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 ホーム > 正気堂々 > 目次INDEX > No.6-25

天ならずとも

更新 2011.10.25(作成 2011.10.25)

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第6章 正気堂々 25. 天ならずとも

平田の番が来た。丸山が次の者を呼ぶように頼んだのであろう、その前に終わった者が「平田さんどうぞ」と声を掛けてきた。平田はメモ用紙とボールペンを持って面談室に入った。
平田は照れ笑いを隠しながら「お願いします」と部屋に入ると、丸山は不機嫌そうな顔で「まあ座ってくれ」と前のテーブルを持っていたボールペンで示した。
「私は定型業務らしきものがありません。労務交渉用の資料作りとか、制度の見直しとか、あってないような仕事ばかりしています」
「そんなことはいい」
「はぁ……」
平田は自分の立場を説明するための前置きのつもりで切り出したのだが、丸山はそんなことくらいは知っていた。
「それよりも、今までみんなと話してきたが皆自分のことばかりで誰も俺に関わる話をしてくれない」
平田はちょっと意味がわからなかったが、出鼻を挫かれたばかりで突っ込んで聞く気にもなれず、「はぁ」とだけ応えて黙って聞いていた。
「俺は、営業のことはわかる。稼げばいいんじゃ。そのために今何をしなければならないか、どうすれば売れるか、市場を見ただけですぐわかる。しかし、人事はわからん。人事って何なんや。ただ辞令を発行しとくだけじゃなかろう。そこのところを教えてくれ」
本来、こういうことは自分が師と仰ぐ大先輩や上司に聞くのが正しいと思うが、長いこと外回りを担当してきた丸山には適任者がいなかった。今更、私にはわかりませんと頭を下げるのも癪だ。なんとか自分で見出そうとしてのもがきの面談だった。
逆に、上には弱音を見せず部下を頼りにする。これも丸山のポリシーだろうか、部下は期待に応えようと必死の頑張りを見せる。
「そうですね、私もよくはわかりませんが、私が後藤田専務や近野常務たちから教わったことをなぞってみますと、人事は会社の心じゃないかということです。人生の頂点まで辿り着かれた方たちが言われたことで、私は滋味な言葉だと思っています」
「会社の心?」
「はい」
「どういうことや?」
「はい。会社が社員に向き合うときの心構えそのものだと思います。会社の社員に対する心や思いが人事の政策に出てきます。例えば研修センターもそうですし、提案制度なども社員が積極的になってほしいと思う心の表れじゃないですかね。コストと思えば安く買い叩こうとするでしょうし、財だと思えば大きく育てようとするでしょう」
「なるほどね」
「ただ、優しいばかりじゃありませんよ。かってこんなこともありました」平田は幾分声を落とした。
「うん。なんだ」
「以前の交渉ですが、こんなことを言われました」
平田がさらに声を落としたものだから、丸山も気をそそられたのか幾分身体を乗り出してきた。
「社債を発行する前年の賞与交渉で、会社がある程度の数字を残したいと思っているとき、組合が儲かっているんだから出してくれとゴネタんです。そしたら烈火のごとく怒られましてね。『会社建て直しに社債発行は必須なのじゃ。そのために協力してくれと言っているのがわからんような、そんな組合なら一銭も出すものか。交渉をやり直してこい』ってこっぴどく怒られました」
「なるほどのー。しかし、それは俺もそうだと思うよ」
「はい。結局そうなって終息しました」
「それが会社の心ちゅうわけか」
「会社といっても、それはトップであったり役員であったり、政策を決定する人たちの心じゃないですか。そんな人たちがなぜそうしたいのかを汲んで、その心を具体的に示現していくのが人事だと思います。結局人と人ですから、温かかったり冷淡であったり、優しかったり厳しかったり、人間味そのものが出るような気がします」
「ウーン、なるほどそうかもしれんのう。わしにはまだようわからんが肝に銘じておくわ」
丸山はおぼろげながらわかったような気がした。
「いえ、私もわからないんです。ただ、そうした先人たちに言われたことをいつも考えているだけです」
「うん。それでいいんじゃないか。俺もそうするよ。いや、わかった」
丸山は、その意味を確かめるように何度もうなずいて自分の懐にしまい込んだ。
「それで、俺は何をしたらいい。会社の心は何をしたらいいかのう。営業は売ればいい。儲けたらいい。それが使命や。そんなことは誰にもわかることや。人事は何をしたらいい。川岸さんは何を考えてしよったんかのう」
丸山は気が急くように矢継ぎ早に質問を浴びせてきた。
平田への質問はそれまでの者と全く違った。平田がそうした政策立案の中心にいることは誰もが知っていることで、自分の人事部長としての姿勢を決めるキーパーソンの一人であることは間違いないからである。
「私も人事に呼ばれたとき何をしていいかわかりませんでした。というよりも出来ないと思いました。それで川岸さんと話をしたら“天は力のある者にしか試練を与えない。俺もお前もシロウトやがやってみるしかなかろう”と言われまして、それでやってみようと思ったんです」
丸山は「ウン、ウン」とうなずきながら、平田の胸中をのぞき込むように真剣な眼差しで聞き入っていた。これがこれからの自分の行動の指針になるはずだ。もともとそのための面談だ。
「俺もそうなのかな」
丸山は、自分にもその覚悟がいるのかと確認するように平田に尋ねた。
「やはりそうだと思います。会社の一番大事な人事を託すわけですから、天ならずとも何びとかの強い意志がそこにあると思います」
この一言は、丸山の腹に大きな覚悟を抱かせる一言だった。
マル水でもそうだが、人事を経験することは役員あるいはさらにその上のトップを目指す試金石の一つになっていることはよくある話だ。それほど人事労務問題をうまく裁き、あるいは人心を掴み社員を奮い立たせる才幹は、経営者としての重要な資質の一つなのである。

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