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転機

2016.04.08 (作成 2005.10.05)

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第1章 転機 25.転機

「人生は出会いである」とよく言われる。出会いと言ってもただ知り合いと言うだけの巡り合いのことではない。お互いが何らかの影響力を持ち、その後の人生に作用し合うまでの深い関わりを持ち、精神の活動を高め合う出会いである。
中国食品は、広島の可部という小さな町に本社をおく従業員1,300名の中堅企業で、平田浩之はそこに働くごく普通のサラリーマンだった。
その平田の人生に劇的な変化を与え、また今後の人生にも影響を与えそうな出会いがいくつか起きている。
まず、豊岡との出会いである。既に旧知の仲であるが、そもそも彼との出会いがあったがために何か訳のわからないとんでもない企てに引き込まれそうになっている。
その企ての原因となっているのが、平田の所属する製造部の浮田安弘常務の思惑からである。
その浮田との距離感は、前任の製造部長であった近野正寿常務と出会い、基本的考えやスキルをしっかりと鍛えられていたことがベースに成り立っている。
近野からは平田が送るビジネスマンとしての基本的考え方、精神の持ちよう、経済の基礎知識などをしっかりと教え込まれた。近野の教育はかなり厳しかったが、そこに愛情を感じることができたから付いていくことができた。そのときの教えが、その後平田がビジネスマンとして活動していく上での基本的モデルになっている。
「平田君よ。経済とは、経世済民だ。同じ仕事をするなら大志を持ってやれ。やりがいは何倍にもなって、仕事が楽しくできる」
今でも忘れられないビジネスマンの入り口であった。
平田は近野常務を敬愛し、師と仰いでいたが、早世されたため浮田との巡り合わせになってしまったのである。
このときの平田は、まだ経世済民の意味すら理解できていなかったが近野の教えを理解しようと一生懸命勉強した。
不幸なのは、いい人から悪い人へ巡り合ったことである。
近野に鍛えられ考え方の基礎を作った平田は、浮田に対して常務としての資質や人間性にいささか疑問を抱いており、浮田もまたそうした平田を疎ましく思っているところに山陰工場建設投資案を巡って2人は対立してしまった。それが引き金となって確執になっていくのである。
もし近野常務との出会いがなかったら平田はごく普通に浮田の指示に従い、魂のこもらない無機質な企画書を事務的に作り上げたかもしれない。

平田の後を受け、その企画書を作りあげたのは山本である。彼もまた近野に鍛えられた一人であったが、彼は自己中心的でありすぎた。せっかくの近野との出会いも自分の信念を高めるまで傾倒していなかった。というより、近野の薫陶を口裏だけ合わせて案外覚めた心で聞いていたのかもしれない。
そのため、中国食品の悪の元凶とまで言われる工場の初代工場長のポストと引き換えに、浮田の懐柔にあっさりと屈してしまったのである。
サラリーマンとは、なんと悲しく弱い生き物であろうか。
常識的に考えておかしいことや無理なことでも、自分の利害のためならあっさりと捨て去ってしまうではないか。出世のためなら自らの定見も志も捨て去っていいものであろうか。
また、山本が工場長にふさわしい人物かどうかは問題にもならず、浮田の思惑だけで選任されてしまったのである。ポストの人選が、一事業部門長の判断でなされてしまう現状に中国食品の人事の問題が隠されていた。また、そのような人事を行う部門長そのものの人選も問題である。
人事とはいかにあるべきか。本編の大きなテーマでもある。

しかし、人はなぜそうまでして偉くなりたいのであろうか。
“マズローの5段階の欲求”では、人間はまず第一に、生理的欲求を満たされたいと思う。次に安全の欲求、親和の欲求、自我の欲求、そして最後に自己実現の欲求を満たしたいと思うのだそうである。
これからすると、権力を持ち、自由裁量の余地を大きくし、自己実現を図るために出世したいと思うのはごく自然な誘惑かもしれない。
しかし、平田は最後まで頑張り通した。それは平田の仕事に対する使命感であり正義感だったように思う。そのことはその後の平田の仕事ぶりにも表れてくる。一見損な役回りのように思えるが、はたして正義は報われるのか。
この2人の生き方の違いが、その後の2人の運命を大きく左右するから人生とは面白いものである。

人生は自分の生き方だけでなく、会社の経営状態によっても大きく影響を受ける。会社の経営状況は、そこに働く社員たち全員の生活に大きく影響するのである。
今まで順調に成長してきた中国食品も、トップの交代を機に業績に陰りが見え始めた。営業管理職がやる気を失くしてしまったからである。
それはトップの営業管理職に対する対応のまずさが直接的な原因であるが、多分それも平田の浮田に対する思いと同様に営業管理職のトップに対する信頼感の喪失が根底にあるようである。社員は極めて愛社精神に富んではいたが愛社精神が旺盛なればこそ、失望感もより一層大きいのではないだろうか。
営業第一線の管理職がやる気をなくしては業績は伸びない。
上に立つ者、常に気を引き締めていないと一度部下の信頼を失うと回復するのは難しい。位が高いほどその影響も甚大である。かといって権威をかさに威張りちらすのは逆効果である。人間の器の小ささを曝け出しているだけのことである。上に立つ者、知識技能だけでなく人間的魅力も磨かなければ人は付いてこない。

業績が傾き始めたところに山陰工場の建設である。負担はさらに重くなった。平田のシミュレーションでは正味10億、いろいろ捻出しても7億の赤字要因になる計算であった。
平田は、“会社がダメになっていくときというのは、こんなことがきっかけかもしれない”と、ぼんやり考えていたが、それまで順調に会社が伸びていただけに、まだ確信を持っての予見ではなかった。
当たり前のことが当たり前に通らなくなったとき、会社はおかしくなる。
当たり前のことと、おかしいことをきちんと見極められ、主張できる土壌があることもその会社の力量である。
「社内の常識は世間の非常識である」
大企業になればなるほど、社内の常識を変えることは難しくなる。一人二人の主張では組織に埋没してしまい、よほどのエネルギーを投入するとか、危機に陥らないと変えることができない。
三菱自動車然り、カネボウ、西武鉄道然りで、卑近な例も枚挙に暇がない。
しかし、これらの企業も大きな痛みを味わい、今立ち直ろうとしている。
新しい血潮が注ぎ込まれたのであろう。
こうなる前に気付かなくてはならないが、常識の中で埋もれていてはなかなか気付くことは難しい。本当の意味での社外取締役制度の活用やコンサルの活用はそのために有用かもしれない。

さて、そんなとてつもなく大きな負担を抱えて中国食品はどうなっていくのであろうか。順調に伸びてきた業績に大きな転機が訪れようとしている。
心配するのは平田だけではなかった。平田を朝早くから喫茶店に呼び出した豊岡が言い出したことは、
「お前、今の会社をどう思うか。このままではつぶれるぞ」であった。
平田にしてみれば、“だからどうなんだ。俺なりに精一杯頑張ってみたさ”と言いたかった。浮田とのやり取りを思い出しながら、自分が責められているようなやるせない思いを抱いたのである。
浮田との確執、そして豊岡の誘いを機に、会社の業績だけでなく平田自身の人生にも大きな転機が訪れようとしていた。

こここまで、これから始まる物語の背景となる出来事を語ってきたが、しかし、物語はまだ始まったばかり、ほんのプロローグにすぎない。
会社の業績は目を覆わんばかりに衰退し、多くの社員たちを運命の波で翻弄するが、平田や豊岡、そして多くの登場人物たちはどんな活躍を見せるのか。
中国食品は可部という町の小さな会社であるが、『正気堂々』は、こんな小さな会社でも必死に生きている人間たちの壮大な物語である。

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