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布石

更新 2016.06.08(作成 2012.11.15)

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第6章 正気堂々 63.布石

3月の株主総会を前に樋口が会長に退き、後任社長として大西保がマル水から派遣されてくることが決まった。
大西は60才でマル水の関西支社長を勤めていたものだ。どうして大西社長に決まったかもその力量も全く不明で、年令もマル水から派遣されてくる役員としては比較的高齢であることから、社員の間では樋口体制維持のためよと噂が流れた。
1995年1月17日、成人式の連休が明けた翌日。マル水本社の会長室に会長の藤野と社長の坪枝がいた。
応接用のソファーには朝のコーヒーが置いてあり、雑談とも打ち合わせとの言えないまったりとした空気が流れていた。
「中国食品の次期社長候補ですが、樋口さんの要望では大西さんということできていますがいかがいたしましょうか」
「そうだなー。どうするかなー。どうせ繋ぎになるだろうしな」
藤野は、重苦しい空気が覆い被さってきたような鬱陶しい話に眉間に憂色をたたえて返事を返した。
「はい。私もそうなるかなと思います」
「なんでまた大西なんだ」
「院政を敷きたいんでしょう」とはあからさまには言えないが、
「相性がいいのでしょうかね」と濁した。
マル水では、樋口が中国食品へ転出した役員交替期に社長に就いた藤野が昨年度の総会で会長に退き、新社長に坪枝仁(54才)が就任した。同時に、樋口に中国食品への就任を言い渡した金丸は会長から相談役に退いた。
マル水では会長に退いた以上、社内の政策には一切口を出さないという不文律がある。司令塔が2本あると社員がどっちの言うことを聞けばいいか混乱するし、派閥形成の根源になるからである。全ての権限をトップに集中させている。
二頭立て政治の弊害を防ぐために、いつの間にかそんな不文律が出来上がっていた。そのため新社長は思う存分自分の手腕を振るうことができた。
しかし、樋口は2人にとって大先輩だし、子会社のトップという重要人事であるだけに坪枝が気を使って藤野に相談したものだ。
「それで、これからどうしますか」
藤野は、坪枝の社長としての子会社運営の意向を質した。
「はい。中国食品の事業内容はわが社となんの関連も相乗効果も生まないわけですので、投資目的としての役目はもう終わったかと」
「……」
藤野は黙ってうなずきながら聞いていた。
日本の企業システムにおいて、長いこと親会社と子会社の関係は血の繋がった親子のように、切っても切れない運命共同体としての関係が続けられてきた。
その関係がグローバル化する経済環境の中で少しずつドライになり、合理性を帯びてきて、親子といえどもその関係が未来永劫変わらずに続くということはありえなくなってきた。資源の有効配分の観点から、親会社の経営戦略によって投下資本を売ったり買ったり引き上げたりと打つ手は刻々と変わってきた。
坪枝は、自社の経営状況が関係会社にも大きく影響することは否めないことで、マル水の経営状況をどう考えるかで中国食品との関係も決断の時が来るかもしれないと考えていた。
「わが社も古い事業モデルのままで業績もかなり落ち込んできております。根本から収益構造を見直す時に来ているかと思います」
「そのとおりだ。私の代(とき)にはまだここまではっきりしなくて、そこまで思い切ってできなかったが、もう猶予はなくなった」
「いえ、会長はこの古い体制の中でよくやってこられたと思います」
「いやいや、気をつかわなくてもいいよ。私にはそこまで見通せなかったし、この会社を背負っているという重圧からそこまでの勇気がなかった。しかし、君ならできる。いや、是が非でもやってもらわねば困る。もうそういう時期に来ている」
自分ではできないが人がやる分には気が楽だ。もう引退する身だ。責任くらい取ってやる。そんな気楽さが坪枝をけしかける。
「やはり、会長もそう思われますか」
「うん。事業のリエンジニアリングだ。私も後押しするから思い切ってやってほしい」
「はい。最近はパソコンが発達してインテリジェンス革命が起きております。それに伴って企業経営に対する考え方や投資に対する考え方までグローバル化し、全てがアメリカナイズされてきました。もはや配当頼みだけの投資スタイルでは株主様に納得していただけません。本体事業そのものの投資効率が求められております。選択と集中で子会社の配当よりいい投資効率にいたしませんと、株主様は何のためにわが社へ投資したかわからないというわけです」
「そのとおりだ。時代が大きく変わってきた」
「やはり事業モデルの見直しは不可欠かと。その上で必用なところには思い切って経営資源を再配分し、効率を上げていく」
「事業戦略の練り直しに2年、着手に2年、修正に2年。それくらいのスパンになるのかな。君の任期はそのためにあるようなものだ」
「そのとき資金が必要になれば中国食品を手放すときかもしれません」
「そのころに一番高く売れるようにしたいわけだ」
「売らなくて済むものならそうしたいのですが」
「いや、もういいんじゃないか。あそこの成長はピークを過ぎた」
「そう仰っていただければ気が楽になります」
「うん。しかし樋口さんじゃ売れんぞ。むしろ彼は中国食品がわが子のように可愛いはずだからな。散々情熱を注いできただけに、とても彼にはできまいよ」
「はい。この次のトップが大事かと考えております。もしかしたらわが社の命運を左右する人事になるかもしれませんので、それが出来る人材を今から選抜していこうかと考えます」
「周到に頼む」
「はい。そこで、まずは樋口社長の花道を作ってあげなければ、収まるものも収まらなくなるかと思っています」
藤野は大きくうなずいた。
「うん……。次の人事をスムースに行かせるための布石だな」
「それでは、樋口会長、大西社長でよろしいですね」
「うん。次の人事でイニシアティブを取るために今回は樋口さんの好きにさせたらいいだろう。どうせ、樋口さんの傀儡になるだけだから。大事なのはその次だ」
「はい」
「それと、どうしたら高く売れるか、売り方も考えておかんといけませんよ」
「かしこまりました」

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