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躁と鬱

更新 2016.05.19(作成 2009.01.15)

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第4章 道程 26. 躁と鬱

「子供はどうするんや。お父さんは会社が辛くて逃げ出したって、そんな姿を見せるんか。一生顔向けできんぞ。それでどんな子が育つ?ちょっとした困難に出会っただけも逃げ出すような子になるぜ。勉強は辛いからイヤー。学校は面白くないからやーめた。そんな子に育てるんか。子供は親の背中を見て育つんや。お前が歯を食いしばって頑張っている姿こそ、子供にとって最高の教科書やないか」
この言葉は平田の胸にズシリとこたえた。平田は自分のことばかり考えていたが、自分は一人じゃないことを気付かされた。
「例え辛い目に遭ったとしても、お父さんは歯を食いしばって頑張ったと誇りをもって話せるときがいつか来る。そのほうが余程すばらしいやないか」
“子供は俺の宝や。妻は一人でも生きていけるが子供は俺しか守る者がいない”平田は子供に申し訳ない気持ちで俯いてしまった。
“もう少しや”河原は、少しずつ平田の気持ちが変化しているのを見て手応えを感じた。
「家族にはやっぱりお前が頼みの柱なんだぞ。男は稼いで何ぼや。稼がにゃ価値はない。俺はな、男っていうものは死ぬまでそうなんだろうと思っている。今辞めてみろ、例えいい再就職があったとしても初任給からや。それで家族が養えるか。会社の辛さも、家族の信頼も、人生の悲哀も、男はいろんなものを背負わにゃいけんのや。その重さに耐えるのが男の生き様や」平田はジッと動かなくなった。
“そうだった。『家族に会社の辛さを感じさせない生き方こそ、男のダンディズム』それが俺の生き方やった”
「今までだっていいときもあっただろ。山もあれば谷もある。それが人生や。これ以上悪くはなるまいが。何が来たって恐れるもんやない。次は何が来るか楽しみやいうくらいドーンと構えときゃいいんよ。なるようになるさ。冬が厳しいほど春は暖かいぞ」
河原の言葉は経験者だけにズシリと平田の胸にこたえた。
「臥薪嘗胆って知っているだろ」
「はい。悔しさを忘れないという呉越戦争時の故事ですよね。河原さんに紹介してもらった『十八史略』にも出ていました」小さな声で答えた。
「そうや。2千年以上も前の歴史や。人間はそのころから同じ塗炭の苦しみを味わいながら生きている。お前だけじゃない。みんなそうやって生きとるんや。大丈夫。今は亀の甲のように首をすくめて嵐が過ぎ去るのをジッと待てばいい。なーにすぐよ。もし、浮田がいなくなって誰も引き取り手がなかったら俺が引き取る。心配するな。しっかり勉強しておけ」そう言って河原は平田のコップにビールを注いだ。
「また、会いたくなったら出て来い」
河原は、一途な平田を純粋すぎると思いながら、どこか自分に似ているものを感じていた。
平田は、やっとのところで思いとどまった。自分の我慢の足りなさを思い返し、世の中いいことばかりでいかないことを悟った。
河原に電話したことが、何かのはずみで辞表を叩きつけたかもかもしれないぎりぎりの崖っぷちから平田を救った。平田の人生はまた出会いに支えられた。

平田は河原と会ったことで少し気が楽になった。「俺が引き取る」と最後に言ってくれたこともわずかながら希望を持たせてくれた。
しかしそれでも日々の暮らしの中では、やはりやりきれない日々を悶々と過ごすことが多かった。
12月10日(土)は寒波のせいで朝から冷たい雨が降っていた。陽が落ちると一層冷え込み雪に変わった。
平田は夕飯前のひとときを居間でゴロゴロと過ごしていた。広げた新聞を押しやり畳の上にひっくり返った。頭の後ろで結んだ手を枕に天井をぼんやり見つめながらあれこれと考えた。
“賞与交渉は3.5カ月で昨日妥結したようだ。業績見込みがいいのか係数は大きく上がっていた。妥結日も去年より1週間も早い”
ついこの前まで自分たちがやっていたことなのに、遠い日の出来事のように思われた。
“そういえば、吉田さんを招いて討ち入りの話をしたのも今ごろだった。やはり雪が降っていた。あれからもう3年になるのか”過ぎた日は早かった。
“この分だと今夜は積もるな。明日は真っ白だ”
「お父さん、気晴らしに明日みんなでスキーに行かない」浮かない平田を気遣って妻が声をかけてきた。
「新雪だから気持ちがいいわよ」
「そうやな。行こうか」平田は自分を叱咤して気持ちを切り替えた。努力して元気を出さないと何もする気が起きない。今の平田の心には躁と鬱が仲良く同居していた。医者にかかる程ではないが、気分の落差は大きかった。鬱はすぐに顔を出すが、躁は自ら努力しないとやって来ない。平田は頑張って元気を出すようにした。
板にワックスをかけたり、車に積み込んだり俄然忙しくなった。こうして体を動かし、何かをしているときが平田から嫌な思いを忘れさせ、心に活気を呼び戻してくれる。
気圧の変化で急に冷え込み荒れた翌日はカラッと陽が差すことがある。この日も絶好のスキー日和となった。こんな冷え込んだときのスキー場ではダイヤモンドダストが空中に舞い、思うがままの芸術的姿の樹氷が陽光を浴びて真っ白な銀世界にキラキラと煌く。それは美しい。
娘は小学4年生で息子は1年生になっていた。娘は用心深く、親に付いて滑り離れない。息子は自分の限界の滑りがしたいらしく一人で勝手に滑り回っている。もともとスポーツというものは、勝敗や記録以外に「見せる」「見られる」という要素が大きなウェイトを占めているが、特にスキーは見せるスポーツである。同時に限界への挑戦のスポーツでもある。一滑り一滑りが己の技量の限界への挑戦である。いかにかっこよく、いかに早く、いかに難度の高い技術がこなせるかである。冒険心というか怖いもの知らずというか、息子はかなり暴走している。しかし、それで自分の体力、能力、技量の限界を知るだろう。また、それを予見する思考力を養う。怪我をするのも体験や。「人に怪我をさせるなよ」とだけ言い聞かせて好きにさせている。男と女の違いか。自立心の違いか。同じ姉弟でもこんなに違うものかと思いながら、平田はそんな子供たちが可愛かった。
こうして、自分を奮い立たせて頑張れば、嫌なことを忘れることができる。鬱は影を潜めている。

躁鬱病あるいは心身症というのか、これらは仕事の厳しさから来るのではない。上司や周りの人間が与えるプレッシャーと人間関係の疎外感から起きるのである。いかに困難な仕事でも上司や先輩が良き理解者であり支援者であったら、どんなに勇気が湧きやる気が起きることか。世の躁鬱病はなくなると思っている。
にもかかわらず、悲しいかな世の管理職は責任だけを部下に押し付け、叱咤し、激怒し、罵倒する。これではやる気も失せ、仕事へのファイトも萎えてしまうというものだ。自分ではそれが任務だと思っている。まるで自分が虐められてきた意趣返しに部下を虐げているようだ。「俺たちもそうして鍛えられてきた。それが会社の伝統的文化だ」と嘯(うそぶ)きながら、それで自分の権威を誇示し、そうして人をつぶしていく。そんな実態が多いようだ。
それを知って人事は何をするか。人事もまたその風土病に毒されていないか。しかし、誰かがメスを入れなければいつまでも変わらない。部下の育て方、使い方をしっかり管理職に教育する仕組みを導入することだ。それが新しい文化に根付くまで、それが管理職の役割だと徹底的に叩き込むことだ。管理職は管理する務めより、良きリーダーとしての役割が大事だ。
評価制度にも反映させ、部下をつぶしたら減点、昇進するような部下を輩出したら加点する。そんな工夫ができないものか。採用から今日まで育てた投下資本と時間と労力を考えると、一人の人間をつぶすということは大変な損失だ。
あのトヨタが、ソニーが成果一辺倒だった報酬体系を部下育成や後輩指導にウェイトを置いた報酬体系に見直しをしているとか。小林製薬ではその比重が実に2割だそうだ。

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