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独り善がりの対面

更新 2016.04.14 (作成 2006.04.25)

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第2章 雌伏のとき 20.独り善がりの対面

筒井は、仕方なく
「この度、新しく役員に信任されました三役の方であります」と紹介した。
後藤田は、一人ひとりの人物を確かめるかのように、ゆっくりと代わる代わる4人と目を合わせていった。
平田の番が来た。平田の高ぶりは最高潮に達した。
“専務とは、真反対の位置に立ちますが、自分は何か悪いことをしているわけではありません。会社のためを思ってやむを得ず引き受けました”との思いを込めて、真正面から後藤田の視線を受け止めた。胸の鼓動がドキドキ鳴った。後藤田がどんな顔をするのか見逃すまいと、平田も必死で後藤田を見つめた。
しかし、後藤田は何も変わることなく平田とも目を合わせ、一通り見終えるとまた、もとの吉田のほうに目を向けた。平田とのその時間は、他のメンバーより幾分急がれたように感じられた。
その間わずか5秒か10秒であろうが、平田には流れにできた浮島のようにそのシーンだけが時の流れから分離されて見えた。
“あなたのお世話で入社して以来、会社は順調に成長しましたが成長神話を過信しすぎ、過剰投資で財務はおかしくなり、政策の拙さで現場は混乱しています。そして吉田らが立ち上がり、私もその一員として与(くみ)せられ、あなたと真正面に対峙する立場になりました。この流れをあなたはどう受け止めているのですか”
平田は、当然厳しい眼差しを予測していたし必死で後藤田の目を読もうとした。
しかし、後藤田の目は何も語らなかった。この流れから隔離された独自の歴史観を宿しているかのように、黙していた。

今度は、吉田が口を切った。
「この度の選挙で信任を受けましたので、ごあいさつに伺いました」
「そうですか。それはおめでとうございます。どうぞ、お掛けください」
吉田らは、長ソファに詰めて座った。少し窮屈である。筒井も、後藤田の横に座った。
役員秘書がお茶を運んできた。人事部でコーヒーが出たことを確認してお茶にしたのであろう。
後藤田は、秘書が退室するのを待って、
「組合は経営のパートナーです。考え方にすれ違いがあってはうまくいきません。ベクトルをそろえることが大事です。お互いがあらぬ方を向いてもうまく走れません。また、健全な精神で携わることが社会からも評価されることと思っています。大変でしょうがよろしくお願いします」とあいさつした。
経営者らしい、落ち着きのある一言である。
「健全な精神でと言われますが、今病んでいるのは会社のほうだと思います。組合は新しく生まれ変わります。今度は会社の番です」
「会社がこんな具合で、皆さんには辛い思いをさせてしまって大変申し訳なく思っています。当然、経営としても座視しているわけではありませんが、会社とは複雑怪奇なもので、一朝一夕で変われるものではありません。長い年月とエネルギーを必要とします」後藤田も、何か含むものがありそうな言い回しではあるが、慎重に言葉を選んで言った。
「私たちは日々の生活があります。そんなに長く待てません。これから会社にはいろいろ提案させてもらおうと思っております」
後藤田は深くうなずきながら聞いていた。
「少しでも会社が立ち直っていくことを願って、私たちがやることにしました」
「なるほど、そういうことでしたか。ありがたく思います。立場こそ違え、経営の心も同じです。よろしくお願いします」
吉田は、後藤田との会談で、
“この人は、信頼に足る人だ”と強く印象を受けた。
一方の後藤田も、
“今までの、直裁な物言いをする才気走っただけの活動家とは違う。要求するとは言わなかった。提案させてもらうと言う。それも会社が立ち直ることを第一義に考えている。会社が立ち直らなければ彼らの幸せもないはずだ。彼はわかっている。それにどことなく人間的魅力を感じさせる。彼は何かやってくれるかもしれない”と、気が滅入ることが続いているこの時期に、久しぶりに清々しい気分になることができて嬉しかった。
こうして、平田の独り善がりの後藤田との対面は、何事もなく過ぎた。しかし、平田の気持ちがスッキリ晴れたわけではない。「君がやるのか」という思いを持っているのではないか、後藤田は自分のことを理解してくれただろうか、懸念はまだ残った。

組合大会は、いつも興奮のうちに開かれる。特に役員が交代するときは、
「次は、どんな奴がやるのか」、「ちゃんとやってくれるのか」といった興味や不安に包まれる。それでなくても今回は全員が交代である。「何かある」と勘ぐるのは当然であろう。
審議そのものが紛糾することはめったにない。議事は粛々と進められる。議事の合間や待合時間のロビー談話が、彼らの情報収集の場である。
「今回は何かあったんか」、「いきなり全員交代やな」、「今の執行部も弱いからな。交代したがいいよ」、「全員が替わって大丈夫なんか」
議事の中でのその他事項でも、この件について質問が出た。
「いきなり全員交代というのは、何かあったのかと組合員が心配するのは当然です。また、経験者がいないというのも力が落ちるのではないか」
吉田は、前委員長に目線で、「ここは私が答えます」と目配せを送り、答弁に立った。このままこの件を曖昧にしておいては今後の求心力に問題が生じると判断し、きちんと答えることにした。
「ご懸念はごもっともです。しかし、今は最悪の状態です。経営状態は不振を極めているし、現場は混乱しています。現執行部がどうこうではありませんが、現状を打破するには過去を引きずらないほうがいいと判断したわけであります。会社との対応も、下手にシガラミを持つより白紙で臨むほうが言いたいことも言えます。そのところを前委員長とよく話をしましたところ、前委員長も十分理解していただき、協力してくれたわけであります。
私たちが目指すものは、先ほどご審議いただきました運動方針にありますように、会社の正常化であります。組合の提案、要求を通じて実現していきたいと思います」
吉田の包み隠さず説明する正直な姿勢に、会場から拍手が沸き起こった。

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