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第一関門

更新 2008.01.15(作成 2008.01.15)

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第3章 動く 46.第一関門

‘1985年年末一時金’要求設定の執行委員会の席で、吉田は委員長として思いもかけないことを言った。
「今年は目一杯やりましょう」
後藤田が当てにならない腹いせからか、それとも何かほかに狙いがあるのか。平田は不思議に思った。「目一杯やる」ということは、取りも直さず実力行使を意味する。「賞与では実力行使は行わない。会社とは話し合いを基調に交渉する」と、この前確認したではないか。どんな心境の変化なのか。それともなにか深い訳でもあるのか。
「そうよ、やろう。そうせにゃどうにもならんよね」豊岡は調子を合わせた。
平田は、なんとも名状しがたい心境だった。これまでの吉田の主張を考えると釈然としない。
“2年目で緊張感がゆるんできたから、みんなの気持ちを鼓舞するためだろう。いずれ話し合わなきゃいけないときが来るのだから”と、あえてここでは反論しなかった。

組合が要求設定の手順を粛々と進めていた10月末のそのころ、同時並行の形で会社は「人事制度研究会」を発足させた。これは組合というより平田に、賃金や評価制度などの制度整備の遅れを再三指摘されたことに加え、川岸自身がビジョンもポリシーも持たない人事部スタッフを叱咤し、すぐ取り組むように指示したからである。やっと重い腰が上がった。
責任者は川岸部長である。事務局は人事課の西山悟が担当し、課長が補佐役である。メンバーは営業所から2名、本社から男女1名ずつ、工場から1名、組合代表で賃金部長の平田も参加することになった。
「人事制度研究会」はプロジェクトというより委員会方式で進められた。
委員会方式ということは、全てが人事部主導で進められ、研究会は諮問機関ということになる。社内的位置づけとしては人事部が職制で進める事案ということになる。
この時期、どこの企業も高度成長期のひずみが顕在化し始めていた。大量に採用した団塊の世代が、ちょうど賃金が急騰する34、5才に差し掛かってきたことから、コストUP要因としてにわかにクローズアップされてきた。加えて、企業の成長が止まりポスト不足から人事の停滞が起こり始めた。人事担当者は社員のモチベーションをどう維持するかに苦心するのである。
蛇足になるかもしれないがもう一点、退職金の問題も浮かび上がってきた。後になってみると、企業にとってはこのほうがよほど大きな問題だった。この団塊の世代という多人数の賃金が急激に上昇し、退職金係数も急速に積みあがり始め、しかも定年も同時にやってくる。そのときの退職金はいくら用意すればいいのか、検討もつかないくらい天文学的数値になった。一度にそんな大金を用意できるわけがない。「労務倒産」そんな心配も囁かれていた。ただ、団塊の世代が退職年齢に達するまでにはまだ20数年の猶予があったため、まずは人事制度の改革が当面の課題として優先された。
こうした事情を背景に、各企業は一斉に人事制度の見直しに走った。その極めつけが‘職能資格制度’である。
それまで年功一辺倒だった人事制度から、賃金を決定する合理的理由として個々人の能力を基準にしようというものだ。ポスト不足は資格を付与することで補い、社員の士気の低下を防ぐのが狙いだ。
こうした時代のニーズをうまく捉えて、楠田丘氏あたりが盛んに推奨した。ほかに体系的にきちんと整備された人事制度は見当たらなかった。一部の教育機関やコンサルタント会社で業績に連動した人事制度などもあるにはあったが、年功一辺倒の日本的雇用慣行に慣れ親しんできた経営や人事担当者にはドラスティックと受けとられて、普及しなかった。
楠田氏はプレゼンテーションも上手かったし、所属する団体のプロモーションの展開も良かった。制度構築・導入のセミナーだけでなく、春の賃金改定時期には運用・メンテナンス編のセミナーを開催するなど、ニーズを掘り起こし市場を活性化させたことで、ブームに火がついた。多くの企業が一斉に制度導入に走り、一時期‘職能資格制度’は日本における人事制度の主流となった。
職能資格制度を導入していない会社は遅れている、あるいは人事担当者が怠けているとさえ受け止められかねなかった。職能資格制度を導入していることがひとつのステータスでさえあった。
中国食品の「人事制度研究会」も、ほぼ職能資格制度ありきで始まった。「職能資格制度とは」から勉強を始めると、それに勝る論理は展開できない。ポスト不足を資格の付与で、その資格は能力によって、能力は生産性に結びつき賃金決定の根拠に。ロジックとしては大まかにこうだろうか。
イメージ図

当時会社が抱えていた問題点を論理的にはほぼカバーしていた。
ところが、このロジックにも大きな落とし穴が潜んでいるのであるが、まだ誰も気付いていなかった。今現在人事に携わっておられる方ならもうご存知であろうが、このことが明らかになるのはもう少し後になってからである。
研究会の事務局も、職能資格制度導入に向かってがむしゃらに走った。

そのころ、後藤田はマル水食品の金丸から東京に呼び出された。夏商戦が終わり、年末商戦の見通しと今年の業績見通しについて説明するためである。本来ならば、社長の小田が行くべきところであろうが、ゴルフのお礼もあった金丸が非公式にして後藤田を呼んだのである。本当のところはわからないが、金丸はいいことばかりしか言わない小田よりも、本音を聞くためには後藤田のほうが信頼がおけると思っていたフシがある。
ついにその時がやってきた。長門でゴルフをして一月半が経過している。後藤田は、業績説明よりも吉田を引き合わせる算段で頭がいっぱいだった。オファーを受けて以来、ずっとそのことばかりを考えてきた。小田や浮田を引き降ろす明確な作戦やシナリオも描ききれないままだ。
“まずは吉田を引き合わすことが先決だ”ついには、そう考えるしかなかった。
手土産に持たせた鰤がどう跳ねたか、期待と不安でいっぱいだ。そして、その胸には密かに辞表をしたためての出立だった。
道中の飛行機でも、吉田に会っていただくためにはどう話を持っていけばいいか、そのことばかりを考えていたがなかなか妙案にたどり着けないままマル水食品まで来てしまった。タクシーを降りるとそのまましばらく玄関前で立ちつくし、考えた。
“相手はマル水の社長だ。どれほどの人物かはわかっているじゃないか。あれこれ小賢しく考えるとかえって墓穴を掘るというものだ。誠を尽くすしかなかろう。これだけ考えてもいい知恵が浮かばないということは、それが神の意思だろう”そう腹を括って案内を請うた。
後藤田を迎えた金丸は、開口一番、
「いやー、先日は大変お世話になりました。立派なお土産までいただきましてありがとうございました」満面の笑みで握手の手を伸ばしてきた。
「いえいえ、とんでもありません。喜んでいただけましたら幸いです」
「いやー、見事でした。お陰で堪能しました。鮑やサザエなんかもあしらってあって、心配りに感じ入りました」
「ありがとうございます。そこまで仰っていただいて恐縮です」
“まず、第一関門は突破できたかな”後藤田はホッとした。
「今日、お呼び立てしたのは業績の見通しについてでありますが、先だってのお礼もしたくてお出でいただきました」
「お礼だなんてとんでもありません。喜んでいただけましたらそれで十分です」
「わが社も今年は厳しい状況が続いておりましてね。その上に関係会社の業績が振るわないと一層こたえます。中国食品は近年業績が大きく落ち込んだまま浮上の兆しが見えません。今日は本質のところを伺っておかなくてはいけないと思いましてね」
やはり、いつもの業績説明を求めるトーンではなかった。

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