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鬼にも蛇にも

更新 2016.06.27(作成 2015.06.25)

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第7章 新生 64.鬼にも蛇にも

「それでは所長。あなたはいくらあれば満足ですか。他の所長さんの仕事ぶりや営業成績に比べてもまだ低いですか」
平田は新田の説明が途切れたところで口をはさんだ。
「他の人は他の人です。私は自分のことを言ってるんです」
「エエッ。それでご自分の実力や働きに比べていくら位が妥当だとお考えですか」
「いえ、金額云々じゃないんです。会社はもっと社員を大事にしてほしいと言っているんです」
「はい。会社は精一杯大事にしていると思います。先ほど新田専務も言われましたように、労務費は組合とギリギリの話し合いで会社の支払い能力や世間情勢の中で決まります。ただ個別には評価や環境変化で多少の誤差はあるかもしれませんが、少し長めに考えたら修正されます。その修正も最短で利くようにキャンセル給を導入しました。したがって所長のご不満も相対的なものならいずれ修正作用が働くと思います」
「個別の多いや少ないじゃないんです。会社はもっと社員に報いるべきじゃないですかね。我々は若いころから一生懸命会社に尽してきました。それなのにこの処遇じゃないですか。やっとれませんよ」
言っていることに脈絡がない。
平田はついに切れた。
「先ほど他人は他人、自分のことだと仰ったじゃないですか。それ程会社にご不満なら他を当たられてはいかがですか。セカンドライフ支援制度はそういう方のためでもあります。今のご自分の実力で今より多くの処遇をしてくれる会社があるとお思いですか」
辛辣な一言だ。40、50の中年になって、ヘッドハンティングでもない限り余程の実力がないと転職で今よりいい処遇を受けられる人は滅多にいない。
出席者の心をえぐる一言に、会場が水を打ったように静まり返った。
「いや、それはないと思います」
声は小さくなり先ほどまでの気勢は萎えた。
「それじゃ、会社は実力以上の処遇をしていることじゃないですか。それでいいでしょ」
「……」
「そういう話は他の会議の場でしてください。今日はそんな話をする会議ではありませんので、進行役としてその話はここで打ち切らせていただきます」
平田はピシャリと押さえつけてしまった。
結局この所長はセカンドライフ支援制度を利用して年末に辞めてしまった。
帰りの車中、新田は平田を嗜めた。
「おい。お前いつもあんなふうに言っているのか」
「いえ、今日は我慢がならなかったのです」
「うん、わかるがあんな言い方をいつもしていると孤立するぞ。もう少し優しくオブラートに包んで言えよ」
新田は平田の高飛車が気になった。
だが、平田は反省するどころかそんな不真面目さが許せない気持ちを益々強く持つようになった。

平田がここまでの制度改革をやりきったのは、皆の意見を聞いたり、上司の指示があったからだけではない。もし、それらが全てであったならば、今までどおりの生ぬるい改革に終わったであろう。
一番の要因は平田自身が人事はこうあるべきだとの強い思いを持っていたからである。年功主義制度の良さもあるが、これからは公明公正で実力次第の処遇方式にしなければ社員のやりがいを引き出し業績を伸ばすことができない、との思いを強く持っていたからである。
これまでの制度改革で平田が最も悩んだのは、退職金制度の切り下げだった。制度の乗り換えで減額する人には移行措置で補填してあるが、定年間際の急激な上昇も2割加給もなくなった。退職金はもうこれ以上あがらない。退職金を最後の楽しみにしてきた定年目前の中高齢者たちのことを思うと、心が痛んだ。しかしここで躊躇っては改革はできないと心を凍らせて突き進んだ。このひたむきな思い入れが制度改革には大事だ。闇雲に断行するのではない。考えに考え、思いに思い悩んだ末の決断である。制度改革者には自分の信念を貫く硬い意思がなければいいものを作ることはできない。パンフレットや説明資料など、見栄えのいいものはいくらでもできるが、要は中身だ。誠心誠意、真心を込めることである。
どんな制度でも、愛も義もなくば何の意味がある。
年功で上がってきた高齢者の恨みや狼狽、痛みを思えば心も痛む。だが、それに怯(ひるんで)いては会社が沈む。
鬼じゃ、悪魔じゃと罵られても決して引くことはできない。
その返り血にまみれてでも、自分は生きなければならないのだ。
「君でだめなら会社は君を替える。自分を信じてやりなさい」後藤田に言われた一言が今でも心の奥に鮮明に生きている。
心があればこそ鬼にも蛇にもなる。どんなに罵られようと、丸山も新田も社長の竹之内も自分の言い分を聞き入れてくれたではないか。

新退職金、年金制度への移行を前に、新セカンドライフ支援制度の募集が開始された。自立をキーワードに自らの人生を有意義なものにするために自ら第2の人生に果敢に挑戦しようとする者を会社も積極的に応援するというものだ。そのため、支援金として3000万円を上限に支給する。会社は決して人の選り好みをしない。また、肩を叩いたり、退職に追い込んだりはけっしてしない。という確約のもとスタートした。
ただし、この制度は、退職金、年金の改定で納得できない高齢者を救済するための意味でもあった。今年限りのものだ。
当然組合も緊張を持ってセカンドライフ支援制度相談室を立ち上げた。
これまでも経営が苦しくなったときにリストラの掛け声が何度か上がったことがある。だがその度に立ち消えになった。会社も本気で自分の部下の首を切る覚悟ができないのだ。どんなに憎ったらしい部下であっても、いざ首を切るとなるとその家族を含めた生活の基盤を崩壊させてしまうことへの人間としての呵責と後ろめたさが踏み出す足を止めた。その都度人事がやれという圧力に置き換えられた。
リストラということになれば、それは人事の仕事ではない。窓口、事務局は人事がやっても社員に向き合うのは役員自身だ。自分の部下に辞めてくれと肩を叩くのは役員自身なのだ。その勇気と覚悟がなかったらリストラなんてしてはならない。
ただし、今回は支援制度だ。肩を叩くこともない。むしろ自分の腹心が手を上げないかと心配が先に来る。役員の顔にもリストラをするのだというような悲壮感はない。

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