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不思議な人

更新 2016.04.14 (作成 2006.02.03)

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第2章 雌伏のとき 12.不思議な人

「1度、吉田さんと作田さんに会ってくれんか」豊岡が言った。
当然だ。向こうはよく知っているかもしれないが、こちらは名前を知っているくらいのものである。こんな大事に加担するかどうかの瀬戸際に、どんな人間かも知らずに決断できるわけがない。
「それじゃ、今度の土曜日に吉田さんと作田さんを呼んでおくからうちに集まろう。そのとき話し合おう」
結局、吉田ら3人と会う約束をして別れることにした。
「俺が先に出るから、お前はチョット後で来いね」と言って豊岡は金を払って出ていった。
1人になった平田は、
“やっぱり、ハッキリ断るべきだったかな”豊岡の頼みに、断りきれなかった自分を少し後悔した。
“まあ、話を聞いてからでもいいか。次に断ってもいいし”と、思い直して喫茶店を後にした。

それから3日後、昭和59年8月も終わりに近い土曜日の夜であった。4人は広島市内の豊岡のマンションで会合した。目立たぬように集まるにはこれが一番いい。
豊岡の奥さんは、男前の豊岡に比べて決して美人の部類ではなかったが気さくで世話好きな感じである。人が家に来ることも好きなようである。平田は初めて会うが初対面のような堅苦しさを感じさせず、奥の部屋へ案内してくれた。
吉田と作田は既に待っていた。
「ヒーさん、すみません」吉田優作の口癖である。
吉田はこのメンバーの中では一番年上の37歳であったが、誰にでも「すみません」があいさつ代わりの口癖になっていて、先輩風を吹かしたり偉そうにする素振りを見せなかった。どんなに年下の者でも自分を遜(へりくだ)り、相手を上に見て話すのである。腰が低い。
しぐさもどことなく可愛くて謙虚であるから誰からも愛された。
平田は、どんな人間かと多少気負い気味に来ただけに、ちょっと肩透かしをくらった感じで拍子抜けがした。もともと顔と名前くらいは知っており、おかげで緊張感も少し和らいだ。
平田は、社内の目上の人から「ヒーさん」と呼ばれていた。通常は呼び捨てか君付けが妥当なところであるが、すでに無視できないだけの力を付けてきていただけに侮りがたく映っていたのであろう。完全に突き放すことなく、半分の心をつなぎとめておく知恵なのか、半分だけ親しみを込める呼び方である。平田には心地良い呼び方であった。呼び捨てにするのは豊岡と野木くらいであった。平田はどちらも好きだし、先生だから仕方がない。それだけ親しくさせてもらっているということだろう。

人は、呼び方で相手との距離感がわかる。
目上の者が目下の者を呼ぶときは、大体呼び捨てか「君」付けだが、「君」付けはいかにも堅苦しく他人行儀である。まだ呼び捨てのほうが親しみを感じる。しかし、呼び捨てでは相手の人格を傷つけるし、自らを尊大に見せてしまう。
その中間が、愛称の「ヒーさん」的呼び方である。呼び捨てのような無礼さがなく、君付けのような他人行儀でもなく、相手の人格を尊重しながら親しみを込めた呼び方である。
私の知った人に、部下全員に「さん」付けで呼ぶ人がいた。
「彼らにも、一人前の仕事人としての自覚を持ってほしいからである」と言っていた。一人ひとりの成長を願う愛情を感じたものである。こういう人は滅多にいない。
また、自分や相手の立場が変わってきたときにも呼び方は変化する。
人と人がどう呼びあっているか、興味深く観察するとその人間関係、力関係なりが凡そながら推測できる。

吉田優作はニコニコした愛嬌のある笑顔で笑いかけている。
平田も思わず笑っていた。
“不思議な人だ”
もはや、「お久しぶりで」「中央委員会では……」などというありきたりのあいさつは要らなかった。
豊岡の奥さんが、客人が全部揃ったと思い、料理を出すタイミングをいつにしようかと気を揉んでいる様子であった。
「大事な話があるけ、もうちょっと待っとけ」豊岡は強い口調で言った。外の女には極めて優しい豊岡なのに、奥さんには亭主関白である。これが本当の姿かもしれない。外の女には真面目に接していないのであろう。一時の付き合いと割り切っているから優しく振る舞えるのだな、と平田は思った。
“しかし、俺たち男に対しても優しいよな。そうか、外では誰にでも優しいのだな。これが本当の姿なのかもしれない。外で一生懸命気を使うから家ではわがままが出るのだろう。こんな旦那さんの奥さんは大変だろうな”平田はそう思ったが、奥さんは苦労の陰は微塵も感じさせず、幸せそうである。

「ヒーさん、このままでは会社はつぶれるよ。一緒にやってください。お願いします」またもや下手に出た。
「しかし、やる言うてもどうやってやるんね。今の組合もあるし、僕には僕の事情もあるけね」
横から豊岡が口を挟んだ。
「どんな事情があるんや。大した事情なんかあらせんじゃろ。俺たちだって一緒よ」
「なんで俺なんね。他にもいい人がおるじゃろ」
「誰がおるっちゅうんね。おりゃせんじゃろうが。あとはバカばっかりやんか」豊岡は日ごろから気軽に話しているせいか、歯に衣着せぬ口ぶりである。

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