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CB発行

更新 2016.05.19(作成 2008.08.25)

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第4章 道程 12. CB発行

「見ておれ、来年には倍にしてみせる」
すると川岸が、
「いえ、そうではなくて、株を買う余裕がないのです」とフォローした。
これにはみんなもうなずいた。
「うん、そうか」樋口は、ここ数年中国食品が経営不振で昇給や賞与が十分払われてこなかったことを思い出し、“そうかもしれない”と納得した。
「よしわかった。それじゃ『社員持ち株制度』を作りなさい。会社も少し支援したらいい」
「どれくらいにしましょうか」
「そんなことは自分たちで考えたらいい。それが仕事だろう」
樋口の話はこうした調子で、経営とはこうだとか、こうして経営していくとか、大上段に経営論を振り回すわけではなく、閃きや感性を具体的政策で打ち出していくだけである。この日も山陰工場の閉鎖についてはそれっきり何もなかった。将来ビジョンについても「きっと良くしてみせる」とか「株を倍にしてみせる」とか漠然としたことだけしか言わない。しかし自信満々だった。
“着眼大局、着手小局”という囲碁の格言がある。樋口はまさにそれを地でいった。
それから2カ月後の10月15日、秋とはいえまだ夏の臭いが色濃く残っており、白秋のイメージとは程遠いころである。
今年は組合役員改選の年だが、それも無事信任を得、新しい活動年度に入っていた。早いもので、吉田らが新しい体制を立ち上げてもう2年が経過した。がむしゃらに、そして全てに一途に取り組んできた。それが功を奏し、比類なき経営トップを迎え入れることができた。
組合が新体制になって全く違った取り組みになり、会社もトップが代わって少しずつ生まれ変わり始めている。人が代わったからだ。
“組織は人である”と言われる所以だ。必ずしも人が交代しなくてもいい。心掛け、意識が変われば組織は変わる。人次第だ。
会社は『社員持ち株制度』と『TQC活動』をセットで打ち出してきた。
樋口は中国食品の社員気質を受身体質と見抜いた。勤勉ではあるが全体的に受動的であり、自ら積極的にリスクをとって何かを企画したり提案したりする風土にない。先の飲み会での社員持ち株制度への会社支援すらすぐお伺いを立てようとする。自分たちで練ってみようという気がない。それは事業の性格にもよる。工場は時間に追われる流れ作業でマニュアル化されており、通常の業務の中では個人が自分で何かを工夫する余地はほとんどない。また、営業もルートセールスを基本とし、なかなか自分のオリジナリティを発揮しにくい環境だ。そのため社員の気質も知らず知らず受身体質になっていた。
しかし、社員を受身体質にする最大の要因は封建的社内体質だった。上司が右といえば右を向かなければいけない風土で自主性など育つはずがない。そのよい例が平田である。上司と意見を違えたため左遷させられた。それを見ている他の連中が主体的に意見を展開するわけがない。平田こそが特異な例なのだ。
樋口はそんな体質を打破しようと『TQC活動』を導入した。
「自分たちの力で工夫して少しずつ会社を良くし、その成果を自分たちも受け取れるように社員持ち株制度を導入する。会社は、個人拠出金の月々1万円分、賞与3万円分までに対し3%を支援する」会社はそう打ち出してきた。
社員の心を明るくする格好の制度だった。業績が良くなるから株価が上がり、社員が買うからまた上がる。相乗効果で上手く回転した。
久しぶりに社員の心に希望の光が差し込んだ。
「会社支援はなぜ拠出金1万円分までなんですか」組合は尋ねた。
「こういう制度は無理して何万円もするものではない。社員に賭け事の真似をさせるわけではないのだ。堅実に財産形成を助ける制度として妥当なところを設定した。もっと多く掛けられる人はしたらいいし、それほど余裕のある人は会社が支援する対象ではないだろう。証券会社を通じて市場で買ってもいいことだ」
川岸はそう会社の考えを説明した。“なるほど、いいあんばいだ”

年末も押し迫ってくると山陰工場閉鎖は現実味を帯びてくる。手続きは粛々と進められたが、そんな中での賞与交渉は必然的に厳しいものがある。
「会社は少しずつ良くなってきてはいるが、そう急に回復するわけではない。もうしばらく我慢してもらいたい」会社も必死に言い訳してきた。
「山陰工場閉鎖の決算に与える影響はどうなんですか」
「閉鎖のために人や物が動きます。そのための費用は今年の損益に跳ね返りますがそれは大した額にはなりません。問題は工場を閉鎖した後の資産の評価損をどう引き落とすかです。まだ年数が経っていないので償却はほとんど進んでおりません。引き落としを先延ばしにするため、工場廃止ではなく建前上一時休止という形で決算をしのぎます。機械などは平行して売却先を探しておるところです。こうして我慢しながら、業績が回復するのを待って、少しずつ引き落としていくしかありません」
無謀な投資がここまで会社を傷めるとは恐ろしいことだ。会社はこの負の遺産をどこまで引きずるのか。傷ついた会社決算とともに一時金交渉も実りのない結果で終わらざるを得なかった。

賞与交渉が終わると樋口は組合幹部と一席設けた。忘年会のつもりだろうか。組合は山陰工場の人の心情を慮るとそんな気にはなれなかったが、断るわけにもいかない。
樋口は相変わらず意気軒昂だ。いつもの調子でしゃべりまくる。
「来年、CBを発行する。45億だ。そのためスイスに行ってきた」
組合の連中はあっけにとられてポカーンとしていた。CBそのものの意味はわかるが、45億という額の多さやなぜスイスに行ったのかが結びつかなかった。
「多いと思っているのだろうが大したことじゃない。これくらいないと動きが取れん。つまらんことに金を使いすぎたからな」
樋口は淡々としゃべる。会社の財務はかなり毀損しており、こういう話のときは多少なりとも顔が歪むもんだが少しも表情が変わらない。
「どうしてスイスなんですか」平田は興味津々で尋ねた。こういう話のとき一番興味を示すのは平田だ。
「わからんだろ」
「はい」平田は素直にうなずいた。
「今日本で社債を発行しようとしたら、6%から7%の利息を付けなければ、我社(うち)の実力じゃ引き受け手がいないかもしれん。ところがスイスというところは世界中の金が集まってくるところでな、預けるのに金がいるくらいだ。つまり逆ザヤだ。だから彼らは決して高い金利を必要としていない」
「いくらで発行できるんですか」
「1.7%だ」
「そんなに安いんですか」平田の常識の外だった。
平田らには、金を借りるなら銀行、社債を発行するにしても日本でとしか思いつかない。
グローバルな視点がグローバルな発想を生む。世界を見てきたからこその発想である。見聞を広めておくことだ。
「今から会社はよみがえるぞ」樋口の顔が少し嬉しそうに見えた。

※CBとは
転換社債のことで、あらかじめ定められた期間や条件で発行会社の株式に転換することができる社債のこと。そのまま保有し続けると定期的な利息と償還日には額面全額が払い戻される。
現在では商法が改定され(平成14年4月)転換社債型新株予約権付社債と呼ばれている。
株価が転換価格以上に上昇すれば株式に転換し、市場で売却すれば転換価格との差益を得ることができる。そのため一般社債より低い利息が設定されている。

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