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不器用者

更新 2016.05.19(作成 2009.01.08)

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第4章 道程 25. 不器用者

“そうだ、河原さんに電話してみよう。こんなときは河原さんに電話するのがいい。あの人ならわかってくれる”平田はどこかで誰かに救いを求めていた。
暦は師走に入った3日(土)、平田は、どうしようもない自分の気持ちを自宅の居間でもてあましていた。ぼんやりと窓越しに景色を見ていたが空しくなるばかりだ。
“採算の合わない工場建設に反対したら飛ばされる。会社正常化のために立ち上がった組合は辞めさせられる。本社は遠のく。俺はなんのために頑張っているのだろう”
道を迷うときというのはこんなときなのであろうか。『人生なるようになる』までの我慢ができない。
いくら会社のために頑張ってもなにも報われない。自分の栄達のためではないが、頑張ったものがバカを見る会社が悔しかった。
「将来大きく飛躍するために、今はバネを縮めるときや」
いつか河原が言っていたことを思い出した。
河原は、誰に対しても相手と同じ心情で真剣に向き合った。人間というもの、人の不幸に対してはどこか敬遠しがちだ。疫病神には近づきたくないというのが偽らざるところだろう。しかし、河原にはそんな不都合が感じられなかった。
「来週会おう」と快く言ってくれた。

久しぶりの市内はクリスマスムードに溢れ、どの顔も楽しそうに過ぎていく。しかし今の平田にはそれが恨めしくさえ思え、うつむき加減で待ち合わせ場所に急いだ。
河原に会った平田は、今の心境を切々と訴えた。
「今辞めたらお前の負けや。これまで築いてきた人の繋がりも信用も地位も給与も全部捨てることになるぞ。下手をすると家族まで捨てることになるぜ。せっかく築いた全ての財産を捨てるだけの価値が浮田にあるのか。どうせ後何年かだろ。もうチョットの辛抱や」河原は真っ向から反対した。
「しかしお先真っ暗な感じがして、希望が持てないんですよ」
「浮田なんぞにこだわるな。それより、もっと大きく先を見通せ。それがお前たちの志だったんだろうが。樋口さんが来てこのままで収まるわけがない。力のある奴が求められるときがきっと来る」
「そうでしょうか」
「あの人は業績に対して強い執着心を持っている。人に対しても信賞必罰、実力次第の人事を必ず打ち出してくる。そうしたら今の能なし野郎たちは必ず淘汰される。そのとき力があるかどうかや」
「本当にそうなってほしいです。何も悪くない奴がこんな悲哀を被るなんて、理不尽すぎると思いませんか」平田の言葉には悔しさが滲み出ていた。
「かって俺もそうだった。浮田に睨まれて何度首にされたかわからん。会社中が冷ややかで針の筵(むしろ)だったよ」
それは平田も知っていた。河原が福山工場で総務課長をしていたころ、浮田は河原のことを誰彼構わず罵っていた。本人への直接的嫌がらせも何度となく耳にしていた。河原の合理的考えが浮田の工場運営方針と真っ向からぶつかるからだ。しかし、それはどちらが先かわからない。河原の考えが気に入らないから河原が嫌いなのか、河原が嫌いだから考えまでも嫌いなのか。全人格的な人となりの好き嫌いである。
河原も平田と同じで、近野常務に薫陶を受け敬愛していたから浮田がいかにも無知蒙昧の下衆に見えてしょうがない。ただ業腹なだけではないかと嫌忌した。さらに浮田には自分と考えの違う者を徹底的に敵対視する偏狭さがあり、平田も河原もそれをへどが出るほど嫌悪した。それを浮田は敏感に嗅ぎ取っていたのである。だから力でねじ伏せようとする。どこの組織にも1人や2人は必ずいる小心な手合いだ。
製造部の中で「あいつを首にする方法はないか」と、側近の楢崎たちと真剣に企てていたのを、“バカなことを”と平田は冷ややかに見ていたものだ。もはや尋常ではなかった。
人間は肩書きじゃないことを知るべしだ。決して肩書きで人望は得られない。
「だけどな。そこで辞めたら負けやからな逃げるわけにはいかなかったんだよ。負けてなるもんか、いつか見返してやると必死で耐えたよ。浮田だけが役員やない。今に見ておれと思ったね」河原の言い方に力がこもった。
「私はそんなに強く生きられません。今にも挫けそうです」
「なにを弱音を吐いてんだ」
「河原さんは浮田から離れられたし、業務課長に抜擢されたからいいですよ」
「俺は、製造のことはもうどうにでもなれと思って営業部の業務改革案を後藤田さんに訴えたんだよ。小田専務が営業本部長だったからな。ここに言ってもどうしょうもないと思ってな。それが認められたのさ」
「そうだったんですか。そんなことがあったんですか」
「そうだ。どこに行っても人間関係は付いて回る。どうせ俺もお前も不器用にしか生きられんから、辞めても同じや。それならここで捲土重来を期すしかないじゃないか。やりきれない人生を生きる、それが人生や」
河原の言葉は胸に沁みた。
「ヒーさんは最初技術職で入ったんだろ。元に戻って一からやり直しと思えばいいじゃないか」
「しかし、もう本社の面白さを知ってしまったんですよ。仕事に貴賤はありませんが、裁量の余地という点では本社の仕事に勝るものはありません。それに何も落ち度がないのに飛ばされるのが悔しいんです」
「そりゃしょうがない。上司にたてついたんだからな。それくらいの覚悟はしなきゃな。辛さ苦さを背負っていくのが男や」
「そうなんですが、なにもかもが嫌になって……」壊れそうな心に後は言葉にならなかった。
「じゃあ、お前は一体何がやりたいんや。『何となく今の仕事はつまらん。本社がいい』そんな駄々をこねるようなことじゃダメだ。ただそれだけじゃ虫が良すぎる。まず何がやりたいかを考えて、それができる力を付け、それができる立場を掴むことや。それをゆっくり考えるいいチャンスじゃないか。人は必ず見ているぞ。お前がグジグジと弱音を吐いたり、腐ったり、仕事を投げ出したりしてみろ。そんな奴を誰が拾うものか」
言葉で理解しても、そう思いきれないところが追い込まれた人間の弱さだ。そう言われるとよけいに辛かった。
「辞めるのは簡単よ。楽な生き方や」河原は皮肉っぽく茶化した。
「だが、それまでのことよ。お前の負けよ。負け犬よ」そう言い放って平田を見下ろした。
「どんなに無様でも、どんなに泥だらけになっても、結局最後まで残った奴が勝ちなんよ。いいか、よく聞けよ。最後まで残っておれば、どんなに偉いやつだろうが辞めていくときには『ざまー見ろ』と追い出せるんだぜ。最後にフンと言ってやってももう手が出せんのやで。それも生き延びてこそや。どうや。浮田が辞めるのを見届けてやろうじゃねーか。そのとき2人で乾杯しようや」河原の言い方も熱気を帯びてきた。
人間関係で辞めていくのはバカらしい。自分が変わらないかぎり、次のところでも同じ人生が待っている。
「今、お前が邪魔なのは浮田だけだろう。他の者は浮田に義理立てしとるだけで、浮田がいなくなれば手のひらが返る。ところがお前を惜しいと思っているのはいっぱいいるぜ。吉田さん、俺、野木、後藤田さんもそうだ。そんな人の期待を全部裏切って辞められるのか。今どんなに惨めでも辞めたらいかん。人の進退は自ら引かなければならないときと、天が求めるときがある。お前が本当にこの世に必要なかったら天がお前の命を召していく。運命とはそういうものだ。天命に任せよ。浮田なんかは自ら引く道を知らないから恥も外聞もなくしがみ付いているが、そのうち天のブレーカーがきっと働く」
河原は、平田がなかなか納得しないので多少もてあまし気味になったが、それでも親身になって懇々と説いた。

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