ナビゲートのロゴ
ナビゲート通信は主な更新情報をお届けするメールマガジンです。ご登録はこちらから。

下記はページ内を移動するためのリンクです。

現在位置

 ホーム > 正気堂々 > 目次INDEX > No.7-62

心が躍る

更新 2015.06.05(作成 2015.06.05)

| ←BACK | INDEX | NEXT→ |

第7章 新生 62.心が躍る

堤は黙って腕組みをしたまま考えていた。
「整理しましょう」
平田は、本社での説得戦術を練っているのだろう堤を見て、説明しやすいように理由を整理してみることにした。
「まず、今回の件はわが社が得するためじゃなく、退職金、年金を改定するに当たって、社員のために私や専務がお願いしていることです。会社が得をするためならあなた方もいい気はしないでしょう。だから私たちの勝手な独り善がりなんです。しかし、退職金に関する政策には幹事会社として大いに関わりはあるし、私たちの頼みを聞いてくれてもいいじゃありませんか。それに、御社にとっては営業コストのかからない資金なので多少のプレミアムは用意してもらってもいいのではないでしょうか。100億、1000億の資金ならプラスアルファは付けられるが10億ではだめというのは違うと思います。信託と違うのでどうせ一般の資金運用部にプールされるのでしょう。それなら独自に設定できるはずでしょう」
そこまで突っ込んでくる平田が可笑しかったのか、堤は「フフン」と口元を歪めて鼻で笑った。
「それから、社員のための制度を幹事行が潰したとなってはわが社の労働組合が騒ぐかもしれません。それを防ぐためにもここは頑張ってもらいたい」
堤はうなずきながら聞いていた。
「最後に、私たちは他行さんからのお叱りを覚悟でF信託さん一社に絞ってお願いしています。逆に他行さんに持っていかれたら自分で自分の顔を潰すことになりませんか。それよりもさすがF信託さんと言われるほうがよほど御社のためになるような気がします」
平田はお為ごかしをたっぷり効かせてここで少し間を置いた。
堤はまだ腕組みしたままである。
「どうです。ここまで言ってまだわかってもらえませんか」
「わかりました。やりましょう。そこまで仰るのなら、私も腹を括ってやりましょう。つまり2カ月サイクルの定期預金を10年間組んで、大口定期預金金利を適用して、さらにプラスアルファ金利を上乗せするのですね」
堤はそこまで言って、改めてこれは大変だという顔をした。
「そうです。幹事行さんならではでないと頼めません。よろしくお願いします」
その間梶原は一言も発することなく、二人の間がいつ暴発するかとハラハラしながらやり取りを見守っていた。
堤はもう後には引けなかった。
「わかりました。やりましょう」
「ありがとうございます。やっとやりますと言ってくれましたね。そうです。覚悟の問題なんです。よろしくお願いします。これができたら一杯奢りますよ」
平田は、堤が本社で恐らく苦労するだろうことを思ってエールと敬意を込めて食事を約束した。
平田は手を差し出し、堤の手を固く握った。
「はい。楽しみにしています」
「いや、楽しみにするのはこっちです。あなたの頑張りを楽しみにしています」
平田は、堤がこの案件を社内で押し切り、二人で飲めたらなんと素晴らしいことだろうと楽しみだった。
帰りかけた堤が、
「最後に確認なんですが、毎月の振り込みはわが社の口座でいいですか」
「いや、それはだめだ。御社は広島にしか支店がないじゃないですか。30万、40万の金を下ろしにわざわざ山奥から出て来れませんよ。山陰の人なんかどうするんですか。そのために制度が利用できないってことも起きます。給振の口座でお願いできませんか」
メガバンク故の悩みである。支店が大都市にしかない。
「ウーン、せめて郵便局は外してもらえますか」
「検討しましょう。明日にでも返事します」
給振でも通常の取引でも、郵便局はどうもうまくいかないことが多い。中国食品でも給振に郵便局口座を指定している人は結構多いが、軌道に乗るまでかなりの苦労があった。システムが古いのか、特異なのか。

関係会社の人事制度は、日本冷機テクニック(株)も、中国ベンディングオペレーション(株)も、藤井の獅子奮迅の頑張りのお蔭で完成し役員会の審議も終えた。あとは組合との合意形成だけだった。ここは藤井も平田も踏み込めない。
しかも、関係会社は退職金と並行論議だ。彼らも2つの大きな制度改定を同時に合意しなければならず、組織の合意形成に苦労があるだろうことは想像に難くなかった。
しかし、人事部スタッフには若干の非力さを感じるものの総務部長はそれなりに腕力を持っており、平田の心配をよそに問題なく押し切った。
平田の退職金改定案は関係会社の新人事制度案を前提に設計されているので、もし組合が了承しなかったら大きく出遅れることになる。もしそうなったら連合会の会長である坂本に動いてもらわなければならないかと危惧を抱いていたところだったが、それも杞憂に終わった。
1年近く制度について議論を重ねてきており、この頃になると関係者のほとんどが制度改定の必要性について理解を深めており、細部の意見の調整はあるものの反対を唱える者はいなかった。
物事が成就する時というのは、勢いというか、時の流れというか、雰囲気やムードまでも、全てのことが雪崩を打ってその方向に一気に流れていくことがある。このときの平田を取り巻く環境がそうだった。時代のうねりのようなものが大きな力となって全てのことをその方向に流していった。こういうところに平田は、自分には何か目に見えない大きな力が働いていることを感じた。
それだけに冷静になり、注意を払っていないと大きなミスや見落としが起きるものだ。そこは注意しなければならない。
そうこうするうちに退職金と付随するセカンドライフ支援制度が遂に完成した。堤も平田の要求を全て通してくれた。
後は厚生省だけである。夏ももうすぐ終わる。あまり悠長はない。
会社全体への説明会の実施やセカンドライフ支援制度の募集、次年度の人員異動、要員配置の準備、何よりもこれらを織り込んだ来年度の予算編成もある。賞与交渉もすぐに来る。年が明ければセカンドライフ利用者のフォローと賃金改定だ。それが終わってやっと一息つける。
やっと乗り越えなければならない大きな山の全体が見えだした。
厚生省のほうは専務であり基金の理事長である新田と基金の常務理事が対応した。国家の仕組みを統治する総本山である。それなりの肩書や責任ある者が対応すべきだ。平田にもそのほうが気が楽だった。ここまでのシナリオを用意するのが自分の役割だ。だがそこにこそ、やりがいがあり自分の生きる道がある。

「正気堂々」についてご意見をお聞かせください

▲このページの先頭へ

お問い合わせ・ご連絡先
Copyright © 1999 - Navigate, Inc. All Rights Reserved.