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一矢を放つ

更新 2016.04.18 (作成 2006.07.25)

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第2章 雌伏のとき 29.一矢を放つ

「まず、最初に一言申し上げておきます。ただ今の社長のお話を聞いて悲しく思います」吉田は、目を細め悲しい顔を作って役者した。
「経営責任者としての気概が全く感じられません。経営とはそんなものですか。それだったら誰でもできます。そんなトップの下で汗水流している組合員がかわいそうで、大変悲しく思いました」吉田は、人間の心のひだに訴えかけた。誰も予期しなかった切り込み方であったが、平田は、“うまい”と心の中で感心した。今日は懇談会であり過激な責任追及はできないが、へらへらとお茶を濁す気にもなれない状況で、吉田は見事な一矢を放った。
小田は、初めから渋い顔をしていたので顔色に変化は見られなかったが、“フン、若造が何を言うか”と書類を見たまま顔を上げない。
しかし、吉田の一言で、会議室に一種清新な空気が流れたのは事実だった。数字ばかりに気を取られ、誰もが忘れかけていた社員への思いやりの心を、吉田はたった一言で思い起こさせたのだ。
やや置いて、吉田は続けた。
「償却負担と金利負担が重いとのことでしたが、それぞれいくらくらいの額になるのでしょうか」
「細かい数字は省きますが、今年度は年初からフル稼働になりますので償却は5億円になります。山陰工場建設にあたって、長期借り入れを70億円起こしております。この金利が4%と見て3億円弱になるかと思います。これらの負担が今期業績を圧迫しておる状況です」
「合わせて8億円ですか。大きい負担ですね。そもそもこんな投資が必要だったのでしょうか。その辺の判断をどうされたのか、ご説明いただきたい」
「その辺につきましては、浮田常務のほうからお願いしましょう」
「いやいや、それはいけんでしょう。起案は製造部かもしれませんが決断は社長ですから、社長ご自身のお言葉でご説明ください」吉田は譲らなかった。この場で責任追及するつもりもなかったが、責任の所在をうやむやにされるのも嫌だった。
隣で作田が、
“浮田常務でもいいじゃないか。そうすれば俺たちが一斉射撃に出れるのに”と、まるで腕まくりをしていつ参戦するかと身構えているような気配で、もぞもぞと落ち着きがなかった。
玉をわが身に振り戻された小田は、渋々説明を続けた。
「わが社は、広島、福山、岡山、周南と4カ工場を有しておりましたが、どれも老朽化して製造能力いっぱいの状態でありました。そのままいきますと能力不足を来し、品切れ状態を起こすことが懸念されました。
そこで、新しい工場の建設に踏み切ったわけでありますが、候補地として山陰が適切と判断したわけであります。山陽側には既に4カ工場あり、新規市場開拓の可能性を経営戦略として考え、山陰側に造ることを決断しました。どうせ造るなら、いずれ山陽側の工場が能力不足を来したときに山陰工場でカバーできるだけの能力を持たそうと少し大きめの工場を建設しました。
そんなわけで、今しばらくの間は償却負担や金利負担で苦しい時期が続きますが、全社員一丸となって頑張り、なんとか乗り切っていきたいと考えております」
「候補地選定の考え方はいろいろあろうかとは思いますが、基本は市場性だと思います。山陰の市場をどのように考えられたのですか」
「山陰地方といっても北は鳥取、倉吉から、南は萩、長門と大変縦長の地域であります。このうち萩、長門は山陰に位置するとはいえ、商圏的には山口、徳山に入るかと思います。同様に倉吉あたりも岡山や阪神の商圏の影響を大きく受けている地方かと思います。そこで、浜田、出雲、松江、米子を重点エリアと考えまして、候補地を米子に設定しました」
「そうしますと市場としてはあまり大きくないと考えますが、工場の規模は大きすぎませんか」
「山陰だけで考えますと少し大きいかと思いますが、将来山陽地区で製造能力不足が起きたとき、それをカバーするために能力に余裕を持たせたわけであります」
「山陰地方は、人口密度の側面からだけで市場を測るのでは十分とはいえないと思います。食生活の文化が山陽側と大きく異なっております。日本海という豊かな漁場を持ち、魚を中心とした食文化です。それに野菜なんかも、目の前の畑で自前で調達しているのがほとんどの状態です。
そう考えますと、市場として見たときはその分割り引いて考えるのが相当と考えます」
“なるほど、そういえば投資額とか能力とか数字ばかりの議論に終始していたな”と、どの役員も食文化という点についての検証が不十分だったことに気づかされた。しかし、もともとこの投資は浮田と小田の2人の出来レースでスタートしており、今更検証も何もあったものではない。それに代表権を持つトップの決断を覆すのは至難の業である。やはり、役員の殺生与奪権を持つトップの力はそれほど偉大なのだ。
「製造技術は年々進歩しており、能力的には大きすぎるかもしれませんが、既存の工場にはない技術も導入しておりますので新しい製品も山陽側に出荷できます」
「その山陽側への出荷ですが、今現在既に行われているようですね。その必要があるのでしょうか」
さすがにそこまでは小田も知らなかったようで、
「浮田さんどうなんですか」と尋ねた。
「はい。広島工場で品不足が発生しますので、その分を山陰工場から運ばせております」浮田はあっさりと答えた。
「それはおかしいじゃないですか」作田がこらえきれずに割り込んだ。かなり気色ばんでいる。
「なに」と言わんばかりに浮田は作田にキッと向き直ったが、そんなことでひるむような作田ではない。
「去年まで広島工場から山陰地区へ出荷していて、それだけの生産能力があったのに、しかも今年は販売も落ち込んでいるのに品不足とはどういうことですか。どうしても合点がいきません」今にも食い掛かりそうに勇み立っている。
しかし、浮田は澄ました顔で答えた。それがまた作田の癪に障るようだ。
「昨年度まで、広島工場では3交替24時間体制で製造しておりましたが、山陰工場ができたことで1交替分を山陰工場へ移しました。その分製造能力が落ちるのは当たり前です。その不足分を山陰工場から運ばせております」
「ということは、トータルで昨年より販売が落ちていて十分能力は足りるのに、 わざわざ広島工場の能力を落として山陰工場から運ばせるために100億もの投資をした、というように聞こえます。この投資は無駄だったということですね」
作田も、皮肉の切り返しは誰にも劣らない。これには浮田の顔色が変わった。

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