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人が代わること

更新 2016.05.19(作成 2008.06.25)

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第4章 道程 6. 人が代わること

「樋口さんが来るんだよ。もう私なんか出る幕はありませんよ。胡散臭さがられるだけですよ」
「そうですかねー」
「そうさ。彼が求めるのはそんな補佐役ではなくて、手足として動く忠実な実務者だよ」
「つまり、人の意見は聞かないってことですか」吉田が皮肉っぽく言い返した。
「そういう面もあるかもしれない。しかし、まあ自分の信念を持っているというか、自信があるというか、頑固だと思うよ」
吉田は、会社が一大経営者を戴いたと思う反面、会社との交渉において今までとは比較にならないくらい格段に難しくなることを感じた。
「それでなんと言ってお断りになったんですか」平田は聞きたかった。
後藤田はそんな平田をニコニコしながら意味深に見つめ、
「卑怯者呼ばわりしてやりましたよ」と笑った。
「えー、どういうことですか」
「こういう場合は、自分の意思のほうが相手より強いことを示さなくてはいけない。それによって本気度が伝わるというもんです」みんなは、ウンウンとうなずきながら聞き入った。
「大体、人間何かを断るとき『いえいえ、結構です』とか言いながらどこかで「しょうがないな」といった容認の微妙なニュアンスを醸している。だから押し負ける。それが甘さというものだ。例えば、しつこい押し売りなんかを断るときは本気で怒るだろ。本当に嫌なら本気で怒るはずだ。その本気度が相手に伝わるというものだ。だから私も、4カ月間考えた結論をそんなに簡単に覆すのは卑怯です、とやっちゃったのさ」
みんな後藤田の意志の強さ、潔さに感服し、無言で後藤田を見詰めた。
その視線に照れたのか、後藤田は話題を変えてきた。
「ところで、新賃金の移行だけど組合はよく呑んだね」
「呑むも呑まないもないですよ。しょうがないんですよ」作田は口を尖がらせて不満げに答えた。
「大変申し訳ありません。私の力不足で組合には迷惑を掛けています」川岸が言い訳して責任をかぶった。
「社長はどうお考えですか」作田が尋ねた。
「川岸君から提案を受けたとき、私は功罪五分五分だと思った。ただ、私はもう退任で責任を取れないからジャッジは新体制の中でしたらいいと、決定を総会後にしたわけですよ」
「なるほど、それで唐突に出てきたわけですね」
「それで組合はどうして呑む気になったの」
そう尋ねられてみんなが平田の顔を見た。
「そうですね、破れかぶれみたいなもんですかね」平田は苦笑いしながら答えた。
「ホーッ。平田君らしくない言い方だな。初めてだよ、君からそんな言い方を聞いたのは。いつもは理路整然としてるのにな」後藤田はニコニコしながら平田の顔を見返した。
「どうせこれ以上悪くはならないでしょう。少しでも良いほうへ可能性があるならそれを選択したほうがいいと思いました」
「うん、勇気ある一歩だと思うよ」そう言いながら皆を見返した。
「せっかくだから、今日は人事制度について語りましょうか」
「はい、ぜひお願いします」平田は、自分の領域だから勉強になると膝を乗り出した。
後藤田と飲むときは、ただ楽しく飲むだけではない。必ずなにがしかの含蓄がある。後藤田が少しでも自分の経験や智恵を後輩に残そうという思いからだろう。
「どうだ、平田君は人事制度はなんのためにあると思うかね」
「そうですね。公平感を出して社員のやる気を出すためでしょうか」
「あーそうか。そういう言い方になるか」
「違いますか」
「いやいや、そうじゃなくて私の言い方が悪かった。それじゃ、誰のためにあると思うかね」
「そりゃ、社員でしょう」
「どんな社員?」
「どんな社員?ですか」オウム返しに聞き返しながら、平田は困った。
「もういい。平田、お前は勉強不足なんやから、俺が聞く。そりゃ頑張った人のためでしょう。決まっとるやないですか」と、豊岡が横から議論を取り上げたもんだから失笑を誘った。もうだいぶ酔っているようだ。
「おやおや、若旦那が出てきたよ」
「で、どうなんですか。そうでしょう」
「制度だからみんなのものであることに違いはないが、制度を作ったり変えたりする狙いは劣後している人たちのためなんだよ。そりゃ風土を変えるとか、変革を起こすとか表向きの論理はあるよ。だけどそうしなければならない底辺の理由はこういう人たちのためなんだよ」
平田はまたしてもビックリした。後藤田にはいちいち教えられる。人間勝負だとか男気だとか。今日は劣後人間のためだという。“正攻法だけで物事を考えたらいかん。懐を深くして考えよということか”と平田は解釈した。
平田が黙って考える素振りでいると、後藤田は続けた。
「優秀な人はどんな状況でも、どんな制度を当てはめても優秀だ。そんな人ばかりだと制度を作ったり変えたりする必要はない。劣っている人たちをどうやって積極的に事業に参加させ、どういう頑張りをすればいい処遇が得られるか、その方向を示すことだ。そして、こういう人たちが不満を抱えてこれ以上事業の足を引っ張らないようにするために、自分の処遇や賃金をいかに納得させるかなんだよ。この人たちにも言い分がある。その心になりきって制度を作ることだ。できることならこういう人たちの心に再び火をつけることができれば大成功だろう」
「なるほどねー。平田よ、こうやって制度を考えるんよ」豊岡は相変わらず調子が良かった。自分の答えが間違っていたことなどまるで関係ないかのようだ。
平田は豊岡の突っ込みをウンウンと受け流しながら、全く違う視点からの切り口に感嘆した。
平田が、後藤田から制度について薫陶を受けるのはこれが最後となったが、その後の平田の制度に対する考え方にある種の凄味を与えたことは確かだった。
酒もだいぶ回ってきたころ、いつものように吉田が裸踊りを始めた。それにつられて作田が狸踊りを披露する。髭ダンスも飛び出した。極めつけは川岸の安来節だ。もはや座はグチャグチャになり、抱腹絶倒の繰り返しだ。後藤田はみんなの気持ちが涙が出るほど嬉しかった。たくさんの送別会をしてもらったが、これほど心のこもった送別会はなかった。
いつの間にか時計はとっくに日にちが変わっており、名残惜しいがお開きすることとなった。豊岡の実家という気安さからつい遅くなってしまった。
後藤田と川岸は同じ方向なので、まずこの2人をタクシーに見送った。後藤田は、「ありがとう」と一人ひとりの手を硬く握り締めながら感謝の気持ちを精一杯表した。その顔は笑ってはいるが、今にも涙が溢れ出しそうな感激を際どくこらえていた。
みんなも口々に「お元気で」とか「ありがとうございました」とあいさつしながら、何度も何度も頭を下げた。
吉田と作田を帰すと、方向の違う平田がいつも最後になる。豊岡はタバコに火をつけながら、
「これで良かったんかもしれんの」と感慨深げにつぶやいた。
「うん。ちょっと淋しいけど、こうせんと時代が進まんのかもしれんね」と、平田も人の運命を思った。
“時代が前に進むとか、歴史が変わるとかは人が代わることだ”

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