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パソコン

更新 2016.05.24(作成 2009.10.23)

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第5章 苦闘 25. パソコン

森山は平田の困惑を楽しむように、
「いままでは、これこれでABCDを付けてもらっていました」と得意げに説明した。それは評価制度と呼べるような代物ではなかった。
「わかりました。それではいきなり制度変更もできませんから今年もそれでいってくれませんか。それは森山さんが手配するんですか」
「いや、やってよかったらやりますけど」
なぜか今度は一変して狼狽した様子である。その意味は平田にはわからなかったが、
「それじゃ、お願いします」と、あっさり頼むより他になかった。
部内に平田が転入してきたことで何か新しい波紋を広げつつ、それゆえの戸惑いや波乱の風も巻き起こしながら平成2年の平田の本社復帰初年度の人事部勤務は過ぎようとしていた。

このころ、平田は会社の近くに駐車場を借り、車での通勤に切り替えた。何分にも時間が不規則でとてもバスの時間に合わせた仕事ぶりができない。最終バスがないからといってそうそうタクシーで帰るほど余裕はない。会社近くの月極め駐車料金はタクシー1回の乗車料金とほぼ同じくらいである。これで平田は時間を気にせず仕事ができた。
中には会社のタクシーチケットを上司にせびる者もいたが、平田はこんなことで川岸らに甘えるのは嫌だった。“通勤手当はもらっている。後は自己責任だろう”そう思っていた。不心得な者はタクシーで帰りたいために明らかにわざと遅くなる者もいた。
バスでは新聞を読んだり睡眠不足を解消するメリットもあったが、時間が掛かりすぎる。それにそのバスに間に合わなければ仕方がない。
妻は逆に事故を心配し、「そこまでしなければいけないの」と反対したが「大丈夫、気をつけるから」と了解を得た。
平田はやるからには納得のいく仕事がしたかった。中途半端にごまかし後で悔やみたくなかった。
そこまでしなければならない大きな理由がもう一つあった。それはパソコンである。
パソコンはただ慣れればいいというものではなく、それを使いこなし本来の仕事を成し遂げるためのものである。パソコンをうまく使いこなせば仕事のスピードを格段に向上させ、内容も濃くなり精度も上がる。
平田は以前、電算室の荻野から
「これからはパソコンの時代が来ます。これをいかに使いこなすかがビジネスの成否を左右します。パソコンの性能もこれから飛躍的に向上するでしょう」と教えられた。それを常に意識の片隅に置いていた。
今はぎこちない使い方だが、きっと一番使えるようになってやると固く心に決めて努力した。
例えば、日中は他の者のパソコン使用の邪魔にならないように、企画書の骨子を考えたり、内容を調べたり書き留めたり、業務の大方のことを紙上でこなしておき、夕方からパソコンで仕上げるという具合である。こんなだから仕事ははかどらない。最終バスは夜中の0時である。車通勤に切り替えた理由である。
そのころ東京では、中高年のビジネスマンが会社の帰りにパソコン教室に自費で通うのがブームになっているとニュースで何度か見た。中高年は若い人のように電子機器への馴染みが容易ではない。40才前後から上のビジネスマンは特に取り組みが鈍い。しかし、仕事は許してくれない。システムは効率化とスピードUPの名の元に容赦なく刷新され、執拗に彼らにスキルの習得を迫っていた。
広島ではまだそんな話を聞くことはなかったが、それはいずれビジネスの世界をIT化という波が席捲することの証しである。
平田も来年は40才である。十分中高年である。平田は荻野の言葉を思い出し、歯を食いしばって習得に励んだ。

年末の予算編成作業を見て高瀬は鈴原の交代を川岸に願い出た。
高瀬は情の人間であり、部下の更迭など考えられなかったが今回は余程我慢がならなかったのであろう。
「あのー。鈴原さんを誰か他の人間に代えたいのですが」
「鈴原をか。森山は大丈夫か」川岸はむしろ森山が心配だった。
「森山さんも問題はありますがやることはやってくれます。鈴原さんはやる気がありませんし、責任感がまるでありません」
「そうか。わかった。考えておく」
こうして年末の定期異動で、鈴原は営業所の事務担当に出され、代わりに総務部から長峰真治が呼び戻された。
長峰真治は41才と平田より2才年上の係長で、昔人事部で給与計算や社会保険などの雇用管理業務を担当したことのあるベテラン中堅社員である。性格は芯のしっかりした落ち着きと安定感があり、それでいて言うべきことはきちんと主張する気骨があった。堅実な仕事ぶりは社内でも1、2を争う定評があった。
平田は長峰に興味を持った。平田も数年前は本社に勤務しており、工場に転勤になっても組合活動なんかで本社とは常に接触はあり、ほとんどの人間について大体わかっているつもりだった。しかし、長峰については自分の視覚の中になかった。平田はどんな人物かはわからなかったが、なんとなく存在感を醸し出していることが感じられ、好感が持てた。
上司だからといっておべんちゃらを言ったり擦り寄ったりすることはしない。そのため上司にとって頼りになるが煙たい存在になることもある。本来なら管理職の力量と評価されてもけしておかしくなかったが、そこまで入れ込んで推薦する役員はこれまでいなかった。

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