > 正気堂々 > 目次INDEX > No.5-49

パンドラの箱

更新 2010.06.25(作成 2010.06.25)

| ←BACK | INDEX | NEXT→ |

第5章 苦闘 49. パンドラの箱

1991年の春闘は、世間の平均が5.9%の中、中国食品は係長・主任制度の改定を織り込んで5.7%で決着し、新ファイナンス実施に向けて樋口の思惑は着々と進んでいった。
その一方で樋口は、役員人事を刷新するための舞台工作を慎重に進めていた。
樋口は、昭和61年に中国食品に赴き会社を建て直していく過程の中で、中国食品をモデルに自分の理想とする経営を実現したいと思っていた。それは自分の経営手腕を試すだけでなく、マル水を見返してやりたいといった思いも多分に含まれていた。
創立25周年記念大会が終わった昭和63年6月、吉田ら革新的と言えるかどうか? 少なくとも樋口にはそう映っていた組合役員を退任させるため、吉田本人と直談判したその席で自らのビジョンを語っている。樋口にとってその吉田は、金丸と人間的にしっかりした信頼で結ばれており、場合によっては役員人事にも介入してくる鬱陶しい存在で、マル水による経営への介入を阻止するためにも退任させておかねばならない獅子身中の虫だったのだ。
樋口のビジョンは、会社を正常化した後の第2ステージへの構想であり、その構想がないものはガバナンスから退場すべきだと吉田を退任へと追いやった。
その内容はグローバル化を見据えた経営の近代化で、IT化の流れを先取した情報化への対応、自分の片腕となるブレーンの育成、マル水支配から脱却し自主自立の経営を樹立するボードの在り方、こうした時代に立ち向かえる人材の育成、などである。
そのいくつかはすでに達成されており、戦略的に事業を展開するための2回目ファイナンスも目前である。このファイナンスが成功すると情報化への投資や市場への自動販売機の積極的投入、人材育成の基盤となる研修センターの建設などが叶うのだ。
達成すべきビジョンに向けて打ち出される政策は、見事なくらいに正鵠を得ているし、それら施策は自分の才覚で推進することができ、なんら問題なく着実に進行している。
そして最後に残された課題が、独自のブレーンの育成とボードの在り方を変えることである。この2つは一体的なものだ。ブレーンとして側に置くためには、ボードの一角に新しい指定席を用意しなければならない。その席はマル水から奪い取ってくるしかないのだ。それができればマル水支配からの脱却が一歩前進し、ブレーンの育成と人心の活性化が一気に達成できる。自分の理想的経営スタイルを一挙に完成に近づけることができ、長期独立王国も夢ではなくなるのだ。しかし、それは口で言うほど容易なことではない。経営を支配するということは資本の究極の意義であり、それを失うことは起業の意味が半減する。マル水の抵抗も硬く、自然、樋口に力が入った。

正月明けのマル水の会長室に樋口の声が響いた。
「マル水は、いつまで植民地政策を続けられるのでしょうか。中国食品にも自主独立の旗印がありませんと社員の士気が上がりません。今の業績はひとえに経営政策の修正によるもので、社員のやる気を引き出すのはこれからです。そのためにも役員ポストを少し空けていただきとうございます」ゆっくりと、しかし力強い声である。
樋口はついにパンドラの箱に手を掛けた。下手をすると金丸らの機嫌を損ない自らの経営者生命を絶つことにもなりかねない。そうなれば理想的経営どころか元も子もなくなる。しかし、それを恐れウジウジと逡巡していても何も始まらない。そんなことより自分の経営を貫きたい。それができなければトップでいる意味がない。樋口はその思いのほうが強かった。
樋口は前年の秋以降、金丸会長と藤野社長を相手にハードネゴを、しかし慎重かつ注意深く繰り返し、今回で既に3度目である。そして、これが最後と心で決めている。
「しかし、わが社は中国食品株の50%以上を握る筆頭株主なんですよ。経営権を放すわけにもいかないし、こちらの人事政策の都合もあります。難しい話です」質疑は主に藤野が行った。
樋口にとって藤野は4歳若い後輩である。藤野が役員になってからはさすがに「さん」付けで呼んでいるが、つい数年前までは君付けで呼んでいた相手である。そんな後輩から経営のうん蓄を語られるのは面白くない。
「そんなことはお前に言われなくてもわかっちょる」と言いたかった。「本来ならそのポストは俺が座ってもおかしくないのだぞ」という思いは今でも深層意識に強く息づいている。が、しかしここで反発するいわけにはいかない。じっと我慢して先を続けた。
「しかし、マル水も所帯が大きくなって人材もむしろ不足気味のように思います。関係会社も数十社に及び、それぞれに人材を送っていては役員の粗製乱造になり、経営に大きな齟齬をきたしかねません。現にわが社に送っていただいている古参の役員には、もはやここが自分の上がり場所とほとんど存在意義を出さない御仁もおいでです」
樋口は主に金丸の方を向いて話をした。
「そんな人がおるのですか」
藤野は驚いてみせたが、関係会社に送り込んだ役員の実態については十分承知している。トップクラスの一部を除いてはほとんどが燃え尽き症候群に陥っているのも事実だ。
「プロパー社員の中には、能力もやる気も既にそういう人たちをはるかに凌ぐ者が各分野分野におりまして、このままこのアンバランスを続けていくことは、企業統治上もはや不可能でございます」
「そうは言われましてもそれをやっていただくのが経営トップでございます」
双方とも必死の様相を呈してきた。

「正気堂々」についてご意見をお聞かせください

▲このページの先頭へ

お問い合わせ・ご連絡先
Copyright © 1999 - Navigate, Inc. All Rights Reserved.