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回想

更新 2016.05.24(作成 2010.02.15)

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第5章 苦闘 36. 回想

「まあ、あまり気にせんでくれ。これまで長いことそういうやりやすい形できたから急に変わることに抵抗があるんよ」と宥(なだ)めてきた。
猪城にしてみれば冷機技術課が人事部の方針に真っ向から反対していると思われたまま帰したくなかった。そこには平田や陽が昇る勢いの川岸に対して、あるいは人事部に対しての気遣いが滲み出て横尾と違った大人の身のこなしを感じた。
「いえ、なんともありません。私は良いか悪いかだけです。一途に会社のためにどっちが良いかしかありません。ご意見はご意見として伺いますが、あちこちいろいろ話を聞いてきましたが皆さんこの案を支持してくれています。このまま役員会にぶつけてみたいと思います」
あれだけ激しい剣幕で詰め寄られたにも関わらず部屋を出た平田は冷静だった。会社を思う気持ちで勝ったと思えたからである。彼らもまたそうしたやり方が会社のためだと思っているのだろうが、どこか身勝手さが臭って組織論として素直に聞き入れられない。現に営業本部長もこれでいいと認めている。そう考えて拳をグッと握り締め、「ウン」と1回うなずいた。

平田はその足で製造部を訪ねたかったが一旦人事部に戻った。ここは一筋縄ではいかないところだ。自動販売機で缶コーヒーを買い、気を落ち着かせ覚悟を固めるため席に戻った。胸の高鳴りは早い。
平田はコーヒーを片手にこれまで回ってきた部署の反応を思い出しながら、どこの部長も比較的好意的だったことに安心した。むしろ畏敬の念で受け止めてくれたことが嬉しかった。その理由も平田にはわかっている。それだけに自分のやっていることがこれまでの会社の殻を破る改革の一端を担っている実感を味わえた。
その理由とはこうだ。これまで人事に関する政策について人事以外の人が事前に知るなんてありえないことで、人事は「秘密のベール」に閉ざされたままだった。他の役員ですら役員会で初めて知らされることが多く、そこで決定され結果として全社に流されるのが通例で、役員会に出ない部長以下は決定の通達が流れて初めて「ヘーッ、そうなんだ」と驚くだけだ。そのため人事の制度や政策に関して馴染みも造詣もなく、その必要性も真剣みも爪の垢ほども感じてこなかった。それが今回は、意見調整という形で人事が事前に自分たちの意見を聞いてきた。専門バカではだめだという樋口の教唆もある。そんなことが彼らに真剣に平田の話を聞かせたのだがそこは複雑だ。初めての取り組みへの驚きと、何事か知らんという警戒と、忙しいときの面倒くささが入り混じって初めはどの顔もこわばっていた。だが、比較資料や現状の問題点などを初めて見せてもらいながら説明を聞くうちに、手当額が異様に低いことや歪な組織の状態に気付かされ、彼らは人事政策に目覚めた。
その上、このたびは改めて正すべきは正してくれるという。人事への警戒心は安堵感から理解へと変わっていった。
川岸の狙いはこんなところにあったのかもしれない。全部署を自分が回るわけにはいかない。それで平田にやらせたのか。軽いセンセーションを起こした。

平田は、営業と総合企画の本部長が済むと一番に新田のところに行った。平田が壁にぶち当たっていたとき解決の糸口を与えてもらった恩義もあるし、何よりも彼の論理的ハードルをクリアしなければどこかに矛盾や瑕疵が潜んでいるような不安が払拭できない。
新田は川岸とは正対極の人間だ。川岸は大局的で概括的な物の考え方をし、そのくせ人に対しては実にきめ細やかな配慮をする。部下の進言にも快く耳を傾け、積極的に聞き入れようとする彼の哲学は言行一致でわかりやすかった。その点新田の考え方は具体的で初めから細かい理論を積み上げていく。そのため考えがまとまったときはほとんど構想や結論が出ており、部下とは議論しながら理詰めでそちらにリードしていく。いや、彼の中では先に結論があり、理論の積み上げはそれを確信するための裏付けにすぎないのかもしれない。そうした論理構成に時間がかかりなかなか結論が出ないのも特徴だ。部下にとってはどちらも蔑(ないがし)ろにできないしんどい上司だ。方や全てを飲み込んでしまうため、誤らせてはならじと部下自身が必死に勉強しなければならない。方や論戦で詰め寄られたとき負けてはならじとこれまた勉強を強いられる。部下にとっては両方ともクリアしなければならないきつい相手だ。
「できたのか。早かったな」
「はい。お陰さまでなんとかまとまりました。まだあくまでも私案の段階ですがちょっと見てもらいたくて持参しました」そう言ってコピーを渡した。
新田は一通り走り読みしたあと、もう一度最初からページを繰りながら全体構成を確認し、
「ようできたやないか。ほかに誰か見せたのか」
「営業本部長と総合企画本部長に見ていただきました」
「なんか言っていたか」
「いえ、特には何も。ただ営業本部長はチーム編成について担当と打ち合わせは済んでいるかと確認されただけです」
「あそこは冷機と車両と2つのシコリを抱えているからな。本部長も現場との板ばさみで弱っておられたところにこの案が出て踏ん切りがついたんじゃないかな。俺もこれでいいと思うが冷機はもめるぜ。腹を括っていけよ」
半分面白がっているようにも見える。
「小人物ほど権力を欲しがるし、独裁を好むからな」
「そういうもんですか。他になにかありませんか」
「うん。規定の改定案が提案されているやないか。これは規定に関する稟議だから人事部で起案するのがいいか、総務部でするのがいいか、総務課長と相談してやってくれ」
「はい。わかりました」
とはいえ、平田にはどちらでも良くて、案が通ればそれで良かった。
手当額の水準や実施は賃金改定と抱き合わせにするかなど細々したことも確認されたが「まあ、これで良いんじゃないか」と、思ったよりすんなりと認めてくれた。なにか拍子抜けの感じがしないでもなかった。
新田の予想どおり、冷機技術課には怒鳴られた。しかし、他の部署からこのことについては何も異議は出なかった。今までは冷機技術課の特異性に惑わされて誰もが手が付けられなかっただけで、皆おかしいと思っていたのだ。
残るは製造だ。そんなことを回想しながら、製造部へ行く覚悟を決めた。

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