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災害支援

更新 2016.06.03(作成 2012.09.25)

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第6章 正気堂々 58.災害支援

仕事は手につかない。テレビの画面に釘付けになったまま、時が経つにつれ拡大していく被害状況に唖然として見入るしかなかった。
ついに火の手があちこちで上がった。
「早く消さないと逃げ遅れた人が危ないよ」
女性社員の一人が叫んだ。
「消防車も行かれんのよ」
「なんとかならんのかよ」
男性社員からも腹立たしげな声が漏れた。
「どうしょうもないとはこんなことやろか」
「……」
言葉もなく固唾を呑んで見守るしかない。
高速道路が崩れ落ち、家が倒壊し、マンションが潰れ、人も車も瓦礫に埋もれている。自然の暴威の前に人間の非力さを思い知る光景だ。
「平田さん。今朝うちの息子が変な電話をしてきましてね。『親父、俺は大丈夫だから』って。最初はなんのことかわかりませんでね、朝早うから何を寝ぼけとるんかと思いよったんですが、このことだったんですよ」
いつの間にか横に寄ってきた厚生課の係長だ。
この人の息子さんが神戸の大学に行っており、危機一髪の息子の安否に肝を冷やしたのであろう。安堵の思いがしみじみとした口調に表われていた。
「いい息子さんじゃないですか。親に心配させまいと一生懸命電話してきたんやろうね」
ところが、親のほうにそれほど深刻に受け止めるだけの情報がなかった。社員の多くが会社に着きニュースを見るまで被害の深刻さを知らなかったのだ。
「災害支援隊を送りなさい。出発は1週間後だ」
樋口は役員会で指示した。
神戸には、親交のある同業者や顧客のチェーン店もある。そうしたところの復旧をメインにした支援活動だ。
社内で30名ずつの2隊が編成された。1週間ずつ交替で行くことになった。ただ、出発は啓開が終わらなければどうにもならない。今は警察、消防、自衛隊による救助が優先される。支援隊は復旧作業が開始されてからだ。1週間後の出発となった。
中国地方にも災害がなかったわけじゃない。2001年には安芸灘地震もあったし、大きな水害にも遭った。最も大きかったのは1972年7月に三次市で起きた大洪水だろうか。江の川堤防からの溢水が三次の街をすっぽりと飲み込んだ。
三次市は市の中心部で江の川、馬洗川、西城川の三川が合流する盆地の町だ。川が削ってできたであろう平地に開けた広島県北部の代表的町で、江の川の鵜飼や、三次盆地の霧の海、などで有名だ。
三次市には中国食品の営業所もあり、多くの社員や家族が住んでいる。
こうした災害があったときは社員の家庭の支援、営業所の復旧、街の復興と全社をあげて取り組んできた。そうしたノウハウが災害時の対策マニュアルとして蓄積されており、必要な備品も整備されている。
そうした経験がこのたびの支援にも活かされ、対応は早かった。組織編成、フォーメーションの展開、必要機材、食料、テントなど、アッという間に準備され役員会に報告された。
総務課長が全権を握り、全社から募られたタスクフォースは、社有車両に分乗し、支援物資や必要機材を満載したトラックとともに出発した。
通信網もズタズタである。要所要所に子会社の日本冷機テクニック(株)の無線車を配置し、現地の様子や追加物資の要請などを中継し、現地との連絡を確保した。こんなときに業務用無線ネットワークが生きた。
今回、平田は選ばれなかったが、三次の水害には2度ほど支援に行っている。
災害支援で大事なことは全てに自己完結しなければならないことだ。水、食料、トイレ、寝るところ、移動、通信手段、果ては長靴、手袋に至るまで全てにおいて自己で賄わなければならない。気持ちだけが先走って、なんの準備もなしに行ってはかえって足手まといになるだけだ。誰かボランティアの人が面倒見てくれるだろうなんて甘い考えは通用しない。皆が今を必死に生きているのだ。
支援隊はもちろん出張扱いだ。会社もボランティアだから社員もボランティアでやってくれなどと虫のいいことを言ってはダメだ。そういう負担を含めて企業の貢献である。過酷な条件下で働く大事な社員。傷害保険も掛けられた。

災害派遣隊に選ばれなかった平田は、人事制度の構築と春闘の賃上げ資料作りを平行して進めていた。
制度構築で、メイン(柱)となる制度を何にするかで平田と藤井の意見が食い違った。
平田は、資格制度を人事諸制度の中心に据え、その資格に応じた処遇や役割が派生すると考えた。従来より持っている公平でいい人事にするための自分なりのプランだった。
ところが藤井はそんなものはメイン制度ではないと真っ向から否定してきた。
「ここで必要なことは、会社の事業をサポートし、社員一人ひとりが自立して自分の役割を遂行できるような仕組みなんです。制度自体が何を狙うかが大事です」と。
かっては、会社全体を良くするために人事の仕組みを変えたいと主張していたのは平田で、藤井はどちらかというと人事制度という限られたカテゴリーの中で平田に対峙していたのだが、今や攻守所を変えてしまった。
藤井は、平田の理想は理想として十分理解していた。それだけにそれを実現する制度の焦点がボケてはならないと必死で考えていた。
藤井の主張はこうだ。
「人事制度は会社の弱点を補い、事業を成功に導くものでなければなりません。環境分析から抽出された課題では、わが社は会社全体としてマネジメントの仕組みが希薄で脆弱とあります。社員一人ひとりもマネジメント力が弱いように思います。環境変化が激しいときは社員一人ひとりが自立して自らの課題に取り組みコントロールしていくことが大事で、その上で成果とプロセスを積み上げていく仕組みが必要です。こうした会社の弱点を克服し、課題を解決する仕組みとしては目標管理しかありません。わが社には目標管理は不可欠の制度と思います。これを会社全体のマネジメントシステムとして導入し、その進捗を評価し処遇に結びつける。それをベースにして、平田さんの主張する人事の運営システムに展開すればいいのではないでしょうか。処遇の公平ということだけが前面に出すぎては制度が歪なものになります」

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