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審議

更新 2011.06.03(作成 2011.06.03)

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第6章 正気堂々 11. 審議

「はい。将来あの方面に営業所がもう1カ所必要かなと思いますのと、研修センターが手狭になったときには増設してもよろしゅうございますし、レクリエーション施設として社員の総合グラウンドやテニスコートなどにもしてもいいかなと思いまして。今のうちに手当てしておきたいのです」浮田は当初の狙いどおりに説明した。
新規取得の土地の利用目的については、樋口も大方そんな使い道を考えていた。
「それは、最初の土地を買うときにY建設さんから、後日残りも買うように頼まれていたことは承知している。しかし、買うと決めたわけじゃなかったな」
Y建設社長の前では「知らない」ととぼけていたが、本当は知っていたのだ。
「そのとおりでございます」2人は、樋口が承知していることだけでもホッとした。
「しかし、それならば前回とは立場が全く逆転する。購入条件はどうなっている」
「はい。今のところ前回同様坪15万円で話を進めております」
浮田は「前回同様」を強調し逃げ口上のような言い訳をした。
「前回とまるきり立場が逆転しているのに15万はなかろう。バブル崩壊で相場は下がっている。そもそも15万が高いのに、またぞろ15万かい」樋口は遠慮なく切り込んだ。こんなところで手心は加えられない。
「あそこら辺の相場がいくらか知っているのか。今は13万以下だよ。それがなぜ前回も今回も15万円なんだ。リベートの額が少しでも大きくなるために吊り上げとるのじゃないのか」
樋口の口調も段々強くなっていった。
「とんでもありません。前回に倣っただけです」
この段階ではまだ、浮田はふてぶてしく白を切り通した。
ずーっと立たされたままの姿勢で老体に応えたが、背筋は自ずと伸びてきた。
「それじゃなぜ、業者さんとはキックバックの話が進んでいるのかね。俺はそんな話聞いてないぞ」
「冗談じゃありません。そんな話はありませんよ」浮田は白々しい弁解を繰り返した。
「河村さんはどうかね。あんたも知らんと言うのかね」
「いやー、あのー。私は先日浮田常務からそんな話を持ちかけられましたが、きっぱりとお断りしました」
「河村常務、何を言われるのですか。なにか勘違いをされとるんじゃありませんか。そんな話は私はしておりませんよ」
浮田は、わざと鷹揚に構えて切り返した。
「どんな話だったのかね」樋口はもはや浮田を無視するように河村のほうを注視した。
「キックバックがあるので、土地購入の後押しをしてくれと頼まれましたが、私にはできないとお断りしました」
「本当にそれだけですか」樋口は河村を睨み返し、ドスの利いた大きな声で追い詰めた。河村が何かを隠していることはわかっている。でなければ坂本が知り得るわけがなく、自分のところにも来ない。
「そんな旨い話があるものかと経理に確認しました」
「それで」樋口はぶっきらぼうに相づちを返した。
「伊勢君が言うには出来るでしょう、ということでした」
その瞬間、樋口の手がインターフォンに伸びていた。
「経理の伊勢君を呼びなさい」樋口は強い口調で命令した。
インターフォンの向こうで秘書の慌てるような様子が伝わってきた。
“そうか。伊勢課長が坂本の情報源か”全ての糸が繋がった。
ものの1、2分もせぬ間に伊勢は飛んでやってきた。
「伊勢課長。2人はこう言っているがお前もグルか」
「とんでもございません。2口座に分けて振り込めるかと尋ねられましたが、あくまでも手続きとして契約書どおりに相手の口座に振り込むだけならわが社としてはなんの問題もないとお伝えしただけです」伊勢は河村に一緒にやらんかと誘われたことまでは言わなかった。
「本当にそれだけかね。まだあるじゃろ」樋口は鋭い眼光を伊勢に投げかけた。
まるで、蛇に睨まれた蛙のように伊勢はゾクッと竦む思いがした。それでなくても樋口の眼光は鋭い。その上本気で睨まれると抵抗する勇気は完全に萎えてしまう。
「実は、相手さんの隠し口座に振り込めないかと言われました」
もう、ここまで来ると隠しようがなくなった。
「ばか者!」樋口の大きな声が部屋中に響いた。本当は浮田や河村を怒鳴りたかったが先輩の面子を立ててその矛先を伊勢に向けただけである。
「君は神聖な会社の金を、隠し口座に振り込むなんて事が何も問題ないと言うのか。そんなことを言うから2人がその気になるんじゃ。お前も同罪じゃ」樋口は伊勢を指差して怒鳴った。
それでなくても気の小さい伊勢は、縮み上がった。
「申し訳ありません」蚊の鳴くような声で謝ると俯いてしまった。
「それで君は、それが何のためだと思ったのかね」
「そこからリベートがバックされるためのようです」と、喉から手が出るほど言いたかったが、河村や浮田の前で伊勢には言う勇気がなかった。その代わり、「いやー、私にそれは……」と、何かを訴えるような含みのある返事で余韻を残した。
「そうか。よし、わかった。君はもう下がってよい。あとで沙汰する」
悄然と出ていく伊勢の顔は青ざめていた。
“俺は、どこまでついてないんだ。何も悪いことなんかしていないのにいつもとばっちりが来る”泣きたいような情けない思いを抱いて席に戻ったが、やりきれなさで胸が掻き毟られる思いがした。
しかし伊勢は、これ以外に自分の判断がなかったこともわかっていた。そんな自分が、ただ情けないだけだった。

懇意にしている上司からプライベートな頼みごとをされたとき、どこまで聞き入れるか的確に判断することは難しい。仮に断わるとしてもその言い方や理由付けをうまくやらないと人間関係にひびが入る。
一昔前のバブル期には、家庭的付き合いなどと称して休みの日には上司の家に行き庭の掃除をしたり、引越しの手伝いをしたり、そんな献身的上下関係が結構おおっぴらに流行っていたものだ。そんな関係を続けることで自らの実力不足をカバーし、保身を図るのだ。
今でも地方の会社では人間関係重視、ファミリー経営などと称して、そんな経営スタイルがあるようだ。
プロのビジネスマンならば、昇進や保身はアウトプットで競えばいいのだ。自信のない者ほど人間関係を謳い上げる。そんなことで人脈はうまれない。旨く使われて使い捨てにされるだけだ。ブレーンとして頼りにされるまで実力を磨くしかない。
この悲劇は、伊勢があまりにも上司や同僚に気を使いすぎて、せっかくの自らの正義を貫き通せぬから起きたことである。同じ課長でありながら野木は新井の頼みを断わった。そのお陰で新井との人間関係に微妙な亀裂が入ったが債務禍からは逃れられた。それはそれで悩ましかったが自らの生き方を選んだ。そこまで隷属する必要があるのか。自らの是々非々を信じることだ。
人の生き方なんてどこに重きを置くかの違いでしかない。人間関係に重きを置き過ぎても、ビシネスライクに偏り過ぎても旨くない。大人になった今は、その時々の判断で自らを信じるしかないのだが、その結果がその人の人生だ。その判断を誤らぬように日ごろから何が大事で何が不用か、見聞を広めるしかなかろう。

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