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変節

更新 2014.04.04(作成 2014.04.04)

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第7章 新生 20.変節

「収益力と退職金水準が不釣合いなんですよ。彼らを救うのは退職金を減らすしかないでしょう。でなければ彼らを首にするしかない。彼らの退職金と、雇用や会社の健全性とどっちが大事なんですか。それで本当に人が大事の精神を貫けますか」
椿は返答に窮した。特にこれっといった理由があるわけではなく、なんとなく平田が嫌いというだけだからだ。退職金や賃金、雇用や経営といった複雑に絡み合うロジックを、そこまで深く整理して考えていないから理念が上滑りした。退職金の構造も性格も仕組みも全く呑み込めていなかった。
「それはわかっています。しかし、ヒーさんにやらせたら、また酷いことするんじゃないかと思うんですが」思わず本音を吐いてしまった。
「何か酷いことがありましたかね。実力主義にしただけのことじゃないですか。酷いことなんかあるもんですか。実力主義とはそういう事でしょう。実力主義は役員会全会一致で決まった方向性なんです」
これもまた改めて問い直すと「そういう事か」と納得せざるを得ない。言葉に窮した椿はふて腐れるように横を向いた。
「馬場も高瀬もできなかったことをここまで道筋をつけてきたのは平田です。力業のようなところもありますが、それくらいのことをしないと時代が回転しない。彼だけが泥を被って命を懸けてやってくれているんです。その彼を外してうまくいきますか」
新田はそんなことも呑み込めない椿が情けなかった。「あなたは役員でしょう」と、俯むき加減のその横顔に叫びたかった。
経営哲学や制度理念を組織全体に浸透させることがいかに難しいかということである。立場や地位が上がるほど人は唯一自分の考えが正しいと思い込み、そして自信と共に固執したがる。このトップクラスを如何に制度理念に共鳴、徹底させるかがイノベーションの最大の課題である。そのためのプロモーションを効果的に上手に打つかが成功の秘訣であり、担当者の最も気合いの入る所である。
「他のことも彼がいるから筋が振れずに進められてきたのと違いますか。最近、時々クレームが来てますよ」
「どういうことですか。何があるんですか」
椿はクレームと言う言葉に敏感に反応した。振り向きざま新田を睨むような目をした。
「他のことはどうしとるんですか」
「担当の課長と話し合って進めていますから、問題はないでしょう」
椿はクレームに拘り、言い訳がましく口を尖らせた。
「個別最適だけじゃうまくないこともありますよ。その辺を追求する者もいるってことですよ」新田は、ここでわざと一呼吸置いた。
「こんなクレームが社長の耳に入ってもねー」
椿の反応を慎重に観察しながら、思わせぶりに声のトーンを落とした。
「来られたばかりなのに内部の恥を晒すこともないと思いますがね」
このフレーズは椿に効いた。それだけで人事部長に決まったわけではないが自分がやりたいと言った手前、マネジメントミスを露呈するわけにはいかなかった。それに役員にもなったばかりでそんなことを社長に知られたくなかった。
「そうですか。わかりました。それじゃ発破をかけましょう」
変節も早かった。
椿は新田に、これ以上自分の判断ミスを暴かれるのは耐えられなかった。
「発破をかけるって誰にかけるんですか」
発破をかけるという、まるで他人事のような言い方を新田は咎めた。これは関係会社の事業ではなく、中国食品の経営計画の一環なのだ。
「はい、関係会社にですが」
「まだ、そんなことを言ってるんですか。彼らにノウハウがありますか。人事制度の見直しってそんなに簡単なものじゃありませんよ。わが社でも長いこと課題に上がりながら誰もできなかったじゃないですか。平田が来てやっと動き出したんです。それも藤井君という良きコーディネーターを得たからです。自分の足らざるは人を使う。その辺も彼のうまさですよ。今度は関係会社に平田を使わせるのです」
「しかし、関係会社の自主性はどうなりますか」
「そんなものはやり方の問題でしょう。放任することとは意味が違う」
椿はそれでもまだ呑み込めていないようだったが、新田の強い剣幕に押されるように、最後は「わかりました」と不承不承承諾した。
「うん。とにかく急いでください」
新田は、こんなことで俺を煩わせてくれるなよと言うかのように顔をしかめていた。

それでも椿はすぐには平田にゴーサインを出さなかった。関係会社の自主性に任せたかったことと、「お前がやればおかしなことになる」と言った手前、どうしても言い出すきっかけが見つからなかった。
平田にやってもらうには自分から折れなければならないが、それはプライドが許さない。人事部全員の前で道理を歪めたのは自分のほうであり、早々にミスを認めるのは嫌だった。平田の無視といい、自分から仕掛けた戦の収め方が見つからない。早く始めねばという焦りの前で必死でもがいた。
人に謝るものに、謝りやすいものとそうでないものがある。仕事上のミスや誤りなど物理的なものは、事は重大だが謝りやすい。しかし、人間関係はプライドや力関係が絡んでくるからなかなか自分から折れづらい。椿もそのへんに抵抗があった。
ここでミスを認めれば全てにおいて平田に旗を巻くことになる。技能も人間も新田との信頼も……。もしかしたら社長からの信任も失うかもしれないと思うと、椿になにか悔しいものがあった。
平田とは目を合わすのも憚られた。常に意識から外れることはなく気にはなるのだが、チラッと視線をやってみるだけで声を掛けるまでにならなかった。
悶々としながら2日間を無駄に過ごした。
そうこうしているうちに、「はい。わかりました」と受話器をおいて出て行く平田を認めた。新田に呼ばれたとしか考えられない。その足取りもなんとなく力強さを感じた。
恐らく、このことを確認されるのであろう。椿は気が急いた。
しかし、それでも帰ってきた平田に声をかけられなかった。元々、意地というものは頑固なものだ。

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