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言葉ありき

更新 2016.05.23(作成 2009.09.04)

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第5章 苦闘 20. 言葉ありき

「うん。あいつは実務の経験がないだろ。実務をやってないということは、仕事の本質をとことん突き詰めて考えたことがなく、真理を追究したことがないということや。仕事に対して自分の中に信念というものが築かれていないから人にこう言われればそっちに傾き、こっちと言われればこっちに振れる。しかも一旦そう思い込むと情がからんで修正が利かない。後から正論や実状を説いても、もうその気になっているから切り替えが利かない。自分の判断がないから軸が振れる。一緒に仕事をしていくにはそこを気を付けろ。振り回されるぞ」
平田は大きくうなずいた。そういえば何となく思い当たるフシもある。
「しかし、速報や報告書なんか見ると上手くまとめていますけどね」
「精神論や概念的なことばかりで、具体的施策にまで思考しきれない。つまり、人の意見や考えをアレンジしたり批評するのは上手いが、自分の魂から絞り出した叫びがない。人の尻馬に乗ってるだけや。だから議論がいつも抽象的な観念論ばかりになって具体的結論がない。会議でも前回と今回で言うことが180度違うことだって珍しくない」河原は何か痛い思いを味わったのであろうか。思い込むような表情で語っている。
平田も高瀬の信念のような確たる生き方みたいなものをまだ見ておらず、
「そうですか」と、半信半疑だったが一応心に留めておくことにした。
「人間何か一つでも二つでも仕事をとことんやり遂げることが大事だ。やってみることによって自分の身になることがある。それはやってみないとわからない。そうして成し遂げることで人は成長するんや」
“そのとおりだ”と平田は大きくうなずいた。
平田はこうした大事な心構えを教えてくれる何人かの先輩たちに励まされながら、次第に本社に馴染んでいった。

本社に転勤してまもなくのことだ。エントランスホールでエレベーターを待っているときのことだった。たまたま営業の松崎部長が入ってきた。
松崎は、近年の会社全体の営業成績が順調であったことと、上役に対する徹底した迎合主義が功を奏し、旧体制から樋口体制へ変革する混乱の中で地区営業部長から本社営業部部長に任命された。営業手腕や能力が評価されたのかどうか、はなはだ疑問が残る人事と誰もが思った。何かを捨てれば体制におもねることの報酬は得られる。
「おはようございます」平田は普通にあいさつした。
しかし、松崎からは返事がなかった。無視されたのだ。聞こえなかったのかともう一度、今度は少し大きな声であいさつしたがやはり無視された。
平田は、嫌な思いを味わった。
“俺はこの人に何か悪いことをしたのだろうか”自分に問い正してみるが本社に来たばかりで思い当たるフシはない。人事部ということに対する反感か。それとも新参者へのイジメか。口元を歪めたくなるほど心が塞いだ。狭いエレベーターの中でも重苦しい空気が充満していたが、営業部の5階で松崎が下りるまで耐えた。
人事部に着くと平田は口を尖がらして憤慨するように早速神垣に聞いてみた。神垣は人事部の女性社員の中で一番のベテランで、子はまだいないが既婚者だ。落ち着いた振る舞いが若い女性社員の信頼を得ていた。
「さっきさ、エレベーターの前で松崎部長と会ったんよ。あいさつしたけど返事してくれんのよ。俺何か悪いことしたのかな」
「皆にそうなんよ。誰があいさつしても返事しないのよ。気にしなくていいと思います」
「なんで?」平田は理解できなかった。
「俺は部長だ。何でペーペーのお前たちにあいさつせにゃいかんのか、っていうことのようです。誰かにそんなこと話していたらしいですよ」
「情けないね。あいさつなんて人の繋がりの始まりだろう。子供のころ、親から最初に教わるのがあいさつじゃないか。社長でもあいさつくらいしてくれるぜ」
「そうですよね。変わった人ですよね」
「人に嫌な思いをさせ、そこまでして自分を誇示しなければならんのかね。かえって人間の器を小さくするだけやのに気がつかんのかな」

旧約聖書に「最初に言葉ありき」というのがあるそうである。人間がお互いを知り信頼しあうには、まずあいさつをして言葉を交し合い、徐々に理解と信頼を深めていくものである、という教えだそうだ。宗教間の紛争に悩んだ末に、解決し理解し合うための知恵であろうか。
小生の住む団地内には幼稚園から高校までの学舎が散在している。団地の中腹にある我が家の前は行き交う子供たちの交差点だ。朝一番に中学生が黙々とだるそうに下っていく。次に小学生、高校生が逆に上っていく。幼稚園は家のすぐ近くにあり、園児たちがお母さんに連れられたり園バスで通っていくのが最後である。小学生と高校生が通るときは賑やかい。大きな声が家々の間に響きあう。小学生は無邪気にはしゃぎ、高校生は青年らしい活発な精神の躍動が弾ける会話から伺われる。
この子たちが私の顔を見ると「おはようございます」「こんにちは」とあいさつをしていく。幼稚園児はこちらから声をかけないとほとんどしない。母親が先にして子がまねをする。小学生は9割方先にあいさつをしてくれる。しかし、どこかぎこちない。こちらも「おはよう」とか「お帰り」とかあいさつを返してやる。そうすると安心した顔をする。中学生ほとんどはこちらが先にしないとしてくれない。難しい年頃だ。高校生はハッキリとあいさつをしてすれ違う。小中学生とは違って堂々と自信に溢れている。もうすでに自己が確立されているのだろう。
これだけの子たちを見ているといろいろな人間の成長段階が伺われる。登園をむずがる子はまだ親離れがうまくいっていないのであろう。親の手を振り切って走って行こうとする子もいる。小学生が一番わかりやすい。家庭であいさつや躾が行き届いている子は伸びやかにあいさつをする。こちらが声をかけても返事を返さないのも小学生だ。恐らく家でもあいさつし合う風習がないのであろう。中学生は大方暗い顔をし、何を考えているのかわからない。悩み多き年頃か。それでもこちらが声をかけるとしぶしぶ返事をする。さすがに高校生はきちんとあいさつする子が多い。その態度には大人に対する畏敬と感謝が汲み取れる。大人のみなさんのお陰で私たちは勉強できる、と。
あいさつにはそんな人それぞれの人生がこもっている。
出会いや別れのあいさつ、お礼のあいさつ、結婚式や会議などのイベントでのあいさつ。ありきたりでない、心のこもった素敵なあいさつは人間の深さを物語り、その人を魅力的に引き立てる。人間であることの基本だろう。

本社は人種の坩堝だ。いろんな人間がいる。平田は、本社の奇癖や陰湿さに戸惑ったが次第に慣れ、身のこなしもしなやかになり、力強く歩き始めた。

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