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動く

更新 2008.04.25(作成 2008.04.25)

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第3章 動く 56. 動く

金丸が来るということで12月13日は朝から会社の雰囲気が違っていた。それは、ピリピリとした張り詰めた空気というよりどんよりと雲が覆い被さるような重苦しいものだった。
面談は午後から役員会議室に1人ずつ呼ばれて行われた。部屋の中には金丸と樋口、松本の3人だけで、後の者は一切シャットアウトされた。そのため中の様子は一切うかがい知ることができなかった。長い者は1時間以上掛かる場合もあり、短い者は10分くらいで出てくる者もいた。
後で聞いた話では、何を聞かれ何を話したかは一切他言無用を厳命されたと言うことだけハッキリした。
小田をはじめとする役員は自分の部屋でじっと息を潜め、気が気でない時を過ごした。比較的サバサバした気分でいたのは後藤田くらいであろうか。
面談が終わると、金丸らはためらいもなくさっさと機上の人となった。何が問われ何が語られたかは当事者のみが知るところである。
金丸の胸のうちに何が固められたのであろうか。
こうして、吉田らの悲願であった株主による中国食品への経営監査が、社員面談という形で行われた。吉田らにしてみればやっとここまで漕ぎ付けたという思いだった。どれだけの時間と労力を要したことか。それでも、会社正常化という果てしない道程は、その入り口にやっと差し掛かったばかりである。これによって経営の刷新が約束されたわけでもなんでもなかった。しかし、山は確実に動いた。

一方の吉田らは、前日のうちに慰労会も済ませ、今日は早々にあいさつをして各自職場復帰させた。面談のことなど何も知らない交渉委員は、ブロック会議の日程などを確認して意気揚々と帰っていった。
残った三役は、面談の成り行きを固唾を呑むように見守った。書記長が事務打ち合わせと称して人事部に出向くが、こちらから聞き出すわけにはいかず何も知ることはできなかった。
その日の夕方、吉田が、
「今日はヒーさんの家に泊ろうかな」と言って、一緒に付いてきた。
平田は、いつものことだろうと妻に連絡し、車に乗せて一緒に帰宅した。
話題はどうしても面談のことや会社のことになる。吉田もそのことが話したかったのだろう。平田はそう思って付き合った。
吉田は、平田が事態の急展開や面談に吉田が呼ばれないことにいささかの疑問を持っていることが気になっていた。
「ヒーさんにだけは本当のことを言っておこうと思うんですが、実は私東京に行ってきました」吉田はボソボソと語り始めた。
「いや、そうじゃないかと思っとったんよ。でももういいですよ。委員長のその一言で十分です」
「いや、ヒーさんにだけは言いたいんよ。ヒーさんは口も堅いし」
そう言って吉田は、後藤田とのことや金丸とのやり取りを全て話した。
「そうでしたか。苦労しましたね」
「なーに、ドキドキはしましたが苦労は何もありませんよ。ただ、後藤田専務には感謝してるよ」
「そうですね。この恩は一生忘れたらいけませんね」平田はしみじみと相づちを打った。
「なんか冷えますね」平田がそう言って障子を開けると雪が降っていた。
「雪ですよ」振り向いて言うと、
「1日早い討ち入りやね」吉田は雪で討ち入りを連想したのだろうか。
「そうか。明日は12月14日の討ち入りですね。わが社の義士たちも宿願を果たす働きをしてくれましたかね」
「大丈夫でしょう。ここまで来たら何かが起きますよ」吉田は後藤田の確信を借りて、同じような言い方をした。
「それじゃ、いい夢でも見ましょうか」吉田を1階の和室に寝かせ、平田は2階の自分の寝室に上がった。

「第3章 動く」を振り返って

平田らが新執行部を結成して一途に取り組んできた会社正常化の道が、ほんのわずかだが動き出したかに見える。やっと手がかりができたばかりといったところだが、ここまで幾多の壁あり抵抗ありの苦難の連続だった。
発足した当時、会社側担当者の交渉手法は高度成長時代の馴れ合いの労使関係をそのまま新執行部にも当てはめ、組合を抱き込んで裏取引でなんとかごまかそうとするやり方だった。新執行部は、個人の点数稼ぎのための活動ではないと猛反発した。交渉の正常化を図るためには、まずこの担当者を排除することから始めなければならなかった。
そのためにはさらにその向こうにいる労務担当重役をこちらの味方にしなければならない。そうした態勢の立て直しが正常化への取り組みの第1歩だった。
幸いにも河村が、新しい感覚で組合と後藤田とのパイプ役を買ってくれたことで後藤田との繋がりができた。それを切っ掛けにして後藤田は吉田の人柄を深く理解することとなり、知らず知らず吉田らが唱える会社正常化の理解者へと傾いていった。そして2人の信頼関係は深いものになっていった。
「人生は出会いである」の格言はここにも生きている。いかにいい人と出会い、信頼を得、いい関係を築くかということは人生の成功の鍵かもしれない。
後藤田の信頼を得たことは彼らの活動の一番の支えになった。
筒井は策におぼれ、自ら墓穴を掘ったことは述べたとおりである。
新執行部は、下部の支持を得るために営業所支援にも出かけた。荒れた市場を営業マンと一緒に額に汗して建て直した。そうした地道な活動が組合員のみならず管理職からも支持され、急激に多くの情報が入り始めた。彼らへの全社員からの支持が、結局最後に大きな山を動かす力となった。
しかし、組合活動自体は茨の連続だった。賞与のマイナス回答や越年賞与も経験した。厳しい経済交渉は、争議行為の連続だった。毎回のように争議をするようになって、組合のほうにも争議に対する感覚が麻痺してしまい、抵抗がなくなってきた。
団交の場には、事業本部長を引っ張り出したこともあった。
しかし、所詮社内のモメ事で終わる。平田らは思いあまって、株主にアピールしなければ物事が進まないとついにデモを企てた。しかし、このときはまだ漠然とした株主へのアピールであって、明確に絞り込んだ意図を持っていなかった。そのため、マル水の実情を知る河村に逆効果だし危険だと説得され挫折するハメになる。
その経験を糧として戦略は練られ、目標は筆頭株主であるマル水食品のトップの金丸社長に実情を訴えるということに絞り込まれた。
手段は、後藤田を仲人にして紹介してもらおうということになった。吉田は萩に帰郷し、英気を蓄えて心新たに後藤田説得に向かうが上手くいかない。そりゃそうだろう。後藤田にとってはサラリーマン人生を掛けることであり、そう簡単に引き受けるわけにはいかない。吉田は、必死の懇願も虚しく苦い思いを噛みしめて帰ることとなった。常識では考えられないこんな破天荒な話も、若さか情熱か、吉田は少しの抵抗もなく実行できた。
以前、大きく成すところあるためには大きな志と強い信念が必要だとお話ししたが、吉田らにも「俺たちがやらねば」という覚悟があった。この破天荒な行動もその覚悟の表れだった。
後藤田も最初は頑なに断っていた。しかし、吉田の人柄と独特の人生観は後藤田の心のひだを密かにくすぐった。そして最後には吉田の寸鉄岩をも砕くような強い意思が、そして会社正常化に掛けるひたむきな熱意が後藤田の正義を呼び覚まし、社内ナンバー2役員をついにその気にさせた。
その後藤田もまた進退を賭けて金丸を説得し、その覚悟がついに吉田との対談を実現させた。更に、その金丸をして中国食品の社員との面談に赴かせたのも、また吉田の情熱だった。
それぞれの段階でさまざまな抵抗が人の心の中に生まれるが、それをしのぐ迫力と熱意が大物を動かした。
「首になってもいいじゃないか」という会社への思い。
「社員全員がそう思っていることが証拠そのものだ」という組織に対する達観。そう言わしめたのは自らの覚悟があればこそである。その覚悟は「会社がおかしい。このままじゃつぶれる。何とかしなければ」という信念から生まれている。そして、そこまで会社のことを社員のことを考えているからこの信念は生まれる。

この章のテーマは「動く」である。裏返せば「動かす」だろうか。
人間一人その気にさせるには大きな動機がいる。まして組織全体の浮沈に関わる大事な問題であり、相手は見たこともない大物経営者である。動かすのは至難の業だ。しかし、山は動いた。吉と出るか凶と出るかはまだわからないが、動いた。
この大物経営者を動かし、社内ナンバー2の役員をその気にさせたものは何か。読者の皆様に伝えることができただろうか。そして少しでも皆様の人生の糧になるものを汲み取ってもらえたならば、この章のミッションは終わりである。
さてこの後、面談を済ませた金丸はどう出るのか。中国食品の経営正常化は順調に進んでいくのか。そして、組合三役はどんな運命をたどるのか。これからの展開をご期待ください。

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