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「第4章 道程」を振り返って

更新 2016.05.19(作成 2009.02.13)

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第4章 道程 29. 「第4章 道程」を振り返って

吉田らの活動が実を結び、一筋の明かりが見えるまでのドラマは昭和61年正月の新年社長訓示の場から始まった。親会社であるマル水食品株式会社の筆頭専務である樋口が、中国食品株式会社の顧問として経営に参加することになったからである。
そこには、マル水の内部事情もあった。役員交代時期が来たマル水食品にとって、No.2実力者の処遇先としての中国食品の経営事情は願ってもない出来事だった。役員クラスの処遇問題は一般社員以上に厄介だ。もし、そうした事情がなかったら吉田の願いは叶えられただろうか。金丸と吉田が接近する切っ掛けとなっただろうか。2人の交流はその後も続いている。
そんな中で後藤田の引き際は見事だった。自らが関わった役員交代劇の中で自分だけが残るわけにいかなかった。また、樋口の性格を読み取り潔く引退した。そこに後藤田の高潔さがあり、人を魅了するところだ。ただ、長い一生の中ではその潔癖さが時として人生を邪魔することもある。
樋口は、中国食品の経営再建策を積極果断に押し進め、見事3年で黒字化を成し遂げた。
樋口は大きく3つの課題に焦点を当てて経営再建に取り組んでいる。
1つは設備である。過大な設備は稼働率が悪く、生産効率が極めて悪い。それは平田らが早くから指摘していたことである。過剰な設備はそれを維持するためにロジスティックに無理を掛け、逆送などを起こしかえって無駄な経費を生む。
設備を維持するための固定費も想像以上だ。固定資産税や事業税、水道光熱費、設備を稼動させるためのその都度のアイドリングやメンテナンス費用、何よりも人件費だ。直接人員は他の工場へ振り向けられるが、間接はムダである。工場長以下の管理職や総務、管理事務、シッピング要員など20名近くに上る。
樋口は過剰投資が企業の体力を一番奪うことを知っていた。山陰工場を即廃止した。
就任して全事業所を視察するとき、山陰工場を一番最初に訪れているのもそのためだろう。工場新設計画を山本が担当したことを知ってか知らずか、「君は会社をつぶす気か」と山本を一喝している。山本はそのとき初めて自分のしたことがとんでもないことに気がつき青くなった。工場長になれるという魅力の前に善悪の見境を失ったのだ。人間はかくも弱いものだ。もしこれが逆の立場だったら平田はこの誘惑に勝てただろうか。そして読者の皆さんだったら?仮に勝てたとしてもどう断るか悩んだことだろう。
あれほど山陰工場維持に拘っていた浮田も山陰工場閉鎖に反対しなかった。もはや時の流れに勝てないと観念したのだろう。機を見るに敏だ。反対して経緯をいたずらに詮索されるのも辛い。
もともと山陰工場にいくばくかの疑念を抱いていた他の役員に、反対するものがいるはずはない。それならば何故、見直しの声が上がらなかったのか。浮田への畏怖からである。恐怖政治というのは会社を歪めてしまう。これも世間の常識とのズレなのだ。このズレが会社をおかしくした。
2つ目は財務面のてこ入れである。山陰工場建設で借入金総額は210億円に膨れ上がった。下手をするといつ資金繰りに行き詰まるかわからない。それに何をするにも資金の裏づけがなければ打って出ることができない。樋口は投資の根本である資金計画の甘さをいち早く見抜いた。それは野木も同様で、「事業戦略と財務戦略は表裏一体のものでなければならない」と平田に語っている。
樋口はすかさず45億円のCBをスイスで発行し、財務強化を図った。平田らは目を見張ったが樋口はいとも簡単に成し遂げ、それを元に事業基盤の整備に着手している。
3つ目は人本主義だ。
組織は人なりの信念のもと、社員を大事にする姿勢を打ち出した。そして、『雲外蒼天』と希望を持たせた。その具体的施策の最たるものが営業所のリニューアルである。ここにCBで得た資金を惜しげもなく注ぎ込んだ。実際には古い営業所を売却し新しく造り替えるから上物の費用だけで大方済み、20億円も要らなかった。循環投資であり、毎年の利益と合わせると手元流動性をほとんど損なうことなく整備していった。その辺の金の使い方にも着目するものがある。
『劣悪な環境で働かせ、社員を粗末に扱えば社員の心は荒(すさ)み意欲など出るわけがない。ひいては事故を起こしたり不正を働くことになる。そのほうが余程マイナスだ。会社が社員を大事にしてこそ社員も応えてくれる』樋口の経営哲学だ。
社員の財産形成にも気を配っている。社員持ち株会を作らせ、それをTQC活動とのセットで打ち出した。自分たちのアイデアで会社を良くし、会社が良くなれば株価が上がり、持ち株会で利益を享受できる。この政策は会社は株主や役員だけのものではなく、自分たちのものでもあるという意識を植え付け、愛社精神や業績への参画意識を高めた。
一方で能力主義という厳しい反面も打ち出した。賞与や春闘での賃金交渉ではピクリとも引くことはなく、筋の通らない妥協には頑として首を振らなかった。けして社員を甘やかしたりはしなかった。このことは社員を厳しく躾け、逞しく育てていった。
社内人事の刷新にも気を配った。川岸、堀越、新田、青野の登用だ。
こうした政策は、それまで上役の顔色ばかり伺っていた社員に、やる者が報われるという安心感を生み出し、本来の業務に専念させた。
特に堀越の登用は、営業現場の営業政策への信頼を取り戻した。政策進捗率がグッと向上し、売り上げを力強く伸ばしていった。
また、社員の意識高揚策として25周年記念大会を大々的に行い、情報化という時代の流れを先読みし本社を市内に移転させた。こうした政策は、社員の士気を鼓舞するに十分な効果だった。こうしたイベントの使い方も見事である。特に、市内への本社移転は人材採用の観点から当意即妙だったろう。

こうして見てくると樋口の政策は特別難しいものや目を見張るようなものは何もない。一口で要約するならば、当たり前を当たり前に修正していっただけである。世間の常識からズレているところや経営者の感性からおかしいと思うところを常軌に戻しただけである。それだけで会社はよみがえった。ただ意表を突いたといえるのは果断にそれを実行したことであろう。そういう意味においては、樋口の経営手腕の真価が問われるのはむしろこれからである。
ただ、会社の風土や文化や考え方は、経営者による影響が大きいことはそのとおりであるが、組合や従業員が歪めてしまうことも決して少なくないことを付け加えておきたい。会社も組合もトップ次第ということだろう。そして、自分たちの考えや感覚が世間とどれほどズレているか、いかに早くそれに気付くかが肝心である。そのためには井の中の蛙にならないようにしっかり目を見張り、多くの人と交わり見聞を広めることだ。蛇足だろうが、日ごろの努力としては日経新聞を読むことが一番ということをお勧めしておく。報道としてのニュースだけでなく、テーマや特集として経営のあり方やあるいは人事についても解説し、多くの示唆を与えてくれる。

この第4章道程は、樋口が中国食品を経営の危機からいかにして立ち直らせていくか、会社が正常化していくその過程を展開するくだりだ。
そうした意味では経営政策にばかり目が行きがちであるが、本編のテーマである人事労務についても、経営者の視点から貴重なヒントを与えてくれた。
その一つはボードのあり方についての考え方であろうか。いつまでもマル水からの進駐軍ばかりでは社員に希望が持てず、会社が伸びない。天下りの寄せ集めでは、思い切った改革や経営のダイナミズムは期待できない。そこで、樋口は後藤田が残した原石を自らのブレーンとして育成することに取り組んだ。経営トップの最大の責務である。
次に川岸の『ト金会』を派閥として牽制している。派閥はまともな政策を派閥論理で歪めてしまう。そのことを危惧しての忠告である。
しかし、派閥のない組織は存在しないだろう。規模や程度の差はあるが必ずどこにも存在する。できることならばどの派閥にも所属せずに身奇麗に生きるのが一番いい。しかし、それも難しい。例えば、尊敬するあるいは好きな上司がいたとする。お互いに引き合ったとき自然と近しい関係ができる。何人か集まったとき人はそれを派閥と呼ぶだろう。付かず、離れず、喧嘩せず。その距離感をうまく保つことは難しい。
樋口が就任して最初の大仕事が山陰工場の閉鎖であるが、これは人事の側面からも大きなインパクトがある。1つの事業所を閉鎖するということは非常に辛いことだ。会社も組合も莫大な心血を注いで対応に追われている。個々の社員の事情を考えると胸が締め付けられるようだ。歴史の舵が大きく切られるとき、そこには必ず犠牲が出る。必ず、である。それは歴史を本気で変えようとする者の犠牲ではなく、歴史を変えられる側の犠牲である。どこかの政治家は「痛み」などと言っていたが、そんな生易しいものではない。個々の社員には現実の生活があるのだ。そうならないために日ごろから驕りのない経営を心がけるべきなのだ。
「もしこの工場がなかったら、私たちはもっと早い段階で違う人生の選択をしていたはずです」工場の誰かが叫んだ。
この一言が全てを物語っている。無責任な為政者のエゴが他人の人生に取り返しのつかない傷を負わせる。仕事とは未来に対する責任だ。このことは全ての人が肝に銘じてほしい。明日か10年先か、あなたのすぐ後の工程に対してかもしれない。そこに責任を持つ。それがあなたの仕事なのだ。
人生を狂わされた犠牲者は平田もその一人だろう。平田は疎外感からノイローゼ寸前までいっている。よくぞ持ちこたえた。よき理解者に支えられて、人生を誤らずに過ごすことができた。これも人間模様である。どんなにすばらしい出会いがあるか。それによって大きく人生が変わる。
不思議なことにその後も平田の周りにはすばらしい出会いが待っている。

見逃してはならないもう一つのポイントがある。組合役員交代への介入である。もしこれが樋口でなかったら、こんなことを言わなかっただろう。もし吉田でなかったら、自分の腹に収めきれず抜き差しならぬ労使紛争に発展しただろう。会社を思う男同士の真剣勝負ならばこそ、そこで決着できた。どちらも会社を思う気持ちの一点で信頼し合えた。
ただ、勝負は気迫の差で決まった。樋口の情熱の強さが勝った。樋口にはそこまで強引に介入してもやりたい夢があった。大きな仕事を成し遂げるには、強い意志を持ち続けることが必要である。その意思の強さが吉田の意地を砕いた。吉田は会社正常化の達成感から意地の張り具合で樋口に押し切られた。
作田の死も、組合戦士たちのその後の運命をなにやら暗示しているようで気が置けない。
坂本は、「歴史を本気で変えようとした者で最後まで生き残ったものはいませんからね」と言い、河原は、「この世に本当に要らなくなったら天が命を召していく」という。このことは、平田の胸に強く刻み込まれた。

さて、赤字経営から脱出した中国食品のこれからを、樋口はどのような会社経営を目指すのか?平田ら組合戦士の運命は?まだまだ予断を許さない展開が続く。

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