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千載一遇

更新 2007.12.25(作成 2007.12.25)

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第3章 動く 44.千載一遇

組合が大会準備を忙しく進めていた8月の27日。吉田は急に後藤田から呼び出された。
“昨日は定例役員会だな。何かあったのかな。もし、何かあったのならその日に言うだろうしな”かすかにそんな懸念を持ちながら、吉田は専務室に入っていった。
「イヤー、お呼び立てしてすみません。今忙しいですか」入ってきた吉田を、後藤田はにこやかに応接セットに迎えた。自宅で話して以来、自分では腹を括ったつもりでいたが、「首になってもいいじゃないか」と言う吉田の言い草が、喉に引っかかった魚の小骨のようにシャクで仕方なかった。しかし、吉田が懇願のために何度か来るたびにそんなわだかまりはすっかり消え、今は“やってやろう”という自分のエネルギーが甦ったことに充実感さえ感じていた。
「ええまあ、大会がもうすぐですから」吉田はどうでもいいような返事を返した。
「なにか大きな問題はありますか」
「問題といえば、会社の経営状態くらいのもんですよ」吉田は、タップリ皮肉を込めたつもりだった。
「いやいや、申し訳ない」
秘書嬢が、コーヒーを置いて出ていくのを後藤田は待っていた。
「9月の7日ですが、なにか予定はありますか」
「日曜日ですからね。特になにもありません」吉田は手帳を繰りながら答えた。
「それじゃ、あなたに是非頼みたいことがあります」
「何でも言ってください。専務の頼みなら水火も辞さずですよ」吉田は、後藤田が自分の頼みを聞いてくれない不満からか、顔をチョット歪めて半ば破れかぶれの言い方をした。後藤田はそんな吉田にお構いなく、
「それじゃお願いします。実は、私の大切な知り合いが東京から出てきます。6日に長門で大事な用事を済ました後、7日に私とゴルフがしたいと誘われましてね」
「はあ」吉田は曖昧な相づちを打った。
「吉田さんに、その帰りのお土産を用意してほしいんです」
「なんだ、そんなことですか。そんなことなら、専務でしたらいくらでもいい人をご存知でしょうに」
「いやいや、あなたがいいんです」後藤田は、意味ありげな笑いを浮かべながら、「お願いします」と頭を下げた。
後藤田の意味深な言い方に、吉田もニコニコしながら答えた。
「なんか気持ち悪いですね。ハッキリ言ってくださいよ」
「いやいや、特別なにもありません。ありきたりのお土産なら自分でも用意できますが、長門のお土産といえばやはり水産物でしょう。それには、吉田さんにお願いするのが一番確かかなと思ったんですよ。大切な人だから一番信頼のおけるあなたにお願いしたいわけです」
「そうですか、そこまで言われたら断れないじゃないですか。わかりました。この前奥さんにご馳走になったお礼に頑張りましょう。どんなのがいいんですか」
「長門ですからね、鰤なんかどうかと思っているのですが」
「高いですよ」
「構いません。相手が目を見張るようなものに仕立ててください。それから、宇部空港から飛行機で帰られるので、持ち運びができるようにしておいてください」
この大切な人こそが、マル水食品株式会社代表取締役社長金丸聡一郎その人だった。金丸は、昔の恩人の米寿の祝いに長門までやってくるというのだ。プライベートなのでお供もおらず、後藤田を当てにしたのだ。
“この機を活かさなくては、二度とこんなチャンスは来ないだろう”
それを聞いた後藤田は、千載一遇のチャンスと神に感謝した。いや、むしろ「この道を進め」という天の意思を感じた。それが時の声というものだ。
宇部空港まで後藤田が送っていくと言うので、空港ロビーで待ち合わせる段取りができた。

相手が誰であるかとも知らずに後藤田の意思を感じ取った吉田は、前の日から萩の実家に帰り、地元の漁師に頼んで天然鰤の活きのいいのを用意した。発泡スチロールの隙間には鮑やサザエも数個入れておいた。氷を詰めて蓋をし、ガムテープで閉じた。その上からロープで提げられるようにしたが結構重い。“大丈夫かな”と気になった。
吉田が約束の4時30分に空港ロビーで待っていると、後藤田が客人と一緒に駐車場のほうからやってきた。2人とも日焼けで顔が赤かった。
「イヤー、すみませんね。これですか」と吉田の提げていた発泡スチロールを取り上げた。
「結構重くなりましたが、大丈夫でしょうか」
「うん。聞いてみよう」
「社長、これお土産です。ちょっと荷物になりますが、気持ちばかりにこちらの海のものを用意させてもらいました。持てますか」後藤田は振り向いて金丸に尋ねた。
「オヤオヤ、そんな気を使ってもらって、すみませんね」と言いながら、金丸は自分で提げてみた。
「ほう、結構重いですね。なんだろう。楽しみです」
「大丈夫ですか。なんでしたら送りましょうか」
「いや、大丈夫です。向こうでは息子が迎えに来ることになっていますから、手荷物で預けてしまえば何とかなりますよ。せっかくのお気持ちですから早く頂きたいですからね。このたびは何から何までお世話になりました。今度は私のほうからお礼をさせてもらいますよ」
「何を仰います。ほんの気持ちばかりです」
金丸は搭乗カウンターで手続きを済ませ、手荷物を預けると機上の人となった。吉田のことは、後藤田の信頼のおける社員か使い勝手のいい魚の商売人くらいに思ったのか、後藤田と一緒に見送る吉田にはチョット目を向けただけだった。後藤田も改めて紹介はしなかった。2人を引き合わせるつもりなら紹介してもいいはずなのに、どういうつもりだろうか。
後藤田はゲートに消えていく金丸に深々と頭を下げて見送った。誰だかわからないが後藤田の大事な人だからと、それに倣って吉田も深く頭を下げた。
金丸の姿が搭乗ゲートの奥に消えると、吉田が尋ねた。
「どなたですか」
「会社にも、私にも、あなたにも大事な人です。今日が大事なターニングポイントになるかもしれません」
「……」吉田は狐につままれたような気分で面白くなかった。後藤田が社長と呼ぶからには、もしかしたらと思わぬでもなかったが見るのは初めてである。私服に日焼けの顔。どうしても写真で見た顔とイメージが結びつかなかった。
「いや、今日はありがとう。よくしてくれました。きっといい目が出ますよ。うん」後藤田は手応えを感じたのか満足そうだった。
吉田も何がなにやらわからなかったが、後藤田が喜んでくれるのだからまあいいかと、素性の追求をあきらめた。

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