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落しどころ

更新 2008.04.15(作成 2008.04.15)

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第3章 動く 55. 落しどころ

川岸から争議通告の報告を受けた6日の夜、後藤田は吉田を料亭‘長野’に接待した。およそ1年前、新執行部が発足したときお祝いに三役を招いたところである。大事な話があるときや人に見られるとまずいときには使っている。
「吉田さん、どうしても三六をやらなきゃいけませんか」後藤田はそう切り出したが、何がなんでも阻止したいという逼迫感はなかった。
「そりゃ、回答次第ですよ」吉田も苦笑いしながら答えた。
「というのはね、金丸社長が13日に来られることになったんですよ」
「本当ですか。それは何しに来られるのですか」
「もちろん、あなたがお願いした社員との面談をするためですよ」
「うわぁ、ありがたいですね。金丸社長は私たちを見捨てなかったんですね。嬉しいね」吉田は子供のように喜んだ。
「それで、専務はそれをいつお知りになったんですか」
「今週の初めだったかな。日にちがないから慌てて段取ったようなわけですよ」
「もうチョット早く教えていただけたら、なんとか回避できたかもしれなかったのに」
「うん、そうですか。そりゃね、いの一番に教えてやりたいと思いましたよ。しかしね、それをやると交渉になんらかの手心が加わるでしょう。そうすると迫力に欠けてくる。他の交渉委員の人たちに会社の真が伝わらないと思ったんですよ」
「それじゃ、川岸さんも知らなかったんですか。それは川岸さんも同じでしょう」
「彼の場合は違う。彼はこうなるまでのことに関わっていないから、逆に必死で解決しようとするよ」
「そうですか、そうかもしれません。私が我慢すればいいことでした」
吉田は、あれほど欲しかった情報がこんな形でポロリと出てくる世の中の皮肉が恨めしかったが、結果としてそれで良かったんだと自分に言い聞かせた。
「それで、面談のメンバーは決まったんですか」
「メンバーはこちらに一任されたから、地区営業部長を3人と工場長を2人、それから本社は川岸君と新田君の計7名にしました」
新田泰雄は本社総務部の部長だ。41才と川岸より1才年上で、上司や株主への気配り心配りが抜かりなく、目端の利く切れ者で若くして部長に抜擢された一人だ。頭の回転が早く論理派で通っていた。
「工場長も呼んだんですか。彼らじゃ逆効果でしょう」
「そんなことはありませんよ。どうせ彼らは何も言えないんですから。彼らは生き証人になるだけですよ」
「どういうことですか」
「まあ、見てなさい。私には金丸社長のお考えがなんとなくわかるような気がします」後藤田には、金丸がわざわざ面談をするというからには、それなりに何か意思を持ってのことであろうと察していた。吉田が考えているような純粋に社員の意見を聞くためだけの目的などあり得なかった。そして面談の中でよほどのサプライズが起こらない限り、その意思は固いと思った。しかもそれが実行されるからには、自分の運命の時期が近いことも薄々感じていた。
吉田はその言い方に、後藤田の確信めいたものを感じてそれ以上追及しなかった。
「それより12日までに終わらせなければいけませんが、それでいいですね」
こちらからお願いして来てもらっている吉田に、拒否する理由はない。なんとかメンツが立つようにわずかでも握手料を後藤田に頼むしかなかった。
「2日ほど三六拒否をして、いくらかの上積みを最後に出すのでそれで終わりにしてください」後藤田は明確なシナリオを示した。
「上積みはいくらくらいですか」
「それはまだわかりません。私に任せなさい。これから会社と詰めます」
“会社正常化のための我慢のしどころだ。仕方ない”吉田は決断した。
「わかりました。ありがとうございます」吉田は、一応お礼を言ったが嬉しさはなかった。金丸の面談を逆手にとられて交渉としてはこちらの負けだと思った。自分たちの力で勝ち取ったものではないという、満足感が感じられない交渉で終わることになった。
しかし、後藤田のお陰でここまで漕ぎつけたことには心から感謝した。
「専務、飲みましょう。なんとか扉が開きそうです」2人はそれぞれの思いを胸にグラスを重ねた。

後藤田の社内根回しは訳なく終わった。金丸社長を黒船にして、
「金丸社長が来られるのに争議なんかやってる場合じゃないでしょう。なぜそんな状況になっているの、とやられますよ」その一言で片付いた。まさに脅しの論理だ。
しかし、川岸には最後まで原資を渡さず、本気で交渉に当たらせた。
一方の吉田も後4日間、闘争委員会がこれ以上暴走せず、かといって冷めもせず、回答予定日の12日のそのポイントに向けて委員会の雰囲気を盛り上げていった。まさにマッチポンプそのものだ。
三六拒否が始まった12月10日、交渉が終わった後吉田は三役を残した。
「今日はみんなに話があります。以前から金丸社長にコンタクト取りたいと後藤田専務にお願いしていて、うまくいかなかったことは報告したと思います。それが今度の金曜日、金丸社長自らがうちの主だった社員と面談されるそうです」
「エッ、本当ね。それでやな、Y部長が『金曜日に本社に呼び出されたんやが何かあるんか』と聞いてきた訳は」豊岡は情報通らしくすでに何かをつかんでいた。
「それはいつの話ですか」吉田が目を丸くして確認した。
「昨日の話です。委員長はそれをいつ聞いたの」豊岡は逆に確認した。
「私は6日の夜、専務に呼び出されて聞きました」
「しかし、それはすごいことやね。どうなったんやろう」平田は事態の急展開を不思議がった。
「やはり、なんだかんだ言っても後藤田専務が動いてくれたんだと思うよ」吉田は自分が東京に行ったことは明かさず、後藤田の尽力で通した。
「だけど、社員と面談をするなんてまるで委員長の思うとおりやね」平田はさらに切り込んだが、答えはなかった。
「それで、ここでまず我々が確認しておかなければならないのは、この件でイタズラに騒ぎ立てないことです。いろいろ問い合わせや探りを入れに来る者もいると思うけど、知らぬ存ぜぬで通してください」
「わかっちょるよね」豊岡は自分のところに問い合わせが一番多いからだと思って、チョットふくれた。
「それから、せっかく金丸社長が来てくださるのに三六拒否のままではいけないと思います。12日までには終わりたいと思いますがどうですか」
「うん、そりゃそうよ。後藤田専務の顔をつぶすわけにいかんやろ」豊岡はしたり顔で相づちを打った。
「しかし、いくらかの上積みが出んと収めようがないでしょう」作田は書記長らしく一時金のことを忘れなかった。
「後藤田専務も何とか終わりたいから必ず出してくると思います。そのときが決断のときだということをわかってほしいんです」吉田は力を込めた。
「我々の一番願っていたことが叶うんやから、それでいいでしょう」作田がみんなを代表する形になった。
「それはそれでいいと思いますが、ところで委員長も面談に呼ばれるの」平田はズバリ核心を突いた。
「いや、わたしなんか呼ばれませんよ」吉田はたじろいだ。自分はすでに東京でたっぷり話してきているから呼ばれないのが当たり前と思っていたが、他のメンバーには謎のままだ。
「それは片手落ちやろ」平田はさらに食い下がったが、
「いやー、組合の委員長なんてそんなもんですよ。専務がいいように話してくれていると思うよ」と吉田はしらを切り通したが、内心では“やはり全部言うべきだったかな”と迷いもあった。

そして12月12日、会社は2.5カ月の回答を提示し、1985年年末一時金交渉は妥結した。2.5カ月は昨年と同月数であり、昇給分だけ実質増額だった。吉田はこんなところに後藤田の心ある配慮を感じた。全交渉委員が納得し、交渉は落ちるべきところにストンと落ちた。
後藤田にとって2.5カ月は意味のある数字だった。実質これが自分の最後の仕事と思えば下がって終わりたくなかったし、少しでも増額で終わりたかった。業績は芳しくないが、いまさら0.1や0.2カ月変わったところで大勢に影響するものではない。むしろ組合に感動のうちに終わってほしかった。そして再生する中国食品のエネルギーに繋げてほしかった。そうした思いの集約が2.5カ月という答えだった。
川岸も交渉の流れとしての2.5カ月の回答にはそれなりの意味をつかんだらしく、堂々と自信に満ちて組合に提示した。

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