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「第6章 正気堂々」を振り返って

更新 2013.09.13(作成 2013.09.13)

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第6章 正気堂々 93. 「第6章 正気堂々」を振り返って

1992年、樋口の経営は第2ステージに向け順調に滑り出しているかに思われたが、そこに大きな問題が待ち受けていた。
2回の社債発行で巨額の経営資金を手にした樋口は、工場や営業所などの経営基盤を整備し、自らの言葉で社員のマインド形成に努めながら、人材育成を確実に進めるため社員研修センターの建設を計画した。
久し振りの大型投資案件に、その土地取得に絡んでまたぞろ強欲の虫が暗躍し始めた。すんでのところでこれを察知した樋口は冷厳な措置を下し、首謀者2人を容赦なく解任した。樋口がトップの孤独をひしひしと感じるのはこんなときである。常務2人の殺生与奪の責任を一身に背負いながら、それでも経営のため決断を下さなければならない。決断するときは一人だ。そんな孤独に耐えながらも歴史に責任を刻む覚悟があるからこそ、重く大きな決断ができる。
樋口はボードの在り方に付いても独自の主張を持っていた。
「何時までもマル水の植民地に甘んじていては自主独立の精神や経営への参画意識、業績への責任意識も培われない。それではいい会社にならない」
そう信じる樋口は、マル水のトップたちとハードネゴを繰り返しボードの一角をプロパー社員のために勝ち取った。組織をどこに導くか、ちゃんと見据えていた。
そして、この不祥事を千載一遇の天祐と捉え、四天皇と呼ばれるプロパー役員の内2人を常務に昇格させた。
だが、問題はそれだけではなかった。前経営陣が積み残した株取引の傷跡は、大きな債務として社員の家計にまで入り込んでいた。
社内報や年初の標語を通じて人間味豊かで、自立した社員マインドの醸成に腐心していた樋口は、これを看過できなかった。
旧経営が残した過去の負債を社員に押し付けたままでは、どんな言葉も社員の胸に響かない。たった1人の管理職だが放置するわけにはいかなかった。
銀行の融資姿勢にも問題がありと見た樋口は、一般人の常識では考えられないような「この債務を、銀行の不良債権償却オペレーションに潜り込ませて償却させる」という離れ業を成し遂げ、この社員を負債地獄から解放した。
自分の考えや理念が正しいと思うと、例え相手が銀行の頭取だろうと堂々と談判してみせた。
将来の結果に対しても、過去の瑕疵に対しても、とるのが責任だ。樋口は見事にリーダーとしての立ち姿を示した。
人事では、時として経営陣と社員を区別し会社と従業員という呼び方をする。とりわけ組合との交渉において顕著だ。
その会社が施行する政策には、当然従業員への期待や進むべき方向性がこもっている。“なぜ”というその思いこそが会社の心なのである。
会社の方針というものは「社員の活性化」というように曖昧表現に終始することが多い。具体的政策まで列記することは滅多にない。それを具体的政策としてまとめ上げ提案していくのが人事の仕事である。その意味で平田は、常に会社の心を背負っていた。
人事にもう一つの心がある。それが「人事異動」の人事そのものである。
「何の誰べぇを何々課長に命ず」、「○○勤務を命ず」
そこには、「この仕事を託せるのは彼しかいない」、「俺の右腕になってくれるのは彼しかいない」、「あの部長にはこの課長をつけなければあの部署はもたんよ」、「彼はこの部署で長くなり過ぎて空気に淀みができてきた。異動させよう」、「あの部署ばかりに人材が偏りすぎてはいないか」などと、会社が発する全ての人事にあらゆる会社の心が凝縮している。
この個々の為政者の思いが強くなりすぎては公正さに欠ける。役員との相性だけが勝ちすぎた人事になれば社員の心はそのことばかりを追求していくだろうし、他の社員は冷めてしまう。
そうならないために高所大所から全体を俯瞰し、公正な人事を目指さなければならないのが人事部の役割である。
その会社の心を大事に思えばこそ、平田は人事を誤らせないために必死で人事の仕組みの中に何が公正なのかを追求していった。例え高齢管理職から鬼と言われようが蛇と呼ばれようが、正気堂々を貫いた。
ちょうどそのころ、丸山が人事部長に就任したことも平田には幸運だった。
丸山ほど部下との信頼関係を上手く築いた部長もいまい。大概の部長に体制に背を向ける一部不満の輩がいるものだが、丸山に限ってそういう部下はいなかった。
「トップとは器が大きいだけで空っぽがいい。中身は部下が埋めていく」そんな表現がピッタリの部長だ。もちろん空っぽなわけがない。ただ、部下の提言に素直に耳を傾け、いいも悪いも受け止める度量の大きさを言う。
平田は丸山が怖かった。丸山本人にこれっぽっちも私心がなかったから、もし平田に少しでも私欲を仕事に持ち込むようなことがあれば、烈火のごとく怒られるだろうし、軽蔑されるだろう。普段は温厚で物静かで、人あたりの優しい上司であるが、それだけに怒られることが怖かった。
それでも平田には、生涯で一番働きやすい上司だった。
樋口の人への思いは、平成5年4月、研修センターという大きなシンボルを完成させた。
「詰め込むだけの機能重視のセンターにしてはならない。教材があり、設備があるだけの機能追及の施設から生み出される人材はサイボーグのような強いだけの人材になってしまう。ここに来たら気持ちが落ち着き、豊かな人間形成の場になるような器にしなさい」
そんな樋口の指示で全ての調度にいいものが使ってあり、内装も優しい仕上がりである。コストがかさむと言う意見には、「何10億も増えるわけではなかろう。プラスアルファー分くらいは受けた人間が仕事で返してくれる。そんな効果のある教育を目指すのだ」
食事についても樋口は注文を出した。
「研修所はスパルタの場ではない。人間形成の場だ。いい環境を与えなければ研修も身に付くまい。ここに来るのが楽しみとなるようなものにしなさい」
樋口の社員への思いを表すエピソードである。特別豪華ではないが樋口の心が滲んだ研修センターは、中国食品の社員誰もがとても大事にした。調度品を乱雑に扱ったり、ビン、缶はもちろんごみを散らかす者もおらず、自分たちの宝物のように大切に扱った。会社が社員を思いやれば社員も見事に応える実証である。
樋口の経営は時に果敢である。
自動販売機による市場戦略が会社の浮沈を左右すると読んだ樋口は、自動販売機関連の2社をM&Aという形で強引に100%子会社化し、これを全面に打ち出す戦略で市場でのシェア争いを有利に進めた。
それまでこの関係会社のトップの行状には目に余るものがあったが、じっと目をつむって時が来るのを待ち、今がその時とみるや力に物を言わせ強引に100%子会社化してしまった。
自動販売機に携わっていた社員は全員転籍していったが、そこにも樋口の厳しい裁断があった。
これら技術者は、中国食品の中では特殊技術者集団として独特の村社会を形成し、時には集団の力を背景に傲慢不遜の所業を繰り返し、所長や会社を悩まし続けていた。それが樋口のみならず他の役員、管理職、人事までもの腹に据えかねさせていた。
そのことが全く無条件での転籍を会社に決断させてしまった。人の心とはそういうことだ。

樋口の社員を見る目は実に細やかだ。
平田が制度の合理性と個人の尊厳との相克に苦しんでいるときである。顔付きは厳しく、目は異様にギラつき、発狂寸前の様相のときがあった。その苦悩を自分のことのように受け止め「正気堂々」と立ち向かうよう鼓舞督励している。
樋口は時に厳しく、時に果敢に、時に大らかに、時に孤独に耐えながら、正気を堂々と推し進めた。
「正々の旗を打つなかれ。堂々の陣を打つなかれ」の故事にあるように、正気堂々の前に栄える邪気はない。一時的に勢力を得たとしても、最後には必ず消されていく。会社の投資に絡みリベートの見返りに単価を操作しようとして解任された者。株取引に業務上の立場を利用して失敗した者。天は見ていた。
逆に正気の心を持って邁進すれば、例え一時的に悲哀を託つことがあったとしてもけして抹消されることはない。
何かを成したいという志があるならば勇気をもって「正気堂々」と進むべきである。それが正々の旗になり、堂々の陣となって邪気を寄せつけない。
樋口は年頭訓示にもその思いを込めて「正気堂々」と揮毫した。

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