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落日

更新 2013.11.25(作成 2013.11.25)

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第7章 新生 7.落日

竹之内が新田のところを訪ねるのに布石があった。
会談の直前、2月に入ってすぐのことである。竹之内は樋口を訪ねている。
竹之内は3月の総会を経て中国食品のトップになる身で、いわばマル水から送り込まれた覇者である。いまや誰も抗しえる者はいない。
一方樋口はもはや引退となる身で、マル水からの信任も完全に竹之内に移り、力の衰退は落日の感がある。
しかし、それでも竹之内は樋口を立てざるを得ない。マル水では竹之内の大先輩であり、役員の序列も自分よりもずっと先を行っていた。しかも現時点では樋口は中国食品の代表権を持つ会長であり、自分は顧問である。
「来期以降の経営体制についてですが」
竹之内は樋口に気を使いながら、あまり性急にならないようソフトに切り出した。
「私はもう引退する身ですから、貴方がいいようにしたらいい」
あまり機嫌は良くなさそうだ。
「はい。その覚悟で考えてはいるのですが、受け皿が1社足りません。そこでご相談に伺ったわけです」
樋口は、このことで竹之内が相談に来るであろうことを予感していたらしく、大きくうなずいた。
「ご相談といいますのは、ダブルで置いて大丈夫かということなんです。上手くやってくれますかね」
「それはトラブルの元です。あいつらが仲良くなんかするもんか」
「やっぱりそうですか。困ったな。どうしたもんですかね。あと1社足りません。会長が信任されてきた人たちですからそうそう粗末には扱えないし、放り出すわけにはいかんでしょう」
その言い草に欺瞞の臭いを感じながら樋口はムッとしたが、引退が鮮明になっている身には今更抗弁する気にもならなかった。竹之内のいいようにさせてやろうと自分を押さえた。
竹之内は、結局、樋口のブレーン全員を首にする気なのだ。いかにも樋口の気持ちを忖度しての処遇であることを強調しているが、詭弁である。形は違うが自分もそうしてきたからよくわかる。
「うん。まあ、私が思うに、どんな形でもいいので身の立つようにしてやってほしいということや」
「はい。そのように考えております。だが、それにはどうしても数が足りません。それでダブルで置いてはどうかと考えたわけです」
樋口は「イヤイヤ」と首を横に振りながら否定して、「1社でいいのか」と尋ねた。
「はい。全員ではあまりに露骨すぎますし、社内に通じた者を1人は残したいと思っています」
「そうか。それじゃこうしたらどうかね」
樋口も同じことを考えていたらしく、予てより調べさせていたある事業のことを提案した。ただ事態が急激に進展したため、手を打つのが間に合わなかったのだ。
樋口は誰を残すのかは聞かなかった。誰を残したとしても大して違いがないと思っているからだ。誰が残ったとしてもマル水の後ろ盾がないプロパー役員では、引退したあとの自分の面倒を見る力はない。もし、あるとすればそれは竹之内だけであるが、それは望むべくもない。それに引退すれば自分は東京に帰ることになるし、それほど面倒を見てもらう必要もないと思っていた。
「吉和に“銀嶺”という造り酒屋が休眠している。これを手に入れて任せてみてはどうですか」
「造り酒屋ですか。それは使えるかもしれませんね。でも、事業としてはどうなんでしょうか」
「いや、ビールやワインに押されて酒は衰退産業だ。消費者の嗜好が変わった。事業としては余程の才覚がないと難しかろう。ここも、売り上げが年々下降気味だったところに販売店の信用を失って完全に休止してしまっている。税の支払いにも窮している状況だ。恐らく3億もあれば十分だろう。上手くいけば安く叩けるかもしれん」
「どれくらい休眠しているんですか」
「もう5、6年になるそうだ」
「5、6年ですか。それじゃ稼動させるまでに相当手を入れなければなりませんね。役員の受け皿として似合いますかね」
「竹之内さん。貴方もわかっているとは思いますが、役員を遇するというのは、何も格好いいデスクに座らせて給金を払うだけが能ではありませんよ。仕事をしてもらうということが大事なんです。恐らくこの会社を蘇らそうと思うと、オーバーホールをして、建屋を化粧して、外構を直して、従業員を集めて、販売店の信用を再構築して……。大変な思いをすることでしょう。じゃが、それが仕事です。やり甲斐のある仕事です。仕事があることが大事なんです。飼い殺しはいけません」
「いやー。そうでした。私としたことが……。会長にそう言っていただければありがたいです。後は、誰にどこを任すかです」
「そりゃ、貴方が責任者です。好きにすればいい。じゃが、たった3、4人の処遇だ、難しいことはない。収まるべきところに自ずと決まるよ。迷ったときは相談にはのりますよ」
「ありがとうございます」
一線を退いた役員は、後任役員の政策にけして口を挟まないというマル水のDNAを受け継ぐ者として横槍は厳に慎まなければならないが、
「そうは言っても……」樋口の胸中に、
「破綻寸前の会社をここまでしたのは俺だよ」という思いが、未練を残していることは事実である。樋口体制を支えてきた駒が一枚一枚剥がされていくのは寂しいものがあった。

2人は会談を終えると数日を待たずしてそれぞれの気がかりなキーパーソンにアプローチしていった。
竹之内は新田に銀嶺の買収を……。
樋口は組合委員長の坂本と最後の会談を持った。
樋口は坂本を会長室に呼んだ。
情報通の坂本も事態はすっかり飲み込めている。どんな仁義を切るかだけである。
あと一月もすると株主総会もある。業績はここ数年、横ばいかやや下降気味だ。樋口の引き際としては一番いいときかもしれない。
秘書の案内で坂本が入ってきた。
新社長に気兼ねしてか、それとももうすでに樋口を見限ってからか、部屋を訪ねてくる者も随分減った。それでも樋口は「誰も通すな」と秘書に告げ、入り口の坂本に手のひらでソファーを勧めて自分も机を離れた。

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