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賽は投げられた

更新 2016.04.14 (作成 2006.04.05)

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第2章 雌伏のとき 18.賽は投げられた

吉田らはまたもや待たされたが、今度は2人きりにしてくれということがなかったから、“もう少しや”という手ごたえを感じていた。
佐々木が黙り込んでしまったので、横で2人のやり取りを気を揉みながら聞いていた馬場も、腕組みをして黙り込むしかなかった。トップの決断の一瞬に自分が口出しする島はなかった。
目を閉じ、腕組みをして考えていた佐々木が顔を上げた。
「わかりました。譲りましょう。その代わり交代したあと我々に報復人事はないことを約束してくれますか」
「そんな小さな了見は持っていませんよ。そんなことを考えること自体がおかしいのですよ。我々にはそんな余裕はありません。私たちは、足を引っ張ることも手助けもしません、ニュートラルです。皆さんは、これだけの力を持った人たちじゃないですか。ご自身の力で生きていったらいいと思います。大丈夫ですよ。皆さんだったらやれますよ」

話がついてからの新執行部は忙しかった。立候補届けと共に立候補の抱負を出さなければならない。それに1日費やしたため、選管への立候補届けは締め切り日ギリギリになった。
「締め切り間近になっても誰も届けがないから、今年はどうなるのかと心配しましたよ」吉田優作が全員の立候補届けを提出したとき、選挙管理委員長が言った。
「すみません。遅くなりました。慣れてないもので……」例によって、吉田優作のニコニコ顔に選挙管理委員長の顔はほころんだ。
運動方針の作成も急がれた。
「委員長、運動方針案を大至急作らなくてはなりません。どうしましょうかね」作田が尋ねた。もう委員長という呼び方をしていた。
「そうですね。各部長にお願いして作ってもらいましょう。その他はいいですか」
「あとは、大体前の人たちが段取ってくれていますので大丈夫です。それではそのように連絡します」作田は、こうした段取りや気配りがよくできた。吉田の良き補佐役だった。
「大会の準備は、前任者たちが大体段取ってくれていますが、議案書の運動方針は我々で作らなくてはなりません。各部長さんは7日までにたたき台を作ってきてください。そこでみんなで練りましょう」
作田は、運動方針の作成と新執行委員会の開催を新執行委員全員に連絡した。
「大綱がないのに、運動方針は作られんよ」中にはそう言って難色を示す者もいたが、
「わかります。しかし、今年はそんなこと言ってたら間に合いません。今は、そんなことで揉めている場合じゃありません。体制を立ち上げることが最優先です。委員長の気持ちはわかっているでしょう。それで作ってください。お願いします。7日に持ち寄ったときにすり合わせするということでお願いします」作田は、こんなとき上手く納める。

その運動方針大綱は、委員長である吉田の仕事だ。委員長として所信表明しなければならない。施政方針を述べ、運動のガイドラインとなるものを作らなければならない。吉田は作田に相談しようかとも考えたが、まずは自分の気持ちで書いてみようと、ここは一気に書き上げた。
吉田の作った案は、世界の政治経済情勢、日本の状況を広くとらえ、自社の経営状況や組織内の問題点なども痛烈な蹉跌として赤裸々に述べていた。その上に立って、自らの進みたい方向を虚心坦懐に述べている。
彼の物事に拘泥しない自由闊達な気分がよく滲み出て、平田は“らしくていい”と思った。
大筋ではいいが、細部においては誤字脱字、表現の拙さなどが目立ち、全員で叩き直した。ここでも作田は自前の強みを発揮した。誤字脱字、文章の巧拙など実に細かい部分までよく気が付き、校正に力を発揮してくれた。
執行部の構成は、組織部、企画調査部、賃金部、福利厚生部、教育宣伝部などの専門部があり、委員長、書記長、会計以外の執行委員は、それぞれ専門部を担当することになっている。
各部長も、“いよいよ来たか”と身が引き締まった。かといって急に何か新しい構想が浮かぶものでもないし、腹案も持ち合わせていない。それをするには時間が足りなかった。しかし、立ち上がったときに秘めていた思いはある。それがベースとなった。旧体制が作った案に自分の思いを重ね合わせ、やりたいことを「新たに見直しに着手する」とか、「取り組みを始める」といった意思を表明した。

毎年、大会は10月上旬の日曜日と決まっている。あと一月ちょっとしかない。それまでに議案書を作成し、印刷配布しておかなければならない。組合員がそれを読み、質問や異議を職場の代表として選ばれた代議員に託す時間が要るのである。
議案書を大会に付議するまでの会議の流れは、
「執行部案中央委員会ブロック会議支部会(組合員へ説明)支部会(意見集約、代議員選出)大会付議」となる。
各部長は、思い思いの案を7日に持ち寄り、新執行委員会に掛けた。斬新な運動方針案を練り上げる時間的余裕はない。大綱とのすり合わせや表現の仕方などを修正するだけであった。拙速ではあったが今回は仕方がなかった。なんとか運動方針案を作り、現執行部の活動報告や会計報告と共に議案書に載せてもらうよう持ち込んだ。
平田も賃金部長として賃金部の運動方針を作らなければならなかったが、現状の把握がまるきりできていない。豊岡に相談を持ちかけた。
「賃金部の運動方針案をどうしたらいいかね。さっぱりわからんよ」
「そうやな、俺もようわからんが今年はどうするということが言われんやろ」
「そうなんよ、どこにどんな問題があるのかこっちはわからんから」
通常の引継ぎであれば前任者から課題や問題点をレクチャーしてもらうこともできるが、今回は意地でもそれができない。
「私たちの運動に異議ありとして立候補してきたんでしょ。それだったら私たちの考えを受け継いでも仕方ないでしょう」と言われるだけである。
「しょうがないから、‘賃金の要求基準の見直しと諸手当の見直しに取り組む’としたらどうかの」
「諸手当の見直しは何となくわかるが、賃金の要求基準の見直しというのはどういうこと?」
「賃金にしても賞与にしても、何を根拠に要求しとるかわからんやろ。だから何か新しい基準を考えるんよ」
「そんな難しいことは1年でできんよ」
「できんでもいいんよ。‘作る’とハッキリ書くんじゃなくて、‘見直しに取り組む’としとけばいいやんか」
「そんな曖昧なことでいいやろか」
「大丈夫よね。これだけ大きな問題なんだから、1年や2年掛かることくらい誰もわかっとるよね。1年間じっくり考えながらやったらいいんよ。そしたら、だんだんと具体的問題点が見えてくるよ」
豊岡は、自分でもそれ以上のことはわからなかったが、“平田ならなんとかやるだろう”と高を括って甘く受け流した。
平田は通常業務で原価計算をやっているから、人件費の項目やどんなときに支払いが発生するかは知っていたが、集計の立場でしか考えていなかった。組合活動とか、仕組みを改革する立場での視点はなかったので戸惑った。
しかし、その辺がなんとなく問題であるといった漫然としたムードが新執行部全体に流れており、やむにやまれずそうせざるを得なかった。この2項目を入れた賃金部の運動方針案は、すんなりと承認されてしまった。
賃金だの手当だの、平田にはさっぱりわからない。何をどうしたらいいのか、これから先のことを考えるとゾッとする思いである。しかし、賽は投げられた。

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