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もう一捻り

更新 2009.03.25(作成 2009.03.25)

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第5章 苦闘 4. もう一捻り

山本の人事は会社にある種の緊張をもたらした。結果責任に対する意識が急に高まった。中計に対する達成志向が強まり、各部の事業計画を急がせた。
それは川岸も同じだった。山本の人事を決着させたからといって息つく間などなかった。山積している問題は遅々として進まず、しかも川岸はさらに重大な課題を抱えている。それは、賃金だけを先に導入させた職能資格制度がまだ完成していないことだ。部下を抱える管理職から「評価の時期などには、『賃金は能力主義になっているのに評価は今までどおりじゃないか』と言われると説明がつかず、部下との関係が難しい」と訴えが上がっていた。そのため、中計で制度の完成と定着を謳ったのだ。業績(責任)に対する樋口の非情さも見せ付けられた。早く制度完成にこぎつけなければいつ自分の足元をすくわれるかわからない。
それにもう一つ内部事情があった。それは今年の人事でベテラン人事課長の平野を高瀬俊宏に替えていたことだ。高瀬は総務部で社内報を担当していた係長だが3年前社内報業務が人事部に移ったことで仕事に人が付いて人事課に配属されていた。
高瀬は長いこと社内報を担当しており、役員と接触する機会が多かった。社内報という実体のない漠とした業務では大して責任もなく、本来業務を具体的に実務しないため考え方や方法論で役員と対立することもない。むしろ役員の原稿を校正し見栄え良く出稿してやることで役員に取り入っていた。人間性も人当たりが良く情に厚いところがあり、仕事上で直接利害が関係しないため役員たちの受けは良かった。
川岸は、保守的な平野では人事改革は進まないと判断し、課長交代を決断した。しかし、社内を見回しても適任者がいなかった。少しでも人事部に身を置いている分だけわかるだろうと内部の高瀬を選んだ。窮余の策の人事で経験不足は否めなかったが、役員の受けがいい高瀬に反対はなかった。川岸自身も高瀬の人当たりがいいというマジックに掛かっていた。
しかし、この人事には大きな落とし穴があった。ビジネスマンとして一番大事な成長期に本来業務に携わってこなかった高瀬は業務全般のマネジメントができなかった。
特に人事課は部のメイン業務を担っており、自分の課業だけでなく厚生課や教育課とも密接に連携しなければならないこともある。時には部の中心的存在としてそれらの課をリードしなければならない。
しかし、高瀬にはその技量がなかった。自部署だけでなく他の課の実務も実際どのように進んでいるのか全く把握できなかった。自分の課ですら係長以下の実務担当者任せになっていた。それは川岸の大いなる誤算だった。
「おい、あれはどうなっている」と尋ねると、オウム返しに「おい、あれはどうなっている」と担当者に怒鳴るだけである。自分の不明をカムフラージュするため、部下や他課に対してわざと大げさに怒鳴る。
これには川岸も悩ましかった。西山はいくらケツを叩いてもなかなか進もうとしないし、高瀬は実務経験が全くない。山積している難題をどうやって解決していくか。中計はスタートしている。もう時間的猶予がない。
川岸は人事をもう一捻りする必要を感じた。それは課長の経験不足を補うための実務の中心者である西山に代わる人材を持ってくることである。人事部を機能的に動かすためには、しっかりしたポリシーの上に具体的で斬新な考えで業務全体を再構築できる人間が必要と痛感した。
川岸の脳裏に一番に浮かんだのが平田だった。他にも社内人事名簿を見ながら考えてみたがどれもシックリこない。人事部全体のあり方について構想を練れるのはやっぱり平田しかいない。団交での平田の論理展開を思い起こすにつけ平田への思いは募るばかりだった。
しかし、“課長―係長ラインがどちらも未経験者になるが大丈夫か”そんな心配もわいてくる。
“しかし、どうせマネジメントは担当者任せのところがあり大して変わりないか”
“団交でこっぴどくやられた相手だ。あれだけの一家言を持っている奴だ、なんとかしてくれるのではないか。初めは誰でも初心者だ”
いろいろと心配や懸念がわき上がってくる。しかし、
『やっぱり、平田が欲しい』その思いが勝った。
“一時のマイナスは俺が我慢しよう。長い目で見たとき必ず良かったと思えるときが来る”
これが度量の違いだ。人の足らざるを自分が堪える。川岸にはその器があった。高瀬との大きな違いだ。
川岸は決断するが早いか平田の人事ファイルを掴み、その足で浮田のところへ足を運んだ。
川岸がこんなにすばやく行動するのは珍しい。何かするときは必ず一度じっくりと考え、作戦を練って行動するのが常の川岸だったが今回は衝動的ともいえる即行だった。その背景には、浮田なにするものという見下しが既にあった。勝算あっての行動だ。作戦なんか必要なかった。
製造部は人事部のすぐ下の7階だ。川岸は勢いよく階段を駆け下り、開けっ放しにしてある常務室をのぞき込みながら「失礼します」と扉をノックした。
本社が新社屋に移転して、後藤田が退任したことで専務不在となったことにもよるが、それまで専務以上にしかなかった個室が常務にも宛てがわれた。しかし、室内は質素にしつらわれており応接セットはなかった。その代わり楕円形の小さな会議用テーブルが置かれ、部下たちとの打ち合わせなどに使えるようになっていた。応接セットは実務部屋の隅に置かれ、一般来客や打ち合わせ用に使われていた。
浮田は役員用の黒革張りのオフィスチェアを横にひねり、背もたれに深々と身を沈めながら足を投げ出し何やら業界誌のようなものを読んでいたが、川岸を見とめると「おう」と言って執務机を離れてきた。
川岸は、扉を閉めてテーブルの反対側に座った。
「実は今日は常務にお願いがあって来ました」
「ヘーッ、君が頼みなんて珍しいな。君に頼まれるようなことがあるかね」ニヤニヤしながら相変わらず嫌味な言い方をした。山本の人事では製造部に押し付けられ、煮え湯を飲まされている。近ごろどうにも虫が好かん相手である。
しかし、川岸は浮田の嫌味にも動じることなく単刀直入に切り込んだ。

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