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心を動かすもの

更新 2016.04.14 (作成 2006.03.03)

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第2章 雌伏のとき 15.心を動かすもの

「ヒーさんありがとう」吉田優作が満面に笑みを浮かべ、手を取ってしっかりと握ってきた。
平田は迷いに迷ったあげく、ついに吉田優作らの熱意に動かされてしまった。
「よし、じゃあ飲もう。オーイ、用意してくれ」豊岡が大声で叫んだ。
それまで客に遠慮して隣の部屋で静かにテレビを見ていた奥さんが、慌ただしく料理やビールを運んできた。
「こんなもんでいいやろ。うちの板前が用意してくれたんよ。結構うまいと思うよ」
豊岡の奥さんの実家は、電車通りを挟んだ広島市民球場の向かい側のちょっと奥まったところで、‘清川’という割烹料亭を営んでいた。
今日は豊岡が無理を言って料理を運ばせてきたに違いない。刺身、煮物、焼き物、寿司などが大皿に盛り合わされて運ばれてきた。もし、平田が断っていたら残念会に供されたであろう料理である。さすがにプロの料理だ、うまい。
清川は1階が15、6人が座れるくらいのカウンターと、衝立で仕切られた4人掛けのテーブルが3組、2階にふすまで仕切られた10人くらいの小部屋の続き間が2部屋と離れが1部屋あった。
近くに県庁と市民病院が隣り合わせであり、金融関係や大手企業の支社なども多くさながら官庁街といった様相で、そのため客筋は結構良かった。
こうした関係からか、政治家や地元財界、医者、カープの選手、はたまたその筋の方まで、豊岡は結構顔が広い。

その晩は明け方まで飲み明かし、大いに意気が揚がった。
会社の経営内容について一通り論評が済むと、経営者の棚卸、同業他社の戦略や経営者との比較、自社の人事、これからどうやっていくか……、酒が入っていることもあって、日ごろ胸に秘めた思いの丈を思いっきり打ち明け合った。
「大体、あんな無謀な投資をするから赤字になるんよ。誰も止められないのが情けないね」
「お前がもっと頑張れば良かったんよ」豊岡らしい言い方である。
「ギリギリまでやったさ。だけど相手は常務だし、初めから投資ありきじゃ、どうもならんよ」平田は、またもや悔しさが込み上げてきた。
「業者と癒着しとるんやろ」
「役員が私利私欲のためばかりに画策するようじゃ、会社はだめよ」
「たった一人の奸悪で、会社とはこうも変わるもんかねぇ」
「役員になったら、社員の手本となるような滅私奉公するようでないとだめよ。部下は上司の背中を見てついていくもんよ」
「会社が社員を大事に思う気持ちがあれば、社員も会社を大事にするのに……」
「俺たちで、正していくしかないよ」吉田は、所信表明にも似た抱負を語り始めた。
「まず、会社の信用を取りにいく。ただの危険分子と思われたら俺たちの気持ちが何も通じないから。そのためには俺たちが行動で示すしかないと思う。それがないと会社も信用してくれんやろ。
例えば腰痛体操だけど、組合主導で毎朝やるようにしたらどうだろう。支部長に音頭とってもらって、本社も営業所も全支部、始業前にやってもらう。俺たちが、社員強いては会社を大事と思っていることを認識してもらう。もちろん俺たちも先頭に立ってやるんです」
「いいねー。今、会社がやりよるけど誰もしよらんよね。腰痛問題も掛け声ばっかりや」豊岡が相づちを打った。
「次に極端に業績の悪いところとか、所長とトラブっている営業所を執行委員が支援に行く。営業マンの車に2、3日同乗し、セールス活動を一緒にやってみるのです。営業現場を実体験してはじめて問題点が見えてくると思います。営業マンとのコミュニケーションも一緒に苦労せな本音は聞けんでしょう。こうやってはじめて問題の本質に迫ることができると思います。プロジェクトや会議もいいけど、本質的問題は一人ひとりの心の中に潜んどるもんよ。それを聞き出さないと良くならないと思う」
「ホンマや。形式ばっても何も変わらんちゅうことやね。さすが優作ちゃん」活動の具体的中身が見えたことでよほど嬉しかったのだろう、豊岡がおどけてみせた。
「草の根運動です。建前や机上の空理空論じゃないから言うことに迫力が付いてきます。それをもとに改善策を提案していく。これをやると会社はきついはずです。皆、大変だろうけどよろしくお願いします」
「よし、やろう」口々に決意し合った。

話も一区切りつき、もう酒もだいぶ回ってろれつも怪しくなってきたころ、吉田優作が隣の部屋にこもっていった。何やらごそごそやっているかと思うとふすまを勢いよく開き、脂肪でかなり出っ張った腹に奥さんの口紅であろう赤く大きな人の顔を書き、自らは頭から浴衣のようなものをすっぽりかぶり、体を左右に揺らしながらヨチヨチ歩きで歌いながら出てきた。
歌に合わせて腹を出したりしぼめたり、丸く円を書くように動かしたりと、なんともユーモラスな格好で踊りだした。
「ヨーヨー」、「いいぞ、いいぞ」
やいのやいのとはやし立て、掛け声に合わせて他の者も総立ちになり、取り囲むように一緒に踊りだした。
一騒ぎ済むと今度は作田である。
これも隣の部屋でごそごそやって出てきた。
やはり、浴衣を着ている。自ら歌いながらへなへなと踊っているのだが、内股にして何やら歩きにくそうだ。声がひと際大きくなったかと思うと、股間から大きな一升瓶がニョッキと突き立った。声が小さくなるとまた浴衣の裾に隠れてしまう。
浴衣の紐で何か仕掛けがしてあるらしく、足の動きで一升瓶が持ち上がったり隠れたりしている。腰を振りながらおどけたしぐさはまさに狸である。
腹を抱えての大笑いである。
吉田や作田は、一旦仕事を離れると底抜けに明るい。よく飲み遊ぶのであろう、芸達者な愉快な連中だ。
腹踊りと狸踊りで、朝方まで抱腹絶倒の大騒ぎが続いた。

平田浩之が、本格的に組合や人事労務問題に取り組み始めたのはこれが契機である。一介の技術屋が人事マンに変身する転機となった。
会社を思う熱い志こそが一人の人間の心を動かした。
“心を動かしたのもまた心であった”

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