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 ホーム > 正気堂々 > 目次INDEX > No.3-26

火消し

更新 2016.05.18(作成 2007.06.25)

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第3章 動く 26.火消し

「会社がこうなったのは、私たち経営陣にも責任がないとは言い切れません。ここはいくらか出さないと難しい局面です」
「やれるもんならやらせたらいいんですよ。うまくいくもんですか」
「そうですか。やらせてもいいんですね。社長は退陣せよとか、無能な経営者だとか、過激なプラカードなんかを用意しているようですよ。汚職社長とかもあるようです。そんなことが金丸社長らの耳に入っても知りませんよ」
「誰が汚職社長なんですか」小田は、後ろめたさを怒気に変えてごまかした。
小田と後藤田が、これほど対立軸を明確にすることはかってなかった。両専務時代も営業と管理で住み分けており、それほど緊迫する場面はなかった。後藤田が小田の政策に疑問を持ち始めたのは、吉田組合体勢が出現してからである。吉田たちの真摯に会社を思う一途さが、後藤田の心のひだを刺激し、後藤田は知らずしらず本来の正義感を覚醒させていった。
「いやいや、組合のプラカードのことです。ただそんなことがマル水食品の耳に入れば、マル水食品も動き出すかもしれないということです。それでもよろしければいいんですよ。その代わり、私はどうなっても知りませんよ」後藤田は、わざと突き放す言い方をした。
「そんなこと、あるわけないじゃないですか」小田は、言い訳がましい口調になってちょっとひるんだ。
「そらそうでしょうね。社長に限ってそんなことはないと思いますよ。ただ、火のないところに煙は立たぬなんてこじつけられて、バッサリてなことも考えられますからね。痛くもない腹を探られても面白くないでしょう。ここはうまく収めたほうがいいんじゃないですか。私に任せてくれませんか」
「いくら要るんですか」小田もしぶしぶ折れてきた。
「わかりません」
「わからんじゃどうしようもないじゃないですか」仏頂面をしている。
すでに勝負あった。人間、後ろめたさや弱みがあったら、けして喧嘩には勝てない。身奇麗にしておく意味がここにある。本物の悪なら、ここで白を切り通すか、開き直らなければならない。度胸のない小悪はひるんでしまう。
「だから、私に任せてくれと言っとるんですよ」後藤田は、すでに余裕があり小田をからかいたくなった。
「組合は控えめな要求をしてきていますし、最悪でもそれ以上はないでしょう」
「満額回答するんですか」小田は驚いた。
後藤田は“そんなわけないじゃないか”と思いながら、
「状況が状況だけに、最悪の場合そこまではありうるということです」と、脅した。
「まあ、できるだけ抑えてください。頼みましたよ」小田は、そう言うと忌まわしい事柄から早く逃げ出したいかのように、あたふたと会食に戻っていった。
後藤田は、その後姿を見送りながら“かわいそうな人だ”とつぶやいた。

“さて、どうしたものか”一人になった後藤田は、落としどころを考えた。後藤田もそれほどのんびりとしてはいられない。やはり、もうすぐ終わるであろう会食に戻らねばならない。あまり騒動して金丸社長らに感づかれてもまずい。
“今の会社回答の3.2%と組合の要求の5.1%の中をとると4.15%か。それじゃ足りないな。4.5だな”そう考えて受話器をとった。
「お待たせしました。中以上だと答えてください」
「中以上ですか」河村は聞き返した。
「そうです。今の会社回答の3.2%と組合の要求の5.1%の中をとると4.15%になりますが、それを約束すると言ってください。最高4.5%を覚悟していますが、できたらそれは伏せておいてもらえますか」
「わかりました。専務お疲れ様でした。組合も喜ぶと思います」
急いで電算室へ戻った河村は、後藤田の頑張りを三役に告げた。
「ウーン、4.15%ですか」それでも吉田は手放しでは喜ばなかった。
「中を約束するということだから、多少の色は付くと思うよ」河村は、煮え切らない吉田の様子に、含みのあるところを付け足した。
「わかりました。ここは常務と専務のお骨折りに感謝してデモは中止します。ただ春闘が終わるわけではありません。専務にはもう一頑張りお願いします。本当にありがとうございました」吉田ら三役は、河村の丹心に心から感謝して河村を送り出した。

“なるほどそうか。これで春闘が終わったわけじゃないんだな。それで4.5を用意して、本来の交渉に入るわけか。さすが後藤田専務や”一人になった河村は、後藤田の思慮深さに感じ入った。
吉田らが会議室を出ると、電算室長の梶原が一人残って書類を眺めていた。河村に気を使って残っていたのだ。自分の頭の上の電気だけを点け、周りはすでに落としてある。
吉田らは、「どうもすみません。ありがとうございました」と、断りを言って組合事務所に戻った。時計はすでに9時を回っていた。

「さすが、三役やね。ようやったね。これで全てうまくいくね」報告を聞いた他の交渉委員は嬉しそうに労をねぎらった。
「いやいや、まだ明日の難題が残っているよ」作田が気が抜けかけたムードを引き締めた。
「明日は、ヒーさんと豊岡さん、それに崎山さん、木村さんで迎えに行ってください。集まったきた人をとにかくバスに乗せて、うろうろさせない。そこで事情を説明してください。月曜日に4%以上の回答が出る。そのため、ここは一旦矛を収めて会社を刺激しないほうが得策と考えた、と。説明は、事情をよくわかっているヒーさんがやってくれますか」吉田は手際よく段取った。
「いや、説明は豊岡さんのほうがいいやろ。みんなピリピリしているとこやから、ソフトタイプの豊岡さんのほうが適任だと思う。逆に、みんなを駆り立てるときは私のほうがいいかもしれませんけどね」平田は、後藤田に『ハードとソフト』と言われたことを思い出しながら、自嘲気味に言った。
「あ、そうかもしれません。それじゃ豊岡さんにお願いします」

翌朝、平田らは8時過ぎから広島城公園でみんなの到着を待った。
バスは9時前に到着した。すでに20名近くの者が集まっていた。平田らはとにかくバスに押し込んだ。
「デモをやるのになんでバスなんかに乗せるんや」と、訝(いぶか)る声が漏れ始めている。
「皆さんが集まったら説明しますので、もう少し待ってください」豊岡らは必死で静めた。
“一旦火が付いた大衆を治めるのは大変だ”平田は、傍観者のような冷めた意識で事態を見つめていた。
「皆さんおはようございます。遠くからお疲れ様です。こんなバスに乗せられて不思議に思われたことと思います。昨日から事態が急展開しましたので、説明いたします」豊岡が説明を始めた。
「そんなわけですので、これから本社広場に移って合同職場集会に切り替えます」豊岡はうまく説明したと思ったその直後、
「何を言うとるんか。俺たちは朝早くから、遠いところを出てきとるんや。何ぼの数字が出るかもわからんのに、ここまできて中止するのか」
バスの中で怒号が飛び交った。

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